呟きもしなかった事たちへ_No.10(2020年5月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら

買ってくれとネットで(全農に)言われて牛乳を買った。牛乳なんぞ多分数年単位で買っていなかった。買えばまぁ使うし、買えばまぁ美味しい。美味しいのは知っているが、生活になかったのだ。多分ポテトチップスとか、はんぺんとか、美味しいけど買わないものも誰かに買ってくれと言われたら買うのではないか。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

在宅趣味

自宅にいることも当たり前になってきて、いよいよ在宅での新しいホビー活動を考える時が来たかもしれない。

趣味としての料理は、煮込み料理やオーブン料理で時間を使うことが多かったが、やはり電気ガスにはそこそこ響くし、これから夏場に向けて部屋が暑くなることはあまり得策ではない。

やはりうどん打ちだろうかと一念発起し、麺棒とクッキングマットをamazonで買った。これが届けばうどん打ち生活である。朝起きて、うどん生地を寝かせてから仕事に取り掛かるのだ。そしてWeb会議で「あーその案件もちょっと寝かしてました。生地と一緒に。」とか言うのだ。じゃかあしいわ。

アンバランス

採用面接のリクルーターをやる事になり、在宅にしては久々にワイシャツを着てネクタイをし、ジャケットを羽織る。しかし下半身は見えないし、スラックスで座椅子に座るのも落ち着かないので、普段通り綿パンをはいた。

…何かが変だ。クールビズの時(上はワイシャツのみで下は綿パン)ではおかしくなかったのに、「ネクタイをするのに綿パン」というバランスの悪さが目立つ。試しにジーパンにしてみたらもっと変で笑ってしまった。結局スラックスを履いた。

バランス

上の話の続きだが、ビジネスウェアが上だけ売れているらしい。まぁそういうものか。「マスクで隠れる部分はメイクしない。」も、なるほどなと思う。Web会議などもVR Chatのようなアバターの導入を望む声もTwitterなどで見る。

便利だと思う一方、そういう「アバター」としての自分とそうでない自分のバランスを取る必要はあろう、とは思う。いわゆる「バ美肉」をした結果自身の中の「可愛いと言われたい」内面が育ったものの外にいる自分は変わらず男である(という難しさ)、というnoteを読んだことがある。

「仕事は好きではないから見えるところだけしっかりしていればあとは適当でいいや」と「ちゃんと装った方がカッコいい(かわいい)自分だ」は、変に同居させない方がいいのではないか。とはいえ、これはあくまでもコンテキストの問題なので、人によっては全然問題ないのだろうなとも思う。

上だけワイシャツの自分を鏡で見て変だと思ううちは、多分、そうすべきでないのだ(変じゃない人はそうしてもいい)。あるいは繰り返しているうちに変だと思わなくなるのかもしれないが、どうも繰り返したところで僕が望む自己実現としてのファッションではないという違和感はぬぐえないように思う。

エノキ

エノキを一袋いきなり使うときは、袋から出さずに袋ごと石づきを切った方が(石づきのごみが散らないので)良い。知っている。

知っているが、知らないと気づけない事だとも思う。事実いつの頃までかは定かではないが、昔は律義に袋から出してエノキを切って、石づき(とそこから散らばるゴミ)を片付けていた。何で知ったのだったか…こういう出所の忘れてしまった知識でも日常は彩られている。

生活の交換

3月号で書いた、ネットスーパーの手違いで届いた日用品だが、その後スーパーからはすぐに連絡が来て、「届かなかった商品分は返金します」「間違って届いてしまった商品はお客様に処分をお願いいたします」との事だった。

新品を捨てるのもしのびないものの、自分で買ったわけではないものは何か違和感があるな…と脇に置いておいたのだが、エイヤと整理して使い始めた。使った事のないブランドのマウスウォッシュ、使った事のないサイズのサランラップだ。使ってみると、悪くない(というか、「悪いマウスウォッシュ」「悪いサイズ感のサランラップ」ってなんだ)。だが、何か違和感は消えない。

多分、どこかに、「へぇ、使ったことなかったけどルックお風呂の洗剤いいじゃん。でもどこか勝手が違うな。」と僕に届くはずだった日用品を使いながら思ってる人が居るはずだ。生活を交換している。王様と乞食みたいなやつだ。平民同士なのだが。

それにしても、平民同士だろうと、生活の一部を交換するというのは凄い事だと思う。みりんや味噌など、使っている調味料を急に他の家と交換されたら発狂しそうだ。あるいは、お互いの家庭で夕飯を作って交換する(一緒には食べず、作り終わった瞬間に交換して、自宅で食べる)とか、ものすごい違和感がありそうだ。奥さんが作った夕飯同士を交換する夫とかいたら、ヤバい。実質スワッピングじゃん(口調も変わってしまう)。

家にいると会社にいるよりガバガバとコーヒーを飲んでしまうな…と思っていたのだが、ある日湯を沸かす小鍋が使われていた(嫁が寝坊したので、朝食の汁物が残っていた)ので、家の前の自販機でペットボトルのコーヒーを買ったところ、減るスピードが会社にいる時と同等になった。

…蓋だ。蓋を外すアクションが面倒で飲まないのだ。

ひょっとすると飲酒も、缶のように一度開けたら最後のものではなく、スクリューキャップになっていれば控えられるのだろうか。いや、蓋をしないだけな気がする。ペットボトルだと気にならないが、ZIMAとかをいちいち蓋するヤツは何か嫌だという感覚がある。

※エノキの回に関連して、こちらもお読みいただけると幸いです(宣伝)。記憶と会得の話。


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