オシムの言葉-それを言うと戦争を肯定してしまう

本棚を整理していたら懐かしい本が出てきた。

「オシムの言葉」

14,5年前に読んだ気がする。

90年イタリアワールドカップ。NHKの衛星放送が全ての試合を放送し、中学生だった僕は食い入るようにワールドカップに熱中した。当時のユーゴスラビアが後に名古屋でプレーするストイコビッチを中心にフィールドを駆け、南米の雄アルゼンチンを苦しめた。

ユーゴスラビアのサッカーなんて見たことが無かったから、アルゼンチンの選手に引けを取らないテクニックとスピードに驚嘆した。結局、PKで負けてしまったが、インパクトは十分であった。

その後、ジェフ市原(現ジェフ千葉)に、イビチャ・オシムというボスニアのサラエボ出身の監督がやってきた。オシムについてはほとんど知らなかったし、いつもリーグ下位にいるジェフの試合を見ることもほとんど無かった。

しかし、シーズンが始まるとジェフが強いチームに変わっていった。

どのようにチームを変えたのか。オシムという監督に強い興味を抱いた。そして、中学生のときに強い印象を受けた、ユーゴを率いていたのが実はオシムだということが分かった。

「オシムの言葉」という本は彼のユーモアとウィットに富んだその言葉を集めたものかと思い手にとったが実際は彼がどのように生きてきたか、彼のサッカーに対する考え方の源泉がどこにあるのかを示す本だった。

サラエボの紛争当時のことについて記者がオシムに聞いた。

-監督は目も覆いたくなるような悲惨な戦争を乗り越えてきたが、試合中に何が起こっても動じない精神、また外国での指導に必要な他文化に対する許容をそこで改めて得たのでは?

オシムはそんな美談では無いという前置きをして言う。

「確かにそういうところから影響を受けたかもしれないが、、。ただ、言葉にするときは影響を受けていないというほうがいいだろう。そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が、、、」

紛争前、90年ワールドカップ。アルゼンチン戦のPK戦。2人を除いて誰も蹴りたがらなかったという話はユーゴスラビアとして戦うことの難しさを示し、それでもベスト8まで進むことができたのは、個人の力に加えてオシムの指導力だったのだ。中学のときにはその躍動するサッカーにただただ見とれていた。

この本を読んだ時から7,8年後の2013年。ボスニアヘルツェゴビナの戦争の傷跡残るモスタルという街に行くなんて思いもしなかった。読書を起点にそれぞれの思い出が次々とつながる。

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