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今日も気分は嫁•次第 #5

さて、彼女のツワーは一先ず、置いておいて、本来の私の目的地へ向かう。
初めての地なので、全く向かう場所も検討もつかない。彼女も、初めて訪れる場所だとはいっていたが、やはりそこは、地元民、おおよそは見当がつくらしい、後はナビが導いてくれる。

今回の目的は、知り合いの若者がこの地で、農業を始めて、初の収穫祭をすると言うので、お呼ばれした次第である。

とはいえ、もともと特に親しかった訳ではないが、少し頼られれている様な気もしていて、その気持ちに応えないと、約束を破ってしまう様な、期待を裏切ってしまうのでは無いか、そんな良心の呵責を感じ義務的に行ったと言うのが正直な所だろう。

だから、そこでの記憶は少し曖昧なのだが、その情景は、よく覚えている。
小さな谷がいくつも重なり、曲がりくねった道と、橋、谷間を均した棚田と、その上の急傾斜地は、ミカン畑にして、不便ながらとも、上手いこと狭い土地を利用していた、歴史を感じる農村だ。

その集落の公民館で、秋のささやかな収穫祭が、行われる。会場の両脇は紅白の幕、正面は学校の教壇ほどの高さと、広さのステージ。その前に四列ほど並んでいるパイプ椅子、郷愁さそう田舎のイベント感。そんなステージで、田楽が披露された。

田楽を舞うのは、私を招待してくれた、若者達、本人だった。この日の為に、毎晩レッスンに、励んだと言う踊りの、出来栄えば、申し訳ないが私にはよく判らない、面に覆われている為、表情から苦労を忍ような感情移入も感じることはなかった。そう言えば、田楽を、見るのも初めてだった。

しかし、この春から移住し就農した、若者達が、会場を創り、自ら踊る、指南役の年長者は数えるほどしかいない。観客も、我々のように呼ばれたであろう者が、数人、地元の人が数人。
彼らが来なければ、田楽も、収穫祭も、無かったのではないかと思える程の主役感。それほどまでに、この地域が、過疎化しているのだろう。

何百年と、受け継がれて来た伝統芸能が、また次世代へと受け継がれつつある瞬間、外からの若者がそれを担い、この地に根付きまた、伝えてゆく。
伝統芸能は、時を超えて受け継がれる、舞手は変われど同じ面を付けて昔と変わず舞い踊る。長き時を超えているのに止まっているようだ。

ささやかな、おもてなしの食事を、いただき。
「お二人はどのようなご関係ですか?」などと質問されながら、何と答えたものだろうか?
思い出せないが、どう考えてもこんな田舎の田楽を観にくるのに、「単なる知り合いです」なんて、説得力の無い事でも、事実だから言っていたとは思う。



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