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実在した河童さん

「おかっぱさま」と呼ばれる磯良神社は、河童氏のご先祖が建てたと伝えられています。河童さんのご先祖は、坂上田村麻呂の東征時に先導をつとめ、泳ぎがうまかったために田村麻呂から「河童」の姓を与えられたそうです。その特異な姓のため、人間であるのに未確認生物であるカッパと同一視され、この地域から様々なカッパ伝承が誕生したと思われます。

河童氏がカッパと同一視された一例として、この地域で守られてきた「胡瓜ルール」があげられます。「7月の大祭で、神社に胡瓜をお供えするまでは、胡瓜を口にしてはいけない」というものです。昭和の頃まで残っていたようです。

また、この神社に関わる話は江戸時代の不思議話短編集である『奥州ばなし』(只野真葛・著)にも登場します。「かつは神」というタイトルです。この話に登場する神社は上記の磯良神社であると、現地調査の結果確信しました。どんなに晴天が続いても涸れることがなかったという手水池跡、および池から続く用水路跡が確認できたからです。

さて「かつは神」は、ある青年たちが用水路にもぐって遊んでいたら、不思議な世界へ抜け出たという話です。そこには機織り娘がいて「ここは人間の来るところではない」と、三人は追い返されます。さらに「ここに来たことを誰かに語れば、あなたに災いがふりかかるでしょう」と脅されます。青年たちは元の場所に戻れましたが、一人の青年は口をすべらせてしまい、その後亡くなりました。という話です。

じつはこの「かつは神」の中には、「かつは神というお社があった」と書かれているだけで、カッパは一切登場しません。青年たちが会ったのは、機織り娘です。なのに、その後地域に伝わった昔話では、機織り娘が「おらはカッパだ」と自ら名のる話になっています。
ここが、おもしろいところです!
おそらく「かつは神」の話が口伝えに広まるうちに、機織り娘がカッパという設定になったのでしょう。なにしろ「おかっぱさま」と呼ばれる神社に関わる話ですから。

今では「伝河童生息の池」という石碑まで建てられていますし、町のあちこちにカッパの像も建てられています。土地の人々は、未確認生物のカッパがいたと主張する気満々です。「でも、河童さんて本当は人間ですよね?」と苦笑いするかたもいらっしゃるでしょう。
ただこのことは、わたしたちが、カッパという妖怪を好いている、心のどこかでカッパに存在して欲しいと思っている、ことの証ではないかと思うのです。それだけカッパは愛されている妖怪といえるのではないでしょうか。(参考:『色麻町史』『宮城県史』『中新田の昔話』『奥州ばなし』)

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