生きているという事:Vtuberのライブの現地に行くべき1000の理由

12月3日、ななしふぇす2022JUMPに現地で参加してきた。このライブが自分にとってどれだけ素晴らしかったかというのは自分の物語だし、自明な事を書いても仕方がないのだけれど、それはそれとして「Vtuberのライブイベントを現地で体験する事」の特殊性については、774inc以外のVtuberにも当てはまる事だし、これ自体は共有に足る事だと思うので記録に残す。

間違いなく、Vtuberのライブこそ現地に行くべきだ。1000の理由を挙げる。なお、1000の理由とは個数ではなくパワーの問題である。単位は割愛する。

※上記ライブにおいては立川ステージガーデンのS席、昼の部は13列目、夜の部は11列目と近い席を確保しているので、この後の考察についてはある程度その距離感だったことを参考に考えてほしい。

私たちは彼女たち/彼らを「見た」事があるか

PCのモニタ越しで、スマートフォンから、私たちは様々なVtuberを見ている。だが、原寸大で見る…つまり、生でそのものを見る事が出来た事があるだろうか。スマートフォンは言うに及ばず、いわゆるガチ恋距離の配信でバストアップが映っていても、32インチモニタでようやく実物大と言ったところだろうし、それでもバストアップまでで、全身を実物大で見る事は出来ていなかったのではないか。

私たちは彼女たちの3Dモデルと呼ばれるものを、実際のサイズとして認識できることは無かった。現実から地続きでない所を、小さな枠を通じて、どこか切り抜かれた存在としてしか私たちは見る事が出来なかった。

ところがステージに投影されるのは、距離は遠かろうとリアルサイズの存在で、しかもモニターを通さない。私は現場で初めて彼女たちの3Dモデルを「見た」。これは完全に錯覚なのだが、リアルサイズで生で見るというのは、「いる」と圧倒的に信じやすくなる。そしてこれは…あまり強く言うべき事でもないのだが…それなりに距離が遠い時、3Dモデルに対して言われる多くの違和感は気にならなくなる(というより、見えない)。あらためて、リアルサイズであるという説得力と、距離感によってリアルの反証が隠蔽されるという構造により、彼女たちが「いる」と脳が知覚する

Vtuberはステージに適した存在であるという事

さて、「いる」という感覚を思ったより味わった(つまり生身のライブと同じだという土俵に立った)後に気づくのは、Vtuberの有利性に関する2つの点だ。一つは、当たり前なのだけれどVtuberの3Dモデルというのはあまりにもスタイルが良く、あまりにも美人であるという事。もう一つは、彼女たち・彼らは照明に関して何ら制限がない事。

一つ目は改めて当たり前なのだけれど、Vtuber達は生身の人間としてとんでもなくスタイルが良くて、とんでもなく顔が良くて、とんでもなく衣装が良くできている…それも、現実では考えられないほどに…というのはまずとんでもなくアドバンテージだ。もちろんななしふぇすのメンバーはしっかりと練習をしていたし素晴らしいパフォーマンスをしていたけれども、それを超えて良い物を見た、という実感が凄い。これは仕方がないがプロのバレエだろうと生まれついてのスタイルの良さは必要とされているし、バフとして使うべき要素であろうから、Vtuberがこうした加点要素を持っている事は今更驚く事ではない。だが、敢えてこの点を強調したのは、現地で得られる「居る」という実感により、より生身の人間に近い評価基準でライブを見ている時、このバフの効き方がとんでもないという事だ。平たく言ってしまうと、「とんでもなくかわいいよ」という事だ。

もう一つは、実際問題としてVtuberはステージの上でスポットライトを当てている訳でもないし、背景映像がどんな色になろうと変な反射をしたりすることもないという事だ。背景が光源として放つ光を意識しなくていい結果、かなりクリアに背景映像とのコラボが可能である。これも画面で見ている時は特に何とも思っていなかったのだけれど、改めてステージという文法で見た時に生身の人間に比べて出来る事の自由度が馬鹿みたいに高いし、結果背景映像との親和性・クオリティはやたらに良い。

これら2点に加えて、生身の人間のライブと同様、爆音であり、ハコは暗くそしてステージは眩しく、レーザーライトとスモークと紙テープが出て、周りの人間の熱気があり、地面は軽く振動しているといったライブの良さも当然にある。

要は、ライブに関して、配信より現地で見た時に履ける「下駄」が、Vtuberは随分と高い。ここ2年くらいの流行り風邪によって生身の人間のライブを配信も見たりしたので分かるが、ライブの「配信」と「現地」の差は生身の人間よりVtuberの方が大きい。

