呟きもしなかった事たちへ_番外編(「煙姫」号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら

12月号でも「以前のHPで使えるネタがあまりなかった」と書いてもいるが、まぁこの企画に沿うような事も多少は書いてはいた。

過去からの、呟きもしなかった事たちへ。

家族(2008年1月)

飼い犬が死んだ。17歳8ヶ月という大往生で覚悟はできていたので、全体悲しみながらも穏やかに私たちは家にいた。冗談も飛んだ。葬儀を行う段になりもうじき業者の車が来るという段階になっても、それでもまだ、そうだった。

それが、玄関のチャイムが鳴った瞬間、雰囲気が変った。一変して暗くそして張り詰めた空気になり、頬を殴られた時に来る頭の痺れを思い出させた。

その後、葬儀も無事済み、また家族だけに戻った時、その時には悲しみはより強くなっていたが、また穏やかな雰囲気になっていた。

これが他人で、これが家族なのだろう。犬に教わる。

あだ名(2007年11月)

忌み名を思い出したと思った日でしたが、その数時間後「ハリー」というあだ名をもらいました。名も知らない呑み屋のおじさんに。

ツチノコ(2007年5月)

一昨日、5月の陽気の中で僕はぼぅっと線路沿いを歩いていた。しかも僕は親知らずが伸びてきて頭痛がしていた。近くの駐車場の茂みをイモリが走っているのが目に入ったが、ぼうっとしていた上に鈍痛に苦しんでいた僕は、さかさかとすばやく動く手足を上手く認識できず、ただ体の部分のみがくねくね動くのだけをかろうじて見ることが出来た。その僕が認識したくねくね動くだけのものは、小さくしたツチノコにそっくりだった。

…まさか、そういうことなんじゃないだろうな。

気持ち悪さ(2007年4月)

一人、中年女性がゆっくり歩きながら何かを喋っていた。携帯電話だろうと思っていたが近づくと両手とも荷物を持っているしマイクもイヤホンも無い。そうか、会話調の独り言をつぶやいていたのか。大して驚くことも無く僕は通り過ぎた。

携帯電話が普及し始めた頃は、道で携帯電話にて通話している人は独り言をつぶやいているようで気持ち悪かった。それがいつの間にか慣れ、気持ち悪さの本来の由来だった要素に対してすら、もはや僕は驚かなくなった。これはなんだろう。

多様性(2007年4月)

東京は多様性があって、素晴らしいと思う。何かをするときに、それに関して選択肢がある。ハンバーガーを食べたいな、マックにしようかな、モスにしようかな、ロッテリアにしようかな。この選択に個人が活きている。

出張中の夢(2010年4月)

セックスだとかキスだとかではなく、手を触れるとか、頭を撫でるとか、乾杯をするとか、その程度の事があるとする。その程度である一方、「目の前に相手がいる事を、触れて確認した」瞬間であり、僕はこれにとても弱い。馬鹿で単純だ。かの人はそういう「ライトだが垣根を越える瞬間」で僕のツボをつくことが多く、結果心に残っている。

思い返すと、僕とうまく行かなかった女性は、この点で過剰だったり少なかったり、あるいは流儀が違ったように思う。それはそれで、仕方がないことだろう。

負けんグミ(2010年10月)

負けなければ勝ちである、は普遍的な事項ではない。だが、負けなければ負けないのは言うまでもなく、そして目標に合わせて戦術を選択することは重要である。その意味のおいて、「負けんグミ」は明確な戦術とスタンスを示した駄菓子であり、これを「駄」などというのは愚かである。

駄菓子菓子、それだけである。いやしかし、それを求めていた者ならばこれだけで十分ではないか。

ランチ(2009年4月)

久々に自作の弁当ではなく、外で昼食をとることにした。虎ノ門でそこそこ有名で混んでいる中華に行き、五目焼きそばと半チャーハンのセットを食べる。焼きそば自体は美味しかったが、チャーハンやスープ、ギョーザなどにいかにも「昼時の捌き用なんです」というオーラを感じ、ガッカリしてしまった。

食事を日常的に作っていると、技うんぬんではなく「手の抜き方」というのは分かってしまう(自分がやっている事でもある、という意味だが)。世間で言う「主婦はランチにうるさい」というのは、女性だからということではなく、料理を分かっているからだ(この場合の「分かっている」とは、いい味が分かる、とか、料理が上手い、とかそういう事ではない。手作業としての「あるある」が分かってしまう、という意味だ)。そしてこの文章にタイトルを付けた瞬間、焼きそばではなく天津飯にすれば良かったと思った。ギョーザも付いていたのだし。

急にドラゴンボールの話にシフトしてしまった。

読み返して(2019年12月)

何かが若いな、という感じがある。あとちょっと自分に対して遠い。「こう感じる」ではなく「自分はこう感じている(らしい)」というトーン。ちゃんと年を経る中で自分に自分が馴染んできているという事でもあろう。

2020年からはまた今の自分が文を書きます。よろしくお願いいたします。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。