呟きもしなかった事たちへ_No.61(2024年6月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら索引もあります。

近所で、柴犬を散歩させながらトマトを丸かじりしている青年がいた。なんか良かったな。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。


Amazon凌辱

テレビでAmazon  PrimeビデオのCMをやっていると、なかなかテレビも厳しいのだろうと感じる。だがまぁまだゾーニングと言うか、提供するものの方向性が違う部分もあろうかという安心感はある。

先日昼食を取っていたレストランの店内で、Amazon Musicが番組提供をしているラジオ番組が流れてきて驚いた。いよいよラジオとなると方向性も似通ってくるし、そもそもラジオ番組側もAmazon Musicのポッドキャスト機能を使っていたりする。

言ってしまえばライバル産業の富豪から広告料をもらって糊口をしのいでいる訳だ。いずれ自分を殺してくるであろう人からの施しを受て生き延びるという話で、故事成語かことわざにありそうな話に感じる。

ガルシア・マルケス

「出会いはいつも八月」を読んだ。「百年の孤独」のガルシア・マルケス、その最後の作品にして、未完の作品である。

読み味としては「エレンディラ」の短編に近く、オチもそんな感じだが、訳者あとがきにも書かれている通り全然仕上がっていない。ひとまずガッとあらすじを書いた後徐々にブラッシュアップをしていくという手法なんだなということは明確に分かるようになっている。要は「未完」なのではなく、後半の出来が「ラフ段階」の漫画を読んでいる感覚だったので、話の筋をどう作っていて、どこを盛っていくかという作業手順は分かる。まずそれはガルシア・マルケスの創作手法の記録として面白い。

人の人生との清算の過程で、自分の人生を見直すこと…というテーマはかなりガルシア・マルケスらしかったし、島の開発が進んでいくの様は「百年の孤独」っぽくもあった。そういう意味では終作らしい集大成と言える。上手く行かなさと、それに対しての優しさが、作家にも登場人物にもある。そこが魅力だ。ガルシア・マルケスの話は大浦るかこさんの投稿で紹介させていただいたしその際にはコメントも拾ってもらってよく話したのもあって、ガルシア・マルケスの死、るかこさんの引退、作中キャラのこと、そういうことが折り重なった不思議な読書体験だった。

あらためて前半の方は仕上がってきているだけに後半とのギャップが惜しいなという気持ちにもなるが、元来のガルシア・マルケスを知っている人にはお勧めできる、というところか。

デマ

4月末、マクドナルドでナゲットが安くなっているし酒のつまみに買いたくなったが、ナゲットだけ買うのも悪いしポテトも買おうというつもりで店内の列に並んでいた。だが、不意に不安になってきた。先日どこかで誰かが「マックのポテトの味が変わった」と言っていたからだ。それがどこかも思い出せない(おそらく飲んでいた時だろう)ので、ソースとして信頼できる話でもなく、ネットのデマ程度の話だが、なぜかリアルで聞いた話には引っ張られてしまう。結局、ナゲットのほかは、ハンバーガーのパティ増量を買った。

それから1か月以上経ち、まだポテトを食べていない。そもそもマックに1ヶ月に一度も行かないから変ではないのだけれど、何かが自分に残っている気がする。

洋食

たいめいけんのカツサンドを買って食べた。カツサンドに関しては大叔母の影響もあり「まい泉」一筋で他は食べてこないでいたので、まぁものは試しというものだ。

食べてみると味が違う以前にアプローチがぜんぜん違う。洋食屋ととんかつ屋の違いがしっかりある。前者は衣も含めて脂の旨味をブーストさせること、後者は衣を使って豚に丁寧な火を通すこと、それぞれに意識が向けられている。面白い。

ハレの食べ物としては洋食のアプローチだが、個人的にはお弁当のカツサンドを食べるテンションはハレではなく、もっとこう、クオリティを守りつつも平熱で行うことだったと分かる。結局はまい泉が好みという結論になった。

ヒット

もうずっと忙しくしていて、ストレスも強く調子も悪いなと思い続けていたし、その状況下で草野球に出ても三振を繰り返していた。それでも止めたら二度と戻ってこれない(むしろ下手になる)と思ってしんどいながらも参加は続けていたところ、先日妙に相性のいいピッチャーで球も見えたしクリーンヒットも出た。

体調的にはしんどかったが、嬉しくなって野球から帰ってきて(運動もしたのに)筋トレをし、その後秘密基地に行き、翌日の日曜も買い出しに行って常備菜を4品も作った(最近の日曜日は無理くり仕事をしているか、寝ているかだった)。完全にテンションは戻っていて、ストレスがかなり軽減されている感じがする。たったのヒット一本で。

あらためて野球のヒットを分解すると、広い空・広い土地の開放的な場所で、ものをぶっ飛ばすと、知り合いから歓声が上がり褒められるという、まぁ気持ちのいいことばかりで構成されている。よく出来ている。そういえばチームメイトのピッチャーは7回完投奪三振6の勝ち投手だったが、2三振1ゴロで「俺今日何にし来たんだろう」と言っていた。かなり完璧なピッチャーとして来ていただいていましたよ、と思うがまぁ気持ちも分かる。そういうものなのだ。

ヒットは嬉しい。

野球を37歳から始めたので、練習の苦しさとか部活の嫌さとかを知らず、ただただ良さを見ているところはある。多分野球を子供の頃経験した人はここまでピュアにはなれない気もする。それでそういう人はゴルフに行くのかもしれない。

雑学

「全身麻酔の仕組みは実はよく分かっていない」

30歳以上の人間は一度は聞いたことがあろう雑学だろう。「トリビアの泉」や「豆しば」など、雑学が流行した時期というものがあって、手垢の付いた雑学というものがある(ニシローランドゴリラの学名はゴリラ・ゴリラ・ゴリラとか)。冒頭の一行はそうしたベタものの一つである。

しかし、少なくとも僕がこの雑学を聞いて20年近く経つ。もう「よく分かってない」ことはないんじゃないか?という気もする。

調べてみたら2020年くらいに結構解明が進んだという記事があった。意外に最近だ。

脳神経の仕組みは微細な物質の話になるため、最後まで「分かった」というのは難しい気もするので、「実はよく分かってない」が覆るにはもう少し時間がかかりそうだが、だいぶん分かってきた方ではあると思う。

危なかった。こういうアップデートを気が付いた時にしないと、「会話のデッキに未だに雑学が入っている」うえに「雑学自体が古い」という最悪の事態になりそうだ。あるいは、そもそも「会話のデッキに雑学が入っている」ことを令和には止めるべきという説もある。

このエントリー、全体的に大浦るかこさんの「裏ラジ」で流れそうな話になってしまった。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。