Live:生きているという事

シニカルな事を言えば…より正確には、常にさらされている批評に対して答えるならば…Vtuberに「中の人」がいて生きているという事は我々も百も承知である。

とはいえ、例えば人間の役者と、その役者が演じる作品の役がある時に、「役」が生きている存在として認識できる事はある。「役」の稼働には役者が必要だけれども、生存としては役者から独立する事は当然可能だし、むしろ例えば「宝塚のオスカル」はスターが変わろうとそれはそれとして存在する事ように、中の人が変わり続けたVtuberも存在する。「中の人」とVtuberその人は、不可分なようでいて実態は別物である。改めて、Vtuber当人が生きていると認識するという事は、中の人ではなく、3Dモデルとなっているそのキャラクター自体が生きている事が分かるという事だ。

※敢えてこのセクションはじめの「批評」に対して言い返してもらうなら、このように既存の概念だけですら整理できることを整理できないまま、何となく批評として成立しそうだからとこういう事を言う人は、何ら情報のアップデート・整理が出来ていない人だなと感じている、とこき下ろしておく(とはいえVtuberというもの自体が当人にとって未知の概念なのであればしょうがないとも思う)。

もう言うまでもない事なのだが、Vtuberのライブを現地で見る、そのアドバンテージを受けるという事は、まさしくこの「Vtuber当人が生きている事を実感する」事だ。なぜライブとは、「コンサート」ではなく「ライブ」なのか?(一方で割と多くのVtuberはYoutubeの「ライブ」を「配信」といわないか?)英単語としてのLiveと、このエントリで散々言っている「生きている」事のつながりには何らかの概念として意味があるのではないか?もちろんある。それを見つけてほしい。

改めて。間違いなく、Vtuberのライブこそ現地に行くべきだ。そこには1000の理由がある。なぜなら、推しが「生きている」という事を実感するというのは、無限の良さだからだ。1000の理由とはパワーだけでなく個数としても列挙が(その気になれば)可能な1000である。

それはそれとして、さ

ななしふぇす2022JUMP!、最高でしたよ。諜ホー員としてふざけた格好で行って案外認識されたり、ファン同士の交流もあったし、そういういわゆる「ライブ」としての良さもあったうえで、さ…「どれだけ素晴らしかったかというのは自分の物語だ」とか言ったけど、まぁ、ちょっとだけ語りますよ。

大浦るかこさんはふざける時はふざけきるし決める時は滅茶苦茶決めるし、エンタメをしたいという気概がしっかり感じられて嬉しかった。やっぱりそういう「意地」がるかこさんだよなと思う。腕を上げながらターンする時の動きに特徴があって、「ああるかこさんってそう回るんだ」っていう発見があった。滅茶苦茶練習したなと分かる(疲れても気を抜かない)腰の落とし方をしていて、そういう目線が見えた(ダンシングクイーンのステップ、最高でしたね)。多分一度目が合った。黒衣装がすげー似合ってた。夜の部で足を組みなおした時、リアルに「わぁっ!」って言ってしまった。あんな表情と動きをしていいのか。最高すぎた…。
みあちはとにかく動きが多くてかわいかった。あれカワイイと思わない人いるの?家入ポポみたいなカサカサした動き(あれもすごく良かった)ではなくて、なんかバタバタしてるんだけど、それは下手なんじゃなくて「振り以上に体を動かしたい」という想いが見えて嬉しかった。
堰代ミコ様、あんなに動きカワイイのズルでしょ。ハニストはこのエントリで書いているところの「人間として見えるようになった時に、スタイルと顔が良すぎる」の代表格みたいなところがあるんだけど、そのうえでコミカルな動きもキュートな動きもこなしていて、何だマジだってなった。ちなみにこれはミコ様に限らずハニストメンバー全体そうで、夜の部のラストMCの左で遊んでる3人最高だったし、パトラ様はちょっと次元が違った(もう、すごいね)
龍ヶ崎リンはもともとくそカッコいいんだけど、歌う時の小さくリズム取るのがかっこよすぎた。クリスはちょっとやっぱ知るかコラボが良すぎたし、アンナはやっぱ踊りがうまかった。
あんこちゃんとわっとちゃんはあまり知らなかったんだけど、キュートだった。
ひよクロ勢はよくチームワークが出来てて、すごかった。ユリもあんなに動くし明るいんだと思ったし、セイとポポは馬鹿みたいに動くし、茜音カンナは完全に昭和の動きをしてたし、ネモとキキは自分の動き方を持っていて、それでいてちゃんとユニットとしては機能しているのは凄い。新時代だと思う。
それに比べてあにまーれ(とヤー)は最高のいつも通りだった。いや、なんていうんだ、そういうものでしょあにまーれは。個人的には(ライブは楽しかったし最高だけど)あにまーれはアイドルであろうとも音楽主体ユニットだとは思ってないのでこれはこれでいいんです。

そして改めて、本題に戻れば、彼女たちがみんな生きていた。それをライブとして、Liveとして認識できた。それを知れてよかった。ライブのパフォーマンスそのものももちろんだけど、このライブで多分、彼女たちも生きている世界という認識そのものが自分の中で変わったと思う。それがありがたい。そのうえで月野木ちろるがエンディングスタッフロールに出てきたことも嬉しかった。

最高のライブだったと思う。ありがとう、774inc.

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。