呟きもしなかった事たちへ_No.40(2022年10月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら索引もあります。

面白がる、とか「〇〇がる」と口に出す度に、「ブーケガルニ」が頭をよぎる。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

ゴムの欠片

東京駅で先日、3-4センチほどの湾曲したプラスチックの欠片を見つけた。見た事があるはずだが、思い出せない…と数日何となく思っていて急に分かった。

スーツケースのキャスターが割れた破片だ。東京駅は重いスーツケースを運んでいる人が多く、かつては点字ブロックや階段の付近によくこの破片が落ちていた。

人の活動が戻ってきて、こういうものも帰ってきたのだな。楽しい旅だったのに突如キャスターが割れてガタガタ言うスーツケースを引きずる時のいやな気持ちも、そういう悲喜こもごもも、人々に帰ってきたのだ。

社会

9月はもう、マジで調子が悪かったのであまり書く事が無い。この2個目のエントリが9月18日記載だ。何も書けていない。ちょっと愚痴っとこうか。いいよね?いいよ。

インフルエンサーが「推しに対してリアクション取らないと意味がないよ!エンゲージ!ソーシャル!」と言ったりする。分かる一方で、人間を社会に溶かし切りたくないと思ってしまう。思えば僕はそういうものは駄目なんじゃないかと言い続けているけれど、やっぱりそういう風に世の中は進んでいる。

そういう思想で「秘密基地」なんてものに参加している(他のメンバーがどうかは知らない)のだから、まぁそれはそう既定路線のナイーブ語りなのだけれど、オープンでソーシャルなものだけが、エンゲージだけが全てではない…という前提で世の中があってほしい、という淡い夢をやはり捨てきれないでいる。

月見

マクドナルドの月見バーガーを人生で初めて食べた。今まで食べたことがなかったのだ。エグチと何が違うのか説明を受けてこなかった(これは月見ブランドに胡座をかいていたマクドナルド君にも落ち度があると思う)し、そもそもジャンクなものを食べたいというときに卵を足してマイルドにする気持ちが分からなくて、マクドナルドをあまり食べないのに輪をかけて月見を食べる機会はなかった。

ところでVtuberというものを追っていると、まぁみんな月見バーガーを食べている。みんな、というのはVtuber本人も、そうして推しが食べていると知ったファンも、食べている。そんなに言うほどなのか?という気持ちがあった所に、秘密基地でガッとお客さんが帰ったあとの深夜のテンションが手伝って、勢い食べることが出来た。前のエントリーと一部相反するけど、彼彼女らにはマーケティング力がある(繰り返すけど、それは生きている上で不可避な部分であるとしても、それだけで人生を構成したくないという話が前のエントリーだ。)

食べてみるとまぁそれなりに美味しい。エグチとは違うソースが入っていたり、ベーコンが入っていたりする事が分かった(繰り返すけどマクドナルド君はちゃんとこういう事もCMで言うべきだと思うよ?)。季節限定にする理由は全く分からなかったし、レギュラー入りしていい(というよりエグチをリストラしたらどうか)と思うのだが、多分これも普段からマクドナルドを食べていて期間限定で味を変えたい人とか、僕とは全然違う生活リズムの人にとっては大切なことなんだろう。僕はもうマクドナルドのマーケティングの対象ではない(ので僕がマクドナルド君に対して言うことに意味はない)。

手帳

10月はじまりの手帳を買う。例年Rollbahnである。ポケットがついていて助かるのが理由だが、実はスリムタイプがあり、それを愛用している。デカいノート版は大きすぎ、ミニサイズ版はポケットにチケットを入れる際に折らないといけなかったが、このスリムタイプ版ならそうした問題がないのでありがたい。

ところが、街の文具屋に行くとデカいノート版とミニサイズ版しか売ってない(店舗でスリムタイプを売っていたのは銀座伊東屋だけであった)。ほかのメーカーの商品だと細長い手帳はいくらでもあるので、Rollbahnも全然売れるのではと思うのだが、どうにも店舗ではなかなかない。結局上記リンクの通りAmazonで買う。多分売れてないんだろうな。

こちらは街で大きな文具屋なり丸善なりロフトなりに行くのを楽しみにしているのだけれど、「お前の欲しいものは、世の中にはあるけれど、この店では売らないよ」と言われるのは、ちょっと寂しい。

