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行動科学

1年目の留学が一種の転機を迎えたのは「行動科学」がテーマに入ってからだった。

ネズミのレバー倒しである。

こういう画像をこの後も何度も何度も見た。何度も何度もだ。

この頃になると、少なくとも「心理学の教科書」であれば、日本語とあまりかわりなく、頭に入ってくるようになった。

それよりはるかにやさしい内容なのだろうが、レストランのメニューなどはサッパリだった。文章校正も単語も馴染みのものかどうかが、理解の決め手になるのだ。

けれども「パブロフの犬」「ワトソン」「BFスキナー」「オペラント条件付け」などが、「本当に自分はアメリカで心理学を勉強している」と思わせてくれたのだった。理解が追いついてきたことだけが、大事なのではなかった。

なんというか、行動科学こそは、アメリカらしかった。わたしたち日本人はやはり、どうしても「行動科学らしく」ものを考えない。報酬と罰の「知見やエビデンス」が明らかになったからといって、たとえば算数の計算ができたらドーナツを何個あげると子どもが伸びるかといったことを、あそこまで真剣に検討できないと思う。

アメリカで行動科学を勉強している。

この事実は「本場にいる感じ」を強烈にもたらしてくれたのだ。「スシ職人になるために日本に来た外国人」のような気分といったらいいだろうか。

行動科学のことは、少しは知っていた。パブロフの犬はよだれを垂らし、ネズミは迷路をくぐってチーズをもらい、小学生はケンシロウを真似て人をつつき回す。すべては行動科学で説明可能だ。

アメリカでの生活をよくよくふり返ってみると、たしかに人々はこのような哲学をもとに、生活を回している。行動科学は文化的な価値観だった。日本人は、どう考えてもこういう生活様式をしていない。

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かなりプライベートなことや、半生をふり返って、いちおうの「情報」と考えられることを書いていきます。