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悩むことと悩まないことを選別する

私は出不精も相まって、行動するより悩む時間が多かった。考えることは好きだけど、悩むことは考えることとは違う。とにかくグダグダと悩んでいた。


あるとき、上司とゆっくり話す機会があった。飲み会の2次会で、上司が行きつけのBarに連れて行ってくれた。
私は普段からプライベートなことを話すタイプだ。
その日はそのときの一番の関心ごとだった"結婚"について相談していた。

私は昔から結婚に前向きなタイプではない。でも世間的には適齢期であり、周りも結婚・出産のラッシュを迎えて、不本意ながら焦っていた。
自分が結婚したいかどうか、一番大事なところを差し置いて上司にこう相談した。

「私は両親が離婚しているので、結婚に良いイメージが持てないんです。結婚できる気がしません。」

すると上司は「うーん。」と少しグラスを見つめてこう返した。

「それを5年後も言い続けてるとしたら、あなたは幸せになってると思う?」


私ははっとして、即答した。

「そうは思いません。」

「でしょ?私の両親も離婚してるけど普通に結婚したよ。親がどうかとかって、今のあなたには関係ないんじゃない?」

「たしかに。。」

私はぼそりと呟いて手元に視線を落とした。

私がどうだったかということと、私がどうしたいかということは全く関係がなかった。30歳にもなろうかというときにやっとそのことに気が付いた。

過去に起こったことは消せない。だからこそ、そこに思い悩むことは不毛だと気付いた。


悩んだところで過去は変えることができない。
それを何かができない理由にしても、しなくても自由だ。
ただ自分の思い込みをやめるだけで、簡単にできるほうに選び直せると知ったのは、大きな転機となった。

それからは"過去のこと"で悩むことをしなくなった。


過去は変わらない。
傷ついた思い出も美談にはならない。だからといって、この先もずっと傷ついたままでいる必要はなかった。
とっくに癒えているのに、傷ついたままにしておくほうが生きやすかった。そうすれば、したいかどうかも分からない結婚をしなくて良かったから。言い訳ができたから。
でももし、いつか結婚したいと思ったとき、その言い訳が足枷になる。何年も何年もずっと過去のせいにできるから。過去は絶対に変わらないから。

起きてしまったことはしょうがない。


起きた瞬間には、そう納得するのが難しいこともある。咄嗟に怒ることもあれば、ショックで愚痴が止まらないこともあるだろう。


そんなときに上司の言葉を思い出すようにしている。

「私は5年後も同じ愚痴を吐き続けるのだろうか?」
私はそうはなりたくないと思った。1年後でも半年後でも嫌だと思った。
何度も何度も不満が脳裏をよぎるとき、いつでも何度でも自分に問う。

これは不満を飲み込むこととは違う。なかったことにするのとは違う。
そのことに囚われていると自覚して、パッと手放すだけ。
「そうそう、だからってこれから先が不幸なわけでもないもんね」と、気付けたときに切り替える。
また腹が立ってきたり、悲しくなってきても、繰り返し切り替える。思い出すことが悪いことではない。切り替えができないときはとことん感情に浸る。
たとえそのときはそうは思えなくても、今後の人生に悲劇しかないことはあり得ないと、ただ知っていれば良い。


そうして過去と現在を何度も行き来した。
そのうち、変えられない「過去」を「過去のまま」にすることができるようになった。

過去は現在と地続きのような感覚をどうしても持ってしまう。それも間違いではないと思う。
ただ、今日この瞬間から、囚われなくても良いと選択することができる。
5年経っても過去は過去。
でも、今日の自分と明日の自分は変わっても良い。


これが、私が悩んだり怒ったりしたときに「果たしてこのまま取り組むべきか」を選別する材料の1つだ。

その選別が早くなってくるとドライな印象を持たれる。本当は悩もうと思えば悩める。怒ろうと思えば怒れる。けれど、そうしないと判断する基準がある。そして、何度も選別を繰り返してきたことで、切り替えの速さが身についているだけだ。

もう1時間だって自分を不快に晒していられない。
だから、わざわざ変えられないことに向き合わない。


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