今月、こういう話ばかりしているな。

二日酔い

二日酔いで頭が痛くなる事が無くなった。

もちろん、二日酔いになるような飲み方をした時には必ず体に負荷はかかっていて、昔より嘔吐はひどくなった。と言っても、酔う時に食べるものは減っているので、空になった胃から何かを無理に吐き出すことが続く。気持ち悪さは無いが吐き、頭痛もないが吐き続ける。昔は吐くことが少なくて、その代わり頭痛がしていたのだけれど。

先に書いた通り食べるツマミの量が減った事も関係していそうだが、それとは別に頭が愚鈍になった可能性と、胃が弱くなって吐いているのでそもそもアルコールの吸収が抑えられている(代わりに胃のダメージはデカくなったので吐く)という可能性も当然考えられる。いずれ、年なんだろうなという感触がある。

都市

クリフォード・D・シマックの「都市」を読んだ。面白い。1953年の作品、70年前と言うと随分古いが、「夏への扉」とかと同じ時期であるし再版もあってもいいのではないか。2022年に読んでよかったと思った。つまり今読むと良い。何せエンゲージに飽きた人間たちが人との関わりを絶って行く話から物語が始まる。

実は多分2013年くらいに古本で買っていて、ずっと本棚に寝かしていた。チャイナ・ミエヴィルの「都市と都市」が良かったなぁという記憶があったところに中野の古本屋で見つけて買ったものの、なんとなくタイミングが合わなかったのだ。9年放置していて、不意に読むものがなくて手に取った。だが先の通り、読むべき時は今だった。2013年に読んでもどうしようもなかったように思う。本は時にしてこういう時があるので、本棚に寝かしておくことに意味があるのだ(と信じて積ん読を増やす)。

話の内容としては古典SFと言ってよい。人間が集まるなんてろくな事にならないので、人間は木星で高次元知的生命体になった幻覚でも見せて穏やかに幽閉して、地球は犬とロボットに任せましょう、という恐ろしく牧歌的な(そして分からなくもない)主張がしばらく続くのだけれど、唐突に最後の方で闘争心の話が出てきて、人間だけが持つ進化と生存の秘法は他者をつぶす精神(でも、それでも人が人に会いたいという気持ちは本物さ)という碇ゲンドウを殴り飛ばすような事を言い出して終わる。だから人間が集まる事はクソで、それでもあるいは、人間が集まる事は最高なんだろう…それが「都市」(タイトルバァーン)、みたいな話。

上の「社会」で書いたような話を70年前からやっているのだけれど、あんまりに牧歌的で笑ってしまった。流石にもう少し人類も頭使えるようになっているな、という実感があった。そういう意味で良い慰めだった。

うどん

普段あまりうどんを食べないのに、2日で3食も食べた。群馬の方に行く用事があったので、そういえばうどんが美味しいはずだと食べた。行きがてらに武蔵野うどん、現地朝食で水沢うどん、帰りがけは小さいSAで肉うどんと舞茸天、まぁそれらしいラインナップだ。

夏に久々に高松に言って讃岐うどんを食べて改めて思ったけれども、うどんは確実にヒットを打てる代わりにホームランのような爆発的なうまさは無いように思う(ちなみにそばはその代わり、外した時のショックもデカいがホームランを打てるタイプだと思う)。そんな訳でどうもうどんを避けがちだったのだけれど、旅の中で感情のバフがかかる事(多分ちょっと普段より美味しいと思いそうだった)、旅が忙しいので胃に負担をかけたくなかった事、などを勘案してうどんばかり食べていたところ、目論見通りこういう時はバランスのいいうどんが凄く良かった。なるほど、こういうものなのだ。どれもこれも美味しく食べた。良い旅の記憶だ。

旅に同行した嫁は途中でそばを食べて「普通だった」と言っていた。そばだとそういう事もあろうな。こういう時のためのうどんなのだ。ヒットでも十分嬉しい時、むしろ旅みたいなハレで食べるべきもの。普段食べないことでハレの時の祭り感は増すので、普段は食べないのも正解だろう。

という訳でしばらくさようなら、うどん君。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。