呟きもしなかった事たちへ_No.36(2022年6月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら索引もあります。

枝豆スナック、どれも美味いけど大体枝豆とは違う味がする。美味いけど。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

根競べ

歯磨き粉の「システマEX」が、「システマ ハグキプラス」の試供品としてミニサイズの歯磨き粉をつけてくるようになってから、もう数年になるだろう。こちらはシステマEXを使っているしそれを求めて買っているので、ハグキプラスの試供品は流しの下の収納に貯まり続けていく。一度システマEXを切らした時に使ったが、やはり何か違うなとなり、以降試供品は完全に泊まる客人用となっている。

歯磨き粉ってあまり変えないものだと思うし、そのうえでシステマEXに長期間このようにハグキプラスの試供品がついているというのは、恐らくはシステマEXユーザーをハグキプラスに誘導したいという事なのだろう。こちらはシステマEXを好んでいるというのに。年を取って歯茎が弱くなればハグキプラスの良さが分かる…と言わんばかりの長期攻勢に、いつまで耐えられるか。

怪異

もう商品名などを一切覚えていないが、1990年代から2000年代には妖怪やオカルトのカードが入ったウェハースなどが良く売られていた(今でもムーのカードが入ったものなどがあるように思う)。その中で、やや変わった商品があり、のっぺらぼうや口裂け女に交じり、

「まだわ怪(まだわかい)」

というのがいた。自分がまだ若い女性だと信じており、そういう扱いを強要する老婆…というキャラだったはずだ。

…ん、いや、待ってくれと思う気持ちがあろう。私も同じだ。まず、それは怪異ではないのではないか…いや、怪異かもしれないが、そういうコンセプトで紹介していい類ではないのではないか。次に、「怪」の字でダジャレを言えば怪異になる訳ではないのではないだろうか。

あれは何だったのだろう。あの商品そのものが怪異だったのかもしれない。

眠くなる成分

痛み止めや解熱剤に「眠くなる成分は入っておりません」と言われても、痛かったり熱があったりして疲れているところに、症状が緩和され少しリラックスできると、眠くなると思う。そういう眠気に身を任せた方が体も楽になると思う。しかし、そこで眠ってはいけないからこそ眠くなる成分は抜かれている。

眠くなる言い訳が無くなる分だけ辛いので、眠くなる成分は入っていていい。そういう言い訳を僕らに用意しておいてほしい。眠くなる成分入っているから仕方ないんだよね、と甘やかしてほしい。

ほぐし水

コンビニのざるそばについてくるもの、ほぐし水。よく分からん存在だよなと思う。ほぐす用の水。表現としても「ほぐし」と名詞化して水という単語につなげているのもなんか変な感じがする。似たようなもので日本酒を飲む際に悪酔いしないようにという「和らぎ水」もあって、あれもなんか変だ。酔いが和らぐなら、「和ら水」では?

さてほぐし水、そういえば飲んでいる記事があったはずだなと思ったら林雄司さんだった。やっぱり。
https://dailyportalz.jp/kiji/its-only-hogushimizu

反省猿

「反省だけなら猿でもできる」は、確か1990年代のCMだったはずだ。太郎・次郎という猿がいて、「反省!」と号令を受けると手を壁(あるいは台)に当ててうなだれる、いわゆる反省したポーズを取るという芸があって、それを元にしているネタだった。簡単に言うと流行ったギャグだ。

しかし今や、「反省だけなら猿でもできる」は言葉としてだけ残って、そして太郎・次郎を知らない若者相手にも使われる可能性がある。改めて思うと、反省している人に対して「反省だけなら猿でもできる」と言い放ったら大分パワハラっぽい。でも言う側の老人・中年どもはCMを覚えているからギャグっぽさがあって、パワハラとは思わないんだろうな。

時代のギャップってこういう風にできるんだろうか、などと思う。

ファスト読書

アヴニ・ドーシの「母を燃やす」を読んだ。読んだというか、文字が猛スピードで滑っていったし、そのまま滑らせて終わらせた。ちゃんと対峙するより、もうジェットコースターに乗せてもらいたかったのだ。

なるべく軽い言葉にすると、「インド社会で抑圧され、結婚後にヒンドゥー教の修行場に逃げ出したりするメンヘラな母親に育てられた娘(当然メンヘラ)が、ただでさえ母娘の葛藤があるところに母親がボケてどうしよぉ~ってなるし、そのうち自分も子供を産んで母になってどうしよぉ~ってなる話」で、憎しみだけではない複雑な感情がインドの熱気の中で幻想のような風景と記憶のシーンを合間に挟みながら語られて行く作品だ。正直、面白いという感情と同時にあまりのカロリーの高さに胸焼けもしていて、ええいもうここまで高カロリーなら頼むからとっとと終わってくれという気持ちに最後はなっていった。正直に言うと「これ、もう十分お腹いっぱいだから、シーン減らしていいから短編にしてくれないかな」とも思った。この感想はもうファスト読書だし、母娘の葛藤という一言で表せられないものに対して持ってはいけない感想だ(他方、読書を始めたのはこっちとはいえ、ここまで歩み寄られて至近距離で自分語りされるのもキツイわという感想も自由ではある。このキツさ自体も主人公のキャラによるものだから、しっかり堪能したと言えばしたのだq)。とにかく疲れた。

ファスト映画を肯定する気は全然ないし、結局僕も読破こそしたけれど、ファスト映画ってこういう逃げたくなる気持ち・ニーズに応えるんだろうな、とは思う。エンタメをフルパッケージで吸収する体力が無い時も、あるいは時を選ばず体力が無い人もいるのだ。(繰り返すがファスト映画を肯定する気はない。ちゃんと映画を自分で購入して、必要に応じて自分で早送りしなさい)。

カーテン

カーテンを取り替えた。カーテンを付ける際は毎回思うのだけれど、ロールカーテンをカーテンレールに取り付ける際の金具、こんなチャチくてもいいのか。カーテンレール自体も改めて見るとロールカーテンを支えられるのか不安になる華奢さだが、案外ロールカーテンは軽いし、案外カーテンレールも丈夫(確かに布カーテンも結構重いんだよな)という事なんだろうけど、カーテンレールに入るような小さな金具を2個だけ仕込んで、それにホイとロールカーテンのマシン部分ごとぶら下げるのは、毎度毎度ちょっと勇気がいる。だが取り付けてしばらくするとそんな事は全く気にならなくなるのも事実で、実際自分が何におびえているのかは分からない。

ともあれカーテンを変えた。遮光性が高くなって夜部屋が暗くなった。以前はカーテンも割と明るめの色だったのもあり、月光や街路灯の光が柔らかく部屋に入ってくる感じがあったが、今はしっかり夜暗くなった。最近は早起きしがちだし夏になると明るくなりすぎるきらいがあったのでこれはこれで良い。

一方、実は「夜部屋がしっかり暗い」のは人生で初めての事だ。実家にいた頃の自室は小さいルーバー窓があり、そのルーバー窓にはカーテンが無かった。結婚してからはずっと、少しだけ外の明るさが分かるような明るいカーテンの家だった。そんな訳で、夜しっかり暗い部屋に住むという事が無くて、東京に住んでいると夜は暗くないのだな、と生まれてこの方ずっと思っていた。

カーテンを変えただけで、果たしてちゃんと暗い夜が来た。夜は暗い。不惑になる前に気づけて良かった。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。