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インドでラジオやってみた。

 僕はインド・チェンナイで2年以上に渡り、Podcastでラジオ番組毎週欠かさずにやっていた。僕がインドに残っていたモチベーションの中で最も高いものの一つで、DJ Kハッシーの3人で、毎回楽しく収録していた。

 この2人はいわゆる普通の“駐在さん”。そんな彼らとの放送は全100回を上回り、チェンナイ在住者のみならず世界中にリスナーを持つほどに成長していた。さて、なぜこんなラジオ番組が始まったのか。今日はそんなお話。

 2016年2月。この頃から秋平は、隣のレストランからやってきたインド人マネージャー・マニくんのおかげで、僕の出番がどんどん減っていった。僕がタイに、よさこい遠征へ行けるくらい暇だった。と言うのも、僕は元々店先に立って「いらっしゃいませ!!」って言うためにインドに来たわけではない。多店舗展開を期待し、次店舗の候補地へ調査に行ったり…なんてことを想像して来ていたため、僕の仕事をどんどんインド人にインストールさせることが僕の役割だと思っていた。

 その為お店は、僕の仕事を覚えたマニくんやアッサムズたちに任せることが出来始めていた。すると、僕の自由時間が増えた。仕事がない時の過ごし方といえば、YouTube、ツイキャス、ラジオ。この三本柱を、最近引いたばかりの自宅のWIFIを使って楽しんでいた。今まではWIFIがなく、自宅に入るとなぜかネット接続が途切れると言う謎現象に悩まされていた。しかし、このWIFI事変により、引きこもり少年の完成である。

 しかし、何か発信したい!と言う欲は持ち続けていた。その頃はもうすでに、日頃の鬱憤を晴らしまくるだけのブログも辞めていた。YouTuberになろうなんて気もさらさらなかった。しかし、何か発信を…とモヤモヤしていた時期である。

 その頃、たまーに“若手会”と言う飲み会が開かれることがあった。チェンナイ在住の女性が主催することが多く、多くの若手たちが集まって日頃の鬱憤を晴らしあっていた。“ゆとりメンバー”が続々と帰ってしまっている頃だったので、新しい友達を作る上でもめちゃくちゃ楽しみにしている会だったし、引きこもり少年の僕を外へ連れ出してくれる大切な会だった。

 ある時お店にその“若手会”で知り合った友達が来てくれた。その方に突然、

「ジョーくん、サンドウィッチマンのラジオ聴いたよ!」

 と、声をかけられた。何を隠そう、彼がのちのDJ Kである。彼は元々“超”がつくほどのラジオっ子だったらしく、東北魂への初めての電話出演回を聴いてくれていた。そこから僕は自分の思いを話し始める。「僕、何か発信したくて、ラジオやりたいんです。一緒にやりません?」こんな突然の申し出に彼は二つ返事で快諾してくれた。

 対談は素人おじさん2人には難しいと言うことで、もう一人誘うことにした。若手会で初めて会ったのだが、座持ちの良さや、トークの切り口、広げ方、知識の豊富さが特段光っていた男。お笑いコンビ“銀シャリ”のツッコミ・橋本さんに似ている男。それが後のハッシーである。彼のラジオネームの由来はここから来ている。

 メンバーは揃った。番組名もなんとなーく会話の中で出ていた「Chennai Radio Club」通称“CRC”に決定。いざ、初収録である。スタジオはDJ Kの家がある場所から“スタジオT-NAGAR”と名付けられた。この日から幾度となくこの場所でラジオ収録をしていくこととなる。

 まず最初に訪れたビッグチャンスは、吉本興業所属・スタンダップコメディアンの“ぜんじろうさん”に出演してもらったこと。後の章で触れる予定だが、チェンナイでライブを行ったことがあり、秋平がそのライブのスポンサーとなった。その繋がりがありライブ後は秋平で食事をとってもらった。そのついでの収録である。彼の独自のお笑い論を大いに勉強させていただいた。

 ここで驚きだったのが、素人じじいのKとハッシーが、全く臆せずバンバン的を得たコメントを放っていたのだ。僕は緊張して基本頷くことしかできなかったのだが、二人の切れ味鋭い質問や切り返しには心底助けられた。

 そして、女優・タレントの及川奈央さんのご出演。及川さんのご来チェンの詳しい経緯は後ほど触れるとして、流石の2人も彼女の登場には緊張していた。やはりあれだけ美しい人を目の前にすると挙動が不審だった。しかしトークは全く問題なし!超安心して聴いていられた。

 CRCが僕に与えてくれた恩恵は計り知れず、僕のトークスキル向上に大きく貢献している(まだまだプロの方に比べれば雲泥の差なのは言うまでもない)。日本滞在中、友達の結婚式二次会のMCや、前章で触れたK-1ファイター・佐々木 大蔵のファンイベントでもMCをやったり、僕の仕事の幅を広げてくれた。

 チェンナイのイベントでも、CRCの3人で出演することができた。新年会や夏祭りでは企画コーナー部分でのMCを務め、チェンナイイベントの一時代を支えたと思っている。2019年の新年会では、能條ジョーが総合司会、企画部分で3人揃ってMC、抽選会もそのまま3人でMCと、CRC出ずっぱり。もはや、CRC新年会2019と言っても過言ではなかった(過言)。3人にとっても本当にいい思い出となり、いい経験をさせてもらった。今後の人生でもきっと語り草だろう。

 そんなCRCは、2年をやりきったところで終わることとなる。僕の帰国が原因である。いつか終わるとは分かっていたが、いざ終わるとなると寂しいもの。何と言っても、僕の孤独期を救ってくれ、インド生活を存分に楽しませてくれたのだ。誰が聴いてくれてるかも分からないし、なんのためにやってるのかも分からないが、正直な気持ち、全員終わりたくなかったと思う。

 その証拠に、僕の帰国が決まってからは収録ラッシュ。3月の頭には終わろうと思っていたが、今現在6月くらいまで貯め録りができている。CRCファンの皆さん、安心してください。梅雨くらいまでは聴けますよ。

 基本的に何事も続けられない僕の性分だが、CRCだけは続けられた。それは、何よりも楽しかったからである。チェンナイという地で、ラジオという形で、僕の活動を発信し続けられたことが本当に嬉しい。2人が日本に本帰国したら、再開するかー!!




See you next No Joke...


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