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未来への展望2024 〜刺激のポートフォリオ〜

2023年の振り返り

2023年の抱負は「呟きもしなかった事たちへ」に書いたのだけれど、「恐れずに飛び込み、恐れずに逃げ出す」だった。結局、趣味としては蟲神器とミニ四駆とベイブレードXをはじめた。ミニ四駆やベイブレードXは、物理的に動く玩具というのは改めて面白いなと思わせてくれたし、全く知らない状態でジャンルに触れると、最新のものを知ることが出来るという発見があった。

既存のものでも範囲を広げていった。仕事も知らないジャンルでもとりあえず会議に出て発言したり、野球で助っ人に行ったりした。野球では知らないチームと交流することで初めて「本格派のサブマリン」と対決することが出来た。本当に地面すれすれからボールが飛び出てくる。最高だ。

世界は広い。飛び込んでいくだけ面白い。そういえば面白半分でやった下の記事が想定外に跳ねた。真面目に遊んだ結果だと思う。

一方で思ったより逃げることは難しく、特に仕事では対人関係が思わしくない上司の下でかなり苦労はしたが、それはそれで仕事とは何かをまとめる事も出来た(下の記事、いいねの数は少ないが直接感想を言ってくれる人が多かった。ありがたい)。

とにかく、広げるだけ成果はあって、断捨離とか言っている場合ではない。可能性を残し続けることにも価値はある。

他方で継続はコストでもある。新しいものを始めるメリットとして最新を知れることと触れたが、古い勢力は面倒なこともある。また、知っていることが増えるのは、新しい何かに活用できるから面白いのであって、知っていることが増える代わりに終わりが見えるのは寂しい(これは17年も勤めている会社の話にもう一度戻るところはある)。こうしたことに注目しすぎると継続することは辛くなるが、継続自体の力というものもあるので、継続していることを新しいなにかに活かしていく、あるいは新しいなにかで継続していることに刺激をもたらしていく必要がある。

そう、循環しないといけない。新しいことが、続けていることに対しての刺激になり、そしてまた新しいものを見つけていく…そういう「芯」と「遊び」の循環が必要だ。ある種、インプットとアウトプットと言い換えてもいいかもしれない。

実際のところ、今年を振り返るに、やっぱり大浦るかこさんの裏ラジは常に思考をこういうアウトプットに向けやすくて、結果インプット(あるいは自然とインプットされたもの)を意識しやすくてよかったし、裏ラジがあった間は生活に張りと安定があった。読まれるべき投稿として何を書こうかな、というのは、何を知っているか、何を知ったか、と、何を伝えたいか、そして何が求められているか、を合わせることだ。特に最後のアジャストも含めて、インプットに対するログとして、生活の中ですごくいい刺激だった。今年の前半、裏方に入られる際にそのことを感謝してた(逆に言うと下半期はそれを喪失していたので辛かった)。

不惑に非ルーティンをもつこと

要はアウトプットの軸を持ちつつ、インプットの幅は広げろということだ。不惑を迎えるが世間ではまだ若いと言われる年の目標としては極めてわかりやすい。

なお、個人的にはすべての人間がアウトプットを行うべきとは全く考えていないし、そのことは書いている※のだけれど、アウトプットを意識したほうがインプットを整理しやすいのは事実だ。

生半可なアウトプットについて、「貧者のレビゥ」とまで断じたことがある。僕が二次創作を作ることを苦手とするのは自分の中でのこのインプットとアウトプットが近すぎるからなんだろう、とこのエントリを書いていて気づいた。アウトプットを意識することが理解を進める点については認めなければならない。

軸を持ちつつ幅を持たすシンプルな方法は、フォーマットを一定に置いたうえでインプットとしてはフォーマットにあまり関係ないものを放り込んでいくことだ。では軸となるアウトプットはなにか?18年目の会社人生、10年目の秘密基地プロジェクト、5年目のnote…色々あるが、ありがたいことにどれもルーティン化がなされている。

むしろ、昨今の僕の活動はルーティン化が甚だしい。週3or4日の筋トレ、週1日の野球またはバッティングセンター、日曜の買い出しとお弁当作り…月例のnote…土曜の秘密基地、平日の仕事…これでは、自分の時間がこうでは、変化がない。2ヶ月に1度集まる飲み会チームも新メンバーがいない。不惑とはいうものの、あまりにも遊びがなく(これは建築とかで言う「遊び」、つまり余幅のことを言っていて、遊戯をしていないという意味ではない)、行き場がない中年に成り果ててしまう。

非ルーティンだ。ルーティンではないことを、イベントを、増やしていかなければならない。そうでなければ面白くならない…期せずして振り返りで触れた「働く面白さの格差」とも近い整理となった。

もちろん、ルーティン化された生活には強度がある。年を取るほど友人を維持するのは難しく、定例化・習慣化はそれに対抗する有効な手段だし、そうした環境整備は必要なことだ。長く続く関係はそれだけで素晴らしい。しかし、それだけでは何等かでそのルーティンが終わった時にリスクがあるし、新しいことをその時始められる準備は必要だ。芯としてのフォーマットに、新しい刺激を…決して今までのものを捨てるのではなく、「変える」のではなく、「増やしてみる」を続けること。私生活においてあまり好きな言葉ではないが、ポートフォリオだ。

刺激のポートフォリオを常に見直し、入れ替えを恐れないこと。入れ替えなかったものは大切にし続けること。これを2024年の抱負としたい。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。