見出し画像

生きるぞ!!【2024.4.27】

・祖父が亡くなったので実家に帰っていた。

・とても幸福なことに、私はこの歳(アラサー)まで身内を亡くすという経験をしてこなかった。祖父は生きている間に三度大きな手術をしており、私はその度死に怯えていた。しかし祖父は本当に強い人で、その全てを乗り越え90歳を迎えていた。

・祖父には孫が私たち姉妹しかいなかったので、最後までめちゃくちゃに甘かった。その上見栄っ張りでもあったので、小学生の頃は半年に一度ナルミヤのたっかい服を買いに共に百貨店へ行ったし(私はポンポネットばかり買ってもらっていた)、今使っている靴も財布も祖父に買ってもらったものだ。財布、黒の本革でシンプルなやつにしといて良かった。大事にすればそれこそ死ぬまで使える。

・最後にちゃんと話したのは引っ越す直前で、「布団を買い換えたいんだよねえ」と話してちゃっかりお小遣いを貰っていた。引越してすぐ買いはしたのだけど、直接報告はできないままだった。「ごさいは布団買ったか?」と父親に聞いていたらしい(父親と買いに行ったのでちゃんと買ったよ、とは伝えてくれていた)。

・亡くなる一週間ほど前に体調が悪化し入院したと連絡が来たが、私は今回もなんとかなるだろうと思ってしまっていた。本当はもうその時点で覚悟が必要な状況だったけど、それ以降心配をかけまいと思ったのか特に実家から連絡はなかった。ある日、深夜に容態が悪化した、父親が病院に向かっていると姉妹から連絡があった。離れて暮らしているので全てを後悔しながら祈ることしかできず、そこから30分ほどして祖父はかえらぬ人となった。

・入院してることは知ってたんだから連休に帰ってお見舞いに行けば良かった、悠長にスーパー銭湯なんか行ってる場合かよ、更にそこから飛躍して祖父は曾孫の顔とか私たちの結婚式とか見たかったかなあ、と思いその晩はずっと自分を責めて泣き続けた。祖父が最後に買ってくれた敷布団の上で。

・休みを貰い実家に帰って、通夜が始まる前に祖父の顔を見た。安らかな、私が数年前祖父母の家に寝泊まりしていた頃、何度か見た寝顔と同じ表情だった。また涙が出てきたし、そこからもう何かある度泣いていたが、それは純粋に悲しくて寂しいからであって、悔いの涙ではなかった。祖父の表情と祖母からの話には悔いが感じられなかったから、私も悔やんでる場合ではないと思えた。

・火葬が終わり、私が運ぶよう言われたのは右膝の骨だった。座っている祖父と話す時、私は決まって祖父の右の膝に手を置いて話していた。

↑この時もそうだったな。だから骨を箸で掴んだその時、ちゃんと(足りないけど)たくさん話もしていたし、祖父が美味しいと言ったお菓子を繰り返し買って持っていって行ったりもしたし、私にやれることはやっていたな、と思い出すことができた。

・こんな大きな悲しみがあと何回もあると思うと人生ってしんどすぎるが、祖父母、両親、姉妹、友人……全ての私に関わる人に対してできるだけのことはしていこうと改めて思ったし、私自身も悔いのない人生にしなくてはと改めて感じた。月並みすぎるけど。

・あと、喪主の父親が本当に大変そうでこれ私やるの無理すぎる、と思った。今回は孫だからと遺影の横の蝋燭に火をつける役をやらせて頂いたけど、隣のお花に火をつけないかめっちゃヒヤヒヤした。絶対大ポカをやる。自信あります。あらかじめ親に謝っておこう。

・あとあと、祖母が私と2人きりになる瞬間があり、その時「私ももう死んでもいい」というようなことを言ったので慌てて「(妹)がまだ結婚してないよ!式までは元気でいてくれないと困るよ!」と言った。最悪姉。そうだわ!!と笑顔に戻ってくれたので良かった。妹よ、本当にありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?