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「再会を日常に」

僕と拓の出会いは、2011年8月。
YMCAと言うNPO団体が行っている“ボランティアinタイ”と言うボランティアツアー、通称“ボラタイ”に参加した時。そのツアーは全部で10日間。参加者は全部で10人ほど。当時僕が21歳で一個下の拓が20歳。他の参加者は、僕ら世代が数名とあとは高校生など年下ばかり。大体が仲間と一緒に参加してきていた。

僕と拓は唯一の単独参加。さらに歳が近いと言うこともあり、必然的に一緒にいることが多かった。彼は当時から「高橋歩」に魅了されていて『世界一周に行きたいんです』と言っていた。僕は当時そこまで外国に魅力を感じていたわけではなかったが、東日本大震災を機に「人生一度きり」と思うことが多くなった。今回のボラタイに応募したのもきっとあの災害があったからだと思う。

彼はキラキラした目で「歩さんめっちゃすげえんすよ!奥さんと二人で世界一周してんすよ!」と高橋歩の魅力をアツく語ってくれた。旅先のタイにまで彼の本を持ってきていた。せっかくなので、その本を読ませてもらうと、確かにすげえ。日本に帰ってからも拓が持ってる彼の本を一冊ずつ借りて読んでいた(買え)。

タイでの10日間。ずっと同じ部屋で寝泊まりしていたので、毎晩寝る前は将来のことを語り合っていた。

「将来、何か一緒にデカイことやりたいな!」

こう、語り合った。そして日本へ帰る飛行機の中、「二人で旅とか行きたいな」「来年の春、行きましょうよ!」この会話で僕らの貯金生活が始まった。

二人が目指した期間は2012年2月〜3月、大学の春休み。僕らはボラタイで訪問した施設を再訪し、その足でそのままインド上陸する、と言うプランを企てた。そのために必要なお金はだいたい20万円。バイト代を全て飲み代に注ぎ込んでいた僕にとってはなかなかの大金。お互いにバイトを頑張った。

出発の日が近付いてきた頃、「そろそろ航空券取らないとな〜」と思っていたら拓から連絡が。

「事故っちゃって、金なくなりました」

なかなか面白いことを言う奴である。秋平を誘ってきたときもなかなか面白かったが、このセリフもなかなかだ。詳しく聞くと、どうやら原付で友達と海沿いをツーリング中、いい景色があったから吸い寄せられるように右折したら対向車に吹っ飛ばされたらしい。相手の車に傷が付いたのでその修理費で貯金が消えた、と言うわけだ。しかし、拓は無傷。愛すべきおバカである。

おかげさまで、タイとインドに一人で行くことになってしまった僕なのだが、二人で行動していたら決して出会わないであろう人々との、素敵な出会いの数々を得たのだから、人生何が正解かなんて分からん。

そんな拓とは秋平プロジェクト中、ずっと同じ部屋に住んでいた。“同じ家”ではない。“同じ部屋”だ。文字通り四六時中一緒である。過去の恋愛話や、今思っている感情、何一つ隠すことなく打ち明ける仲になっていた。彼が日本に帰る決断をした時もそうだった。

「俺、もう帰ろうと思います。」

好きなことをやって生きていきたい。その考え方はお互いの共通認識だった。彼の決断は、僕としては特に疑問に思うことはなかった。「まぁ、そうだろうな。」って感じで。僕は、なんで辞めたいのか、って話より、辞めた後何するのかって方に興味があったので、そっちの話ばっかりしたと思う。

彼の人生のテーマは「再会を日常に」である。人生において再会を繰り返していきたい。その為に自分は「ハチ公的存在」を目指す、というのだ。もう面白い。最後、僕は彼にこの言葉を贈った。

「大人になったら、その道が正解か不正解かなんて誰も分からない。自分が選んだ道を正解にしてください。」

これは、僕がインド行きを決めた時にとある方からいただいた言葉だ。これから壮大な挑戦をする僕の背中をしっかり押してくれた大切な言葉だった。

拓が本帰国したのが2016年3月終わり。僕らのプロジェクトが始まって9ヶ月のことだった。この“9ヶ月”というタイミングで辞めることは、誰も良かったのか悪かったのかなんて分からない。だったら自分で「正解だった」と思えるように毎日行動するしかない。

9ヶ月間、ずーっと一緒だった僕と拓は、ここからそれぞれ自分たちの道を歩く事になった。そりゃ、毎日寝る前にバカ話したり真剣に話したりする相手がいなくなることは寂しかったが、そんなことは大丈夫。彼と「再会するのは日常になる」んだから。彼の離脱をネガティブに捉えたことは一度もなかった。それより強く思ってたこと。それは

「誘ってくれてありがとう!」






See you next No Joke...

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