呟きもしなかった事たちへ_No.52(2023年9月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら索引もあります。

旅先でたまたま「インターネットハウス江島」というアパートを見つけた。いい名前だ。遊びに行きたい。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。


猟奇

嫁が蚊に血を吸われ、その後血を吸った蚊を倒した。

血を吸った蚊は僕のビジネスバッグに止まって体を休めていたところを嫁に叩き潰されたので、果たして体内に蓄えていた鮮血は僕のビジネスバッグに飛び散ることになった。嫁の血が付いたビジネスバッグで通勤する男の誕生である。

このエピソードで最終的に僕が猟奇的な感じになるの、納得が行かない。

コショウ(防災の日)

会社の防災バッグに入っていたアルファ米が賞味期限が近づき、入れ替えのため古い方は家で食べろと指示が出た。ドライカレー味と言っているがどうせパンチは薄かろうと思ったら案の定で、そのままではあまり満足しなかったものの、予め用意していた胡椒をかけて食べたらこれはなかなかおいしかった。

以前嫁が入院した時、病院食のメニューを見てS&Bのテーブルコショー(あれはコショウではなくコショーなのだ)を持って行った。果たして嫁の入院生活は格段に良くなり、本人も「あれはマジで助かった」「大航海時代の意味が分かる革新」と言っていた。

防災バッグに胡椒を入れておいた方が良いかもしれない、というのは本当に思う。サイズとしても小さいし、ちょっとした避難中のQOL上昇グッズとしてはかなり良いのではないか。

エスカレーター

近所に、1Fにスーパー、2Fにダイソーがある建物があるのだけれど、ダイソーに上がるエスカレーターが、「左:上り 右:下り」の時と「左:下り 右:上り」の時がある。大したことではないが、気持ち悪くて面白い。

時間のゆらめき

先月伊勢に旅行に行き、松阪に寄った際、当てにしていたお店が2件も休みだった。定休日ではないのは事前に確認していたのだが。

実は松阪は、散歩中にも、潰れているわけでもなさそうなのに定休日外の曜日で休んでいる店がいくつかあって、面食らったものだった。曜日の概念が破綻している。

高級品

ディオールの化粧水を使った。と言っても先日嫁の誕生日に化粧品を買ったら試供品を付けてくれたもので、旅行中の1回きりの話だ。

しかし1回でも分かるくらい、ものが良い。普段のものとは文字通りレベルが違う。香りも良いし、肌に乗る感じもとても良い。なるほどこれは確かに高級品でも欲しくなる気持ちが分かる。

それはそれとして、ディオールの商品にかならずいるお前は誰だ。

ディオールらしい目元と口元ではある

ちから

先月の旅行中、着ようと思ったTシャツだけに謎のシミが浮かぶという不思議なことが起きた。カバンの中は他に濡れている者や汚れているものも一切なく、ただ明日着ようと思ったTシャツだけに理由なくシミがついているのだ。

原因として思い当たることは当然なかったのだけれど、エピソードとして思ったのは「シネドススプレー」こと「お伊勢さんお清めスプレー」である。伊勢神宮外宮の参道…から1本脇道にあり、“伊勢をいつも感じられる”というコンセプトで、商品名とは裏腹にギリギリで伊勢神宮とは関係がないものだが、実際店舗に行ってみるとアンビエントなヒーリングミュージックが流れていたり神道らしさはない。商品一覧でも分かるが、お清め転じて「縁切りスプレー」だけでなく「スプレーケース」のパンチの効いたデザインはなかなか振り切っていて、冗談半分でスプレーケースだけ買った。要はなめてかかったのである。「お伊勢さん」、本社青山だし。

しかしこのケースを買ってカバンに入れておいた数時間後のTシャツシミ事件である。思い起こせば「シネドススプレー」と言われるだけ、そうしたエピソードには事欠かないのがこのお伊勢さんお清めスプレーであり、何らか「ちから」はあるのだ(それが信仰なのか、あるいは他の何なのかは知らない)。それを見くびったせいだろうかと反省した。

それはそれとして、という順番で話すものではないのだけれど、上記の通り「お伊勢さん」のショップに行ったということから分かる通り、本来は伊勢神宮に行くのが旅の目的だった。外宮も内宮も行ったのだけれど、素晴らしいものだった。キリスト教の教会や仏教の寺は(信仰の対象がそこにいてくれるわけではないので)「場のちから」というか、場にいる事で体験があり、その体験の神秘性から対象の存在を感じる一方、神社は「そこにいる(あるいは来てくれる)ように準備している」空間なので、対象の存在感=「対象のちから」から神秘性が生まれるという、順序の違いがある。「結果としてのちからがある場所」としての教会や寺、「存在としてのちからがある場所」としての神社、と言った方が分かりやすいか。端的に言うと、居る(居た)と分かる。「古 天地に 人 神聖(かみ)と 倶ニ有(ま)す世」(「永久ニ」より)。すごい。すごいと理解したので当然だがお守りを買った。

カバンの中でお守りと「お清めスプレーケース」が同居していたことに今思いが至った。清濁併せて人、というにはちょっと悪ふざけが過ぎたかもしれない。シミの原因はこれか。

区別

調布と府中が区別がつかなくなることがある。実際電車に乗っていて間違えたりしたことはないのだけれど、人と話していて「音楽ホールがあるのは…東…府中…だよな。西調布じゃないな。…本当に?」くらいの混乱はよくする。

幡ヶ谷と初台も隣同士なうえで結構怪しくて、オペラシティがある方が初台、いい飲み屋が多いのが幡ヶ谷なんだけど、これも一瞬迷う。

しかし中央線の降りない三連星こと武蔵境、武蔵小金井、東小金井で悩んだことはないし、マイナー路線と言われがちな西武多摩川線と西武多摩湖線で悩んだこともない。ということは、単に似たものを同じ引き出しに入れているから取り出す時に悩んでいる、という訳ではなさそうだ。京王線は幼少期から乗っているので、「区別がつかない」という刷り込みがされている可能性はある。

分かっているのに直せない言い間違いとか、まぁ誰にでもある。キアヌのサラダという文字列を見ると一瞬キヌア・リーブスがよぎるようなものだろう(この一文はわざとやってます)。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。