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田舎の家業の農家が嫌いな「おら」のこと。

オッス! おらマー坊。農家の長男。

そもそも「おら」って誰? 何者? って読者いるよな。

改めて自己紹介すっぞ。

おらは、
一次産業が盛んなとある県の、
さらに山の中にある村の、
小さな小さな集落の農家に生まれた長男。

そう、農家の跡取り。

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農家といっても小さな田畑しかない小さな小さな農家。父ちゃんも母ちゃんも、じいちゃんもばあちゃんも他に仕事をしながら家計を築いていた、いわゆる兼業農家。

小さい時から米や野菜作りの農作業を見て手伝い育った。おらがデカくなったら当然家を継いで家を土地を先祖を守る責任を持って生まれ育ったわけだ。

でもよ、おいらはその農作業が大っ嫌い。土いじり大っ嫌い。暑いなか汗かいて、寒いなかしもやけになりながらがんばることが大っ嫌い。

だから反対する親を半ば騙して大学進学した。親は高校卒業して地元の役場や農協に入って安定した職場で農家を継いで欲しいと言ってた。でもそれが一番いやだった。この閉塞された村から出たかった。逃げたかった。きらびやかな街に身を置きたかった。「ひとまず大学に行かせてくれ」と説得して村を出た。“大学に行く=村を出て一人暮らし”である。

大学生活は楽しかった。弾けた。
日本中から集まってきてた学友に刺激を受けた。バイトも大人たちと楽しくやれた。初めての彼女もできた。憧れてたきらびやかな毎日がそこにはあった。

そして、コンピュータに出会った。プログラミングにハマった。土よりもパソコンをいじる喜びをしった。

大学卒業するとIT企業に入った。地元には帰らなかった。あれほど地元に残ることを望んでいた親も反対はしなかった。小さな小さな農家を継いでくれとは言わなくなっていた。ある意味おらは自分の望む人生を歩んでいた。
そういえば物心ついた頃からのおらの将来なりたい職業は「サラリーマン」だった。これマジ。野球選手とか警察官とかではなく「サラリーマン」。農家の跡取りの反動だったのかもしれないな。

就職して数年したら父ちゃんが死んだ。
ガンで見つかった時には時すでに遅しだった。

正直動揺した。サラリーマン辞めて家を継がなきゃとも真剣に考えた。当時付き合ってた彼女には農家になるのならと別れを告げられた。農家の嫁になりたくないとはっきり言われた。二重苦だった笑

結果的にはサラリーマンは辞めなかった。母ちゃんが小さな小さな農家は「継いでもどうしようもない。今の仕事を続けろ。」と言ってくれた。
だから田舎には戻らなかった。でも彼女は戻らなかった笑

父ちゃんの自宅での葬儀は大賑わいだった。
自宅に300人近く会葬者が来た。オイラは親戚、集落の接待(宴会の笑)に追われた。知らないおっちゃんおばちゃんたちの接待は苦痛だった。食べ物は村のおばちゃんたちが総出で炊き出ししてくれた。

父ちゃんが死んでしばらくすると母ちゃんが家を出て一人暮らしを始めた。じいちゃん、ばあちゃんと一緒に住みたくないと言うのが理由。

しばらくしておらは会社を辞めた。
役職が付いて仕事が面白くなくなった。
いわゆるフリーランスのエンジニアとして今日現在まで従事している。
ちなみに妻も子どももサラリーマン時代にできた。

父ちゃんの死から10年以上経って家長のじいちゃんが死んだ。介護とか入院とか誰に迷惑をかけることなくあっという間だった。
葬儀の喪主はばあちゃんだったけど、事実上はおらが全部仕切った。
でも父ちゃんの時から時代は流れ、葬儀の派手さ、面倒臭さは減っていた。村人総出で炊き出しとかは無くなってた。仕出しで飲み食い宴会ではあるのだけれども。

田舎の家にはばあちゃんだけが残った。
近くに叔母や近所のおばちゃんたちがいるおかげで数ヶ月に1回程度顔を見に行くだけでよかった。
ばあちゃんは元気だった。
大きな病気も呆けることもなく、誰に心配かける訳ではなく一人で暮らしていた。

まだまだしばらくはそんな日々が続くと思ってた。

そんなばあちゃんがあっという間に逝った。
前の日まで元気に農作業してたばあちゃんが一晩であの世に行った。

そしてそこには住んでないけど名実ともにおらは家長となった。

農家は農業は嫌いだったけど、それは自分がやることが嫌だっただけ。農業の大変さは知っているつもり。
だから農家をはじめ第一次産業には敬意をもっているし、日頃食にありつけることに感謝してる。
大学に行かせてもらったことにも親には感謝してる。そんなに裕福ではなかった筈なのに。

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