「そんな面倒なこといちいちやっていられない」は本当?
今朝のグッドモーニングバイブスというインターネットラジオでも喋ったことなのですが。
「いちいちやっていられない」とき、私たちは知らず知らず、「偉く」なっているような気がします。そんな「出世」が自分の首を絞めている。
子どもに対してはずいぶんと「面倒な」ことを「いちいち」やらせるのに躊躇しないものです。
たとえば、
969.966÷1.98
といった見ただけでも「まじめに筆算」したらうんざりしそうな計算を、子どもになら、やらせる。小学生高学年に、です。
もしも「自分が」やれといわれたら、「そんなことやっていられるか!」となって、計算機かiPhoneにでもやらせて、「偉い自分」は、有意義な時間を節約し、ネットでエッチなサイトでも見るでしょう。
「面倒でいちいちやっていられない」ことを「やる」ために私は2方向からのアプローチを学びました。1つはタスクシュート。1つはグッドバイブスです。
タスクシュートだと、こうなります。
「そんなこと、いちいちやっていられないよ」という。すると
「それに何分かかると思いますか?」
といってくる。そして
「実際に測ってみましょう」
ということになって、「この時間であなたはなにをするつもりです?」と暗黙のうちに自問させられます。
グッドバイブスの場合には
「私たちは、誰も1人では生きられない」
といわれます。つまり、助けて欲しいと他の人に「依頼した」ことが誰にも必ずあるわけです。
他人の力をあてにしたとき
「そんなこと、いちいちやっていられない」
と誰もが答えてきていたら、いまそうやって生きてはいないでしょう、ということです。