呟きもしなかった事たちへ_No.25(2021年7月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら索引もあります。

ビールよりはハイボールやウーロンハイの方が体に良いと言われて普段飲む酒を変えていたのだけれど、この生活習慣変更の一番の良さは「たまに飲むビールがうまい」事だと思う。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

麻雀

数年ぶりに友人と麻雀を打つようになった。といっても、今更オフラインで台を囲う事は出来ないので、ネット麻雀をしながらオンライン通話をするという形だ。今どきの若い子ならAPEXとDiscordである。

家族麻雀、学生時代の仲間打ち、何の因果かやたら強い人と飲みの席の勢いで卓を囲う時期、オンラインで知らない人とのプレイ(無言)、今般オンライン+通話という形で友人達と打つ…色々な形態で麻雀を打ってきたが、そのどれもが打っている感じが違う。ルールや勝利条件だけでなく、コミュニケーションの度合いも異なると、全然別のゲームに感じる。

思い返せばhigh and lowとインディアンポーカーは本質的にゲームにおける要素は変わらないのに、ゲームとしての味は全く違う。元来麻雀はかなりプレイスタイルに人間味が出るゲームだが、そこに加えてこうした差が出ているのかもしれない。

ちなみに、ゲームでやると総じて他人の動きが頭に入ってきにくいな…とは思う。牌を手でいじくっている姿から情報を多く貰い過ぎていた。オンラインでやっているとそういう情報をそぎ落としても牌から情報は取れるんだったな、という事を思い出させてくれる。

本棚整理

本棚から本があふれ出て半畳ほど床をふさいでいたので、思い切って本を大分処分した。かなりの現金になりホクホクになったが、愛の新世界などの稀少本も一部売ってしまった事による。日本に800部しかないんだぞ、というといかにもだが実は結構ちゃんとした所が出す同人誌もそれくらいだし、珍しい作品の翻訳なんて奇書と言わず「妙に立派な同人誌」ぐらいの扱いで考えた方がいい気もする。

と、今Amazonで検索して増補版が出ている事を知る。なんだ。

整理していたらファウルズの魔術師も出てきた。ボロボロだったので新品が欲しいなと思ったら未だ復刊されていなくてレアが付いていた。いずれ読み返したいのだが社会人で読むと色々自分に跳ね返ってきそうなので、復刊が出るか会社を辞めた時にでも読もう。

おもちゃ箱

Baroque展に行った際に、アクリルスタンドなどを買った。以前はあまりグッズなどを買わなかったのだが、応援するには買わない訳に行かないよなと最近は買う。メギドも割とグッズを買っている(メギドに関しては、正直本体のゲームで課金しづらいのでグッズをせめて買っている)。

だが、整理を必要とするほど本棚はぎっしりで、他に飾る場所があるわけでもなく、グッズは買ったもののしまい込むしかない(これがグッズを買わなかった理由でもある)。しょうがないので、使い道に困っていたモロゾフの缶にメギドもBaroqueも他のものもグッズを適当に放り込んでいる。開けるとカオスだ。大人になってこういうおもちゃ箱を持つようになるとは思わなかった。

そして恐らく、メギドとBaroqueの世界にみるちーずのアクリルスタンドが入ったりする事になるのだ。どういう世界観だ。新しい凌辱か。

昼休み

4月に嫁が異動して、二人とも在宅勤務の日が多くなった。そうして「昼休みが短いな」と思うようになった。

大前提として、僕は僕の家庭として思う理想がある。二人で家にいるのであればちゃんとした食事を出したいし、皿をシンクにためておくことはしたくない。なので、出社していた時は弁当だったが今はちゃんと昼に食事を作るし、会社の昼休みなら弁当箱を洗わなかったが今はちゃんと皿洗いをする。

昨今の在宅勤務要請の背景を考えれば我が家のルールに対して会社がどうこう言える話ではない。そして僕の家庭では1時間の昼休みでは食事は出来ても家事をするので休憩にはならない(会社にいたころは30分昼寝していたのだが)。それでも、相変わらず昼休みは1時間となっているし、13時からは会議が入る。

