呟きもしなかった事たちへ_No.4(2019年11月号)

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どうにもバタバタしていて、体調も崩していた結果、ツイートもメギドぐらい、Noteで週一で長文を書くことも出来ず、結果この記事ばかりが追記されていた。月の真ん中で2000字に達したが、読めばわかるが11月8日の事を書いている。これはもう駄目だ、観念して放出する。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

何度でも

今年も東京モーターショーに行ってきた。結局は楽しかったし、その後のもんじゃも最高だった。

この記事を書いた時、もう一度モーターショーに行くことは考えてなかった。記事に書いた通り行けばコンパニオンを撮る事は分かっていたが、「わざわざ行ってまで撮りたい」訳ではなかったからだ。

だが、この記事を面白がってくれた人とモーターショーに行きもんじゃを食べる事になった。そして冒頭の通り、楽しかった。ありがたい限りだ。

自分が知っている事を、繰り返し外に発信することで、新しい事象が発生する事はあるのだ。知識は不変でも、世界が変わるから当たり前なのだが、自分と向き合っていると忘れる事だ。

同じ話をする事で…嗜好や考え方が補強され…言葉が血肉となって…自分らしさというものを獲得できるんだ…...だから私は…同じ話を何度だってする……!!!

「バーナード嬢曰く」の神林の名言で、敢えて付け加える事ではないが。

同じ話を何度でも外に出していく事で…人との関わりにおいて...新しい事が始まる事があるんだ……だから私は…同じ話を何度だってする......!!!

マカロン

会社では自分の席に用があって来た人にお菓子を必ずあげるおじさんである。気軽に遊びに来て欲しいからだ。実際これ目当てで遊びに来るようになった人もいて成果は出ている。

さて、僕はブッセが好きで、それが理由でファミマのミニ和菓子アソート袋を買っている(このミニ和菓子アソート、あんのパイ包とか、ブッセとか、結構「和菓子」としてのキワを攻めてきて良い)。このミニ和菓子アソートを先日用意していて、先日遊びに来た後輩に「どれがいい?」と言って袋を差し出したら「あ、ブッセ良いですね」と取られてしまった。

めげずに「いいセンス」と誉めた。僕は打たれ強いのだ。悲しくなんかない。

後輩はこれをよく思ったのか、あるいはヤバイと感じたのか、後日お礼にとちゃんとしたお菓子屋のミニブッセを買ってきた。美味しかったのだが、よく見ると「ソフトマカロン」と書かれていた。

これは悪いセンス。

おいどん

平仮名としても、音としても、案外かわいいと思う。日常系女子ほのぼの4コマとかのキャラで一人称「おいどん」は、フラットにみればありな気がする。しかし、西郷隆盛のイメージがこれを打ち消す。

そもそも、九州男児は本当においどんとかごわすとか言うのか?にわかに信じられない。キャラ付け感しかないぞ。

部室

家ではゲーム実況のVtuber動画を良く流している。「見ている」というよりは「流している」で、こうしてnoteを書いている時や、ご飯を作っている時にダラダラと流している。あまり見ていない。ではなぜ流すのか。

多分、部室を求めているのだろう。「BGMとしての人がゲームをしている音」という経験が、ずっとある。

高校時代よく遊びに行っていた部室(いわゆるパソコン部だった)では、パソコンでゲームを作ったりしている人と、そばで勉強している人がいた。今思うと勉強している人はなぜ帰らなかったのかという気もしなくもないが、実は僕もそっちの人間だった。自宅ではダラダラしてしまうのと、図書館は暑すぎたり寒すぎたりし飲食が出来なかったので、この部室で部活をやっている人たちを横目にお菓子を食べながら数人で勉強をやっていると何だかんだではかどった。

今も夫婦生活は部活のようで、家という名の部室ではダラダラとそれぞれが思い思いの事をしている。そこに第三の部員としてゲームをしているVtuberがいるような感じだ。感覚が懐かしい。

しかしこれを一言で言って「鈴原るるは家族」とかいうと気持ち悪い人なのだ。気をつけないといけない(すでに言っている)

左右

好きなバンドだ。新アルバムを出した。とにかく聞いてみてほしい。個人的にはyoutubeにあがっているものだとカンバセイションダンスが好きだが、まぁ好みはあろうからこの2曲に限らず自分の当たりを引くまで全部聞いてほしい。

何かのインタビューで「気まずさ」を歌にしたいと言っていた。「気まずさ」がロックな感情だという事にそれまで気づいていなかった自分に驚く。言われてみればロックな感情だと思う。曲はそうした点でも非常にソリッドだ。とにかく聞いてみてほしい。

あと、二人でやっている事に関して、「3人以上だと社会になってしまう」ともいつか言っていた。すごくいい言葉だと思った。夫婦の金言としている。つまるところ鈴原るるは家族にはしてはいけない。

縁起物

今年も酉の市の熊手を買った。大学4年の11月から毎年買っていて、社会人を続ける限りは買うと思う。実は厄落としもやるし、お参りも毎年するし、旅行先では必ず地元の神社に行く(いの一番でない時もあるが、スケジュールには組み込む)。

「縁起物を気にする方には見えなかった」

と言われることもあるが、これは若干間違いで、僕は半分防御のためにやりはじめた部分がある。

「災難だったわね。厄除けしなかったからよ」

これは今年米寿を迎える祖母がかつて私の叔父(つまり祖母からすると息子)に言った発言だが、ショッキングだった。祖母としては冗談だったかもしれないが、労いの言葉からコンマ2秒で「お前の落ち度だ」と言っているのに等しい。こんな不条理な事は言われたくない。言われたくないからこんな所で足元をすくわれないようにしよう。そうした思いが僕に熊手を買わせ、厄除けをし、旅行先では地元の神々に参拝するようにさせた。経緯はそういう事だ。

だが、酉の市は面白いし、神社も(天気が良ければ)良い所なので、やり始めてからは面白くなったが。熊手は、来年の干支が可愛いものにした。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。