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心理学だったからやれた

留学したくらいだから、もちろん自分が「心理学に興味がある」ことはわかっていた。

しかし、留学してすぐにわかったのは、自分は心理学に興味があるというレベルをはるかに超えていたということだ。

心理学に関係してさえいれば、興味の持てないことなど何もなかった。これはとても不思議な感覚だった。

たとえば、次のような「興味津々の文章」が、一般心理学の教科書には至るところに散らばっていた。

We perform well-learned tasks automatically, as when keyboarding without attending to where the letters are.  We changes our attitudes and reconstruct our memories with no awareness of doing so.

訳出に話題のDeepLをつかってみた。

私たちは、キーボードを打つときのように、文字の位置を意識せずに、よく覚えた作業を自動的に行っています。  意識せずに態度を変えたり、記憶を再構築したりしています。

私は引用した文章に「感激」していた。すばらしい分野だと思った。なぜなのかハッキリとは説明できないが、まさに私のものの考え方はこういうふうだったのだ。

人はタッチタイプをマスターすると、意識せずに文章を打つようになる。まさにそれと同じように、無意識のうちに自分の記憶を改変し、価値観や態度を変えてしまう。

そういうことを私はいつもいつも考えていた。自分が考えていたとおりのことが、教科書に書いてある。先を読み進めれば、必ず自分が考えていて、思い悩んでいたようなことがそのまま書いてある。自分の頭の中身が、整然と文章化され、何ページにもわたって展開されているのだ。

気がつくと6ページをとっくに超えて、8ページ、10ページと読んでいることもあった。時間がかかるので、夜更かししてしまって、翌日につらくなるから、これを避けねばならないほどだった。

自分の頭の中を探求する推理小説のようなのである。途中で止めることが難しい。

留学は、まさに心理学だったからやれたのである。法学だとか医学だったら、決してやれはしなかった。英語をあれほどの勢いで読むには、読み進めずにはいられないほど、興味を惹かれる内容である必要があった。私は非常にラッキーだったのだ。

後になって、私に「留学で勉強を続けるコツ」を尋ねる後輩さんが幾人かいらしたが、全然いいアドバイスはできなかった。当然である。私だって、心理学でなければ、あんなに英文を読むことなどできはしなかったのだ。

さらに、心理学についてだけは、意外なほど「英語で書かれていること」が大事でもあった。たとえば上の文章も、

reconstruct our memories with no awareness of doing so

となっているから、いいのだ。「無意識に記憶を改変している」というより、「メモリーをリ・コンストラクトする」方が、私の表現したいことに近いという気がする。「アウェアがないままに、そういうことをする」のである。

そういうことを言いたかったし、誰かに言って欲しかったのだ!

このようなことがらこそが、まさにとても心理学的だったのだ。日常にあふれている風景を、私は心理学的に見るという癖がついていた。それは偏ったものの見方だったが、それから離れることができなかった。だから私の思考の癖を、整然と解説されて、なんだか癒やされていたのだろうと思う。

人は、オートマティカリーに、アウェアもないままに、記憶をリ・コンストラクトする。昨日の食事内容は記憶からバッサリ抜け落ちているのに、7歳のころ、近所の子どもに金玉を蹴られたことは頭に残っている。何をどのようにメモリーに残すかを、アウェアできない。

近所の子どもは大人になって、人の金玉を蹴ったことはきれいに忘れてしまっている。好青年になって、かわいい奥さんと結婚し、私とはただ「仲良く遊んだ」としか覚えていない。メモリーは、オートマティカリに、チェンジされてしまうのだ。

いや、もしかすれば私のメモリーこそ、チェンジされてしまったのかもしれない。仲良く遊んだだけなのに、なぜか金玉を蹴られていじめられたという書き換えが行われているのかもしれない。タッチタイプがアウェアできないように、無意識なのだし証拠も残ってなどいないのだ。

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私自身について、ここ以上に詳しく書くところは、ありません。

かなりプライベートなことや、半生をふり返って、いちおうの「情報」と考えられることを書いていきます。