出社したい…勤務するなら家にいたくない。家にいるなら勤務したくない。家は僕らのものなのだから。

麺をゆでる。

麺の説明書を見ると1束(1人前)で1~2リットルと書いてある。多い場合は2~3リットルなんてものも見る。まぁ落ち着け。要はあれか、毎回寸胴鍋を持ってこいという事か。

我が家でのやり方は、寸胴ではなく普通の鍋に水を張った程度なので2束で1~2リットルか。メーカー推奨より大分少ないが、正直問題はない。

思い返すと実家は昔寸胴でいちいちパスタをゆでていた。そしてその分、母はパスタをあまり作りたがらなかったように思う。面倒だったのだろうな。母はある時何かタガが外れて今の僕と同じように普通の鍋でゆでるようになったが、きっかけは何だったのか聞けずにいる。

麦茶

三国屋のレモン麦茶を人からおすそ分けいただき、美味しく飲んでいた。キンミヤ焼酎を割ると美味しいと言われやってみると確かにいい味だ。夏場に良い。自分でも追加で買った。

ところでこの麦茶パック、「水出し」と書いてある。レモンの成分がお湯だと飛んでしまうのかなと思い馬鹿正直に水出しにしていたのだが、先日沸かした湯を冷ますのを忘れてそのまま麦茶パックを放り込んでしまった。結果その方が味が濃いし、なによりレモンの香りも麦茶の香りも強くなってよかった。…あれ?

三体

無事完結した。まぁなんていうか、相変わらず話をちゃんとつなげる事よりも面白いと思うエピソードをゴリゴリ盛り込む事を重視しながら無理やり話を作っていた。おおよそ下記Ⅱのレビューで書いていた通りで、「負けん気」の化身ウェイドというキャラが物語を動かしていた。

が、ウェイドがいなくなった瞬間話がほどけた。主人公が話を作る気が無さすぎるのが原因なのだけど、多分「完結編は愛に溢れた女主人公にしなきゃな(世相をチラ見)」みたいな感覚があったのだろうと思う。無事エンディングは迎えられたが、あまりに1・2部の主人公と違ったし、筆も乗っていない感じがした。まぁそういう所は折り合いを本人の中で付けているのだろう。上記レビューでも散々書いた通りだけれど、作者はウェイド側だ。

ただウェイド、流石に「人間性を失えば、我々は多くを失う。しかし、獣性を失えば、我々は全てを失う」は話の流れとしても言い過ぎだろう。負けフラグのセリフ過ぎるし、いきなりフロムソフトウェアみたいになるなよ。

解像度

相も変わらず隙さえあれば都内の色々なドーミーインに泊まっているのだけれど、そうするとドーミーごとの差が見えてくる。あるドーミーでは風呂場でかかっている曲が、別のドーミーではテレビシステムの待ち受け画面の曲であったりする。そうして遂に、以前のエントリーで「ファー」と言っていた曲はStarlight、「ポーン」と言っていた曲がGrand Blueという曲名である事を知った。

知ってどうと言う話ではないが、こういう知識で解像度が上がると何となく楽しい。実際今度ドーミーに行けば「お、Starlight」と思うだろう。そういう、不意に脳が動く瞬間が好きだ。

諸説

NHKの「チコちゃんに叱られる」で紹介されたエピソードが完全に間違っている事がtwitterで指摘されていた。指摘のtweetはツリーでしっかりと事実を列挙しており面白かったのだが、リプライに

諸説あります、って書いてあっただろ

という書き込みがあったのが気になった。まだどれが正しいか分からない諸説が有る事と、それとは別のある説が説として明らかに間違っている事は特に相反しないし、その上で「諸説あります」と書けば既に間違っていると分かっている説を堂々とメディアで披露していい訳ではない…と直感的には思う。

しかし確かにインターネット※1にはギャグ※2の作法※3として、大袈裟な嘘やホラ※4を書いて「諸説あります」と後ろにつける事がある。こうした表現に触れているうちに「諸説あります」と書けば誤りや嘘を掲げても良いように捉えている人がいるかもしれない。※5

※1:主語の広さには曖昧さが含まれます
※2:当人は真面目な可能性があります
※3:作法と言えるまで定着しているかは評価が別れます
※4:当人にとっては嘘ではない可能性があります
※5:諸説あります

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。