呟きもしなかった事たちへ_No.2(2019年9月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。

「あっ、うんダメだわ転職しよ!」
朝の大手町で爽やかにそう宣言したあの女性はどこに向かったのだろう。あのまま会社に向かったのか、それともどこかに行ってしまったのか。その場でTwitterに呟くと創作っぽかったので放置したのだが、そのまま彼女はその会社からも僕の記憶からも消えようとしていた。

だがNoteはある。今月も、呟きもしなかった事たちへ。

バター

シーズンの終わりだしと、とうもろこしご飯を作った。「賛否両論」のレシピで、芯と実を外し、芯だけご飯と一緒に炊き(これで十分、ご飯に香りは付く)、実は醤油で乾煎りし、最後バターと一緒に混ぜる。バターに火が入りきらず、実は香ばしく、米には甘い香りがついている、良い。しかしこれがアップされる頃にはトウモロコシのシーズンは過ぎている。

ところでバターを買うと、「とりあえず入れておけば美味しい」と思ってどんどん使ってしまう。日曜日に買って、水曜日のお弁当までですでに8gの欠片を3つ使っている。こういう事が分かっているので、あまり買わないようにしている。

抜き

インドがわからない」を初めて見た。嫁と爆笑してしまった。

良く出来ているのは、作り込みすぎていない点にある。方向性だけ決めて、ぶっつけでやるというその荒々しさが面白い。しかし「作りこみが甘い事が面白さを呼ぶ」というのは興味深い事だと思う。ツイッターならまだしも、それなりの長さの文章でやるとそんな事はまずうまく行かない。

当たり前の事だが、作品は受け取られて完成するし、受け取る側の意識が大事だ。こういう作品は「これは初期衝動なのだ」と伝える事で受け取り手の意識を誘導しているし、その誘導方法として作りこみの甘さがある。なるほど。

文章はそうした誘導がとても難しい。羨ましいと思うときがある。

夏の間は鶏卵の殻が薄い気がする。鶏も夏バテしているのだろうか。

卵の殻と言えば、茹で卵の正しい作り方なんてわざわざ検索しないので、丁寧なレシピ見た時はえらいびっくりした(家庭料理歴25年である)。

茹で卵同士をぶつける事でひびを入れましょう。

まず、茹で卵は必ず2個以上作るのか!という新鮮な驚きがあった。親不在時の一人ご飯が自炊の始まりで元来そういう発想が無かったが、三つ子の魂百まで、今でも(エネルギー的に無駄も多いのは分かっているが)1個だけで作る事がある。

そして卵同士をぶつけると中身を傷めないという発想。力加減を調整して別の物にぶつけるという必要は無いのだ(無いという事はないが、硬い物にぶつけるよりは比較的気にしなくていいのだろう)。しかし、内食も進化した昨今、茹で卵をわざわざ自分で作ろうという人がそんな力加減で失敗するだろうか。丁寧な指針すぎる気がする。

実際にやってみると、片方しかひびが入らない。そして当たり前だが初撃でひびが入った方で二度ともう一方にひびを入れる事はできない。

嘘テクであった。(あるいは、卵のサイズやからの固さが極めて均一な良い卵を使っていると上手く行くのか?そこまで丁寧にやらなければならないのか?)

会社の役員で、僕がモノマネを得意とする人がいる。飲み会でやるとウケる。

モノマネ出来るぐらいには一緒に働いたし、今でも会議等で同席すると(芸の見直しも兼ねて)注目するのだが、どう聞いても最近声がしゃがれて来ている。だが同僚たちは気付かない。

モノマネをするほど見ている僕だけが気付いている役員の体調変化なのか、僕自身が「モノマネしている自分」に役員のイメージを寄せていてズレてきているのか。役員の体調を思うと後者であって欲しいし、前者だとちょっと冗談が重くなりすぎたように思う。だが後者だとモノマネに修正がいる。悩ましい。

自縛

最近Noteの更新が滞っているのは、単に忙しいからというのもあるが、温めているネタが完全に暗礁に乗り上げているのが一番の理由だ。

極めて腹が立った事象があって、それを批判したいのだけど、呪われてうまく批判できない…というより、その呪いを批判したいという状況だ。しかし、呪いを批判するために呪い返しをしてしまうと、要はミイラ取りがミイラになって元の木阿弥…という点を上手くやらなければならない。ここが難しい。諦めたいが、僕はすでに自分にそうしなければならないという枷を付けている。

”「自分は正しいと調子に乗るんじゃない」という諫めは正しい”…この文章はいきなり自分にだけ都合のいい事を言っている。「俺も調子に乗ってはいけないし必要以上にマウントを取るつもりは無いので必要な点だけ指摘するが、お前、さすがに正しくないぞ」という丁寧さを忘れてはいけない。だが、それでエンタメを書くことは難しい。

衝動でまずは勝手に言わせろよ「言い過ぎました」と謝るからさ

というのが本音だ。期せずして短歌になってしまった。それだけエモーショナルにそして真に僕の中でこいつは許せねぇというのがあるのだが、これを如何に描くか。初期衝動だと文章に匂わせる事は難しいと先に書いた。さて、どうするか。

…このエントリー、太文字毎に違う日に違うテンションで書いて貯めているのだが、期せずして進捗報告みたいになってしまった。トウモロコシと卵も文章に混ぜるべきか。


↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。