毒親離れ日記

甘やかされて育ったつもりの私へ。
世の中には、気づいてなかったけれど、よく考えてみると虐待されていたってことがあるらしいです。あなたはご両親のことを話す時、「『でも』私、甘やかされてたし」というけれど、案外、『でも』の前にある言葉の方を大事にしてあげた方がいいのかもしれません。

10月某日、病院の先生が言った。
「あなたを虐待していたご両親に対して、何か言いたいことはありますか?」
は?て感じだった。虐待?されてたっけ?みたいな。
私が戸惑っているのに気がついた先生は付け足した。
「逆境体験、とも言います。私は、あなたのお話を聞いて、あなたは虐待されていたと感じたので、そう言わせてもらいました。あなた自身は違うと感じておられるのでしょうか」

違う、とか、違わない、とかじゃなくて、ただただびっくりした。だって、私の実家は、超過保護な家庭なのだ。
学校へは送迎つき、毎日のデザートやおやつ、家事の手伝いなんてしろと言われたことすら無かったし、習い事もして、塾なんか三つも通って、進学先も自由に選べた。こうやって書くとお嬢みたいだけど、我が家はいたって普通の一般中流家庭なのだから、よくそれだけ子どもに注力できるもんだなあ、と感心してしまうくらいだ。

『でも』
夜中になると父が叫ぶ家だった。
「自殺自殺自殺自殺自殺!」
とか、
「死んでしまえ死んでしまえ!」
とか、ヘヴィメタバンドみたいなことを近所中に響き渡る大声で叫ぶから、いつか通報されるんじゃないかとヒヤヒヤしてた。
母は真剣な顔で言った。
「家に友達を呼んだらアカンよ。お父さんがおかしいと思われてしまうからね」
当時私は受験生で、どうでもいいから静かに勉強させてほしい、とか考えてた。今思えば、どっか感覚が麻痺していたんだと思う。

『でも』
母は時々パニックになる人だった。
物心つくかつかないかぐらいの時に、パニックになった母に殴られたことがある。理由はよく覚えていないけど、記憶の中の母は私の上に馬乗りになって、何か叫びながら両頬を交互に、繰り返し引っ叩いていた。
小学生に上がって、友達が
「騒音ちゃんちのお母さんは優しそうでいいね」
って言うから、私はなんだか納得いかなくて、思わず、
「うちのお母さんは怒ると怖いよ。私のこと殴ったこともあるよ」
と言った。家に帰ったら、鬼の形相の母が待っていた。
「二度とそんなこと外で言うたらアカン。お母さんが仕事クビになったらどうするん」
どうやら、保護者のツテで私が話したことを知ったみたいだった。ただただ恐ろしくて、私は泣いた。母は私を殴ったことを全く覚えていないようだった。私が泣くと、
「なんで泣く。お母さんが間違ってるって言いたいんか」
と言ってもっと怒った。それ以来、私は母が怒るのを見ると、まともに息ができなくなるようになった。

『でも』
祖父は全てが家長の自分を中心に回っていないと納得しない人で、祖母はそんな祖父を神様みたいに大事にしてた。祖父は入婿の父が嫌いで、気弱な父は祖父が大の苦手だった。父の妹が事故で危篤になった時、病院と実家を往復してすっかり憔悴した父に向かって、
「そんな重大なことがあったのに、家長のワシに直接報告して来ない」
と言って怒り狂った。祖母はそんな祖父のことを、
「おじいちゃんのやりたいようにさせてあげなさい。でないと、もうおじいちゃんはアンタら家族のために何もしてくれんくなるかもしれんよ」
と言って庇った。
祖父は父への不満を実の娘の母にぶつけていて、母は多分、祖父のことを恨んでいた。母は小さい頃から、祖父に「勉強ができない劣等生のれっちゃん」と呼んでバカにされていたから。
祖父と母は似たもの同士で、時々火がついたみたいに大げんかした。私は泣きながらそれを見ていることしかできなかった。


高校生くらいの頃から、私は意味もなく毎日吐くようになって、なんか胃腸の調子が悪いなあ、とか思ってた。病院に行っても結局原因はわからなくて、そのうち苦しまずに上手に吐く方法を見つけて、なんとも思わなくなっていった。

社会人になって、ヒトが怖いと気がついた。特に、怒られるとパニックになって、まともにモノを考えることができなくなる。恐怖で身体がすくんで、心臓が凍るように冷たくなって、「もう生きていけない」と思い込む自分がいた。

たくさんの『でも』が積み重なって、気がついたら私は窒息していた。病院でカウンセリングを受けてみるのを勧められたのは、本気で死のうとして警察に保護された去年の3月の頃のことだ。でも、当時は自分は仕事が人並にできないから辛いんだと思い込んでて、家族関係に問題があるなんて思っていなかった。

育てられたことには感謝してる、『でも』私は虐待されていた。らしい。
とりあえず一時的に、親との縁を切った。顔を見ると調子を崩して食べ物が喉を通らなくなるから、一切帰省をしなくなった。声を聞くとパニックになるから着信も拒否した。いつかそのうちもう一度顔を見て話せるようになるのか、あるいはそうするつもりがあるのかは、まだ未定だ。今のところ後悔はしていない。

育ててもらった、と、虐待された、は同居する。甘やかされたからって無かったことにはしなくていい。
病院の先生は、
「小さな頃のあなたはなんと言っていますか?何を望んでいますか?大人のあなたが聞いてあげてください」
と言う。私は多分、私の声を無かったことにしようとしていた。今はカウンセリングの力を借りて、少しずつ、あの頃の私の話を聞いていっている最中だ。

よくがんばったね。辛かったね。大丈夫だからね。近頃は寒くなってきました。今はとてもしんどいだろうけれど、自分を大事にして、体に気をつけて。

                             私より


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