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PANK PONK magazine vol.14 コロナの時代の愛・コミュニケーション

お久しぶりです。ひさびさに書きます。どうも性格にむらっ気が多くころころとモードが変わってしまいます。
昔、友人に「なんだかんだでファッションの人っぽい」と言われたことがあるのですが、これはお洒落だということではなく軽薄。専門学校はアパレル関係だったのですが、卒業後は個人的にオリジナルのTシャツつくってるだけでファッション関係の仕事したこともないので意外に思ったのですが、確かに自分は割ところころと意見とか考え方変えるな、と思いました。昨日散々否定してたことを今日は褒めたり。
学生時代に周りにそれまでは一切そんな話したことなかったのに有名なブランドが取り上げると「ああ、あれね、何年も前からおれは注目してたけどねー(絶対嘘やろ!?)」みたいな人が沢山いて馬鹿にしてたけど自分にもそういう側面はあるかもしれません。まあ、意見とか考え方ころころ変えれるのは悪くとると軽薄かもしれませんが、長所だと考えるようにしました。
ただ気分がころころ変わるのは考えもので自分は祖父が漁師と大工だったこともあり職人ぽいものに憧れるのですがひとつのことをやり続けてスキルを高めていくようなことがどうにも苦手。長時間一箇所にじっとしていることも厳しいので、もちろん学生時代の成績も最悪です!
ということで最近はモードがインプットする方にいっていて書く気がしませんでした。時間あるので最近は前から興味あったけどきちんと調べる時間がなかった気候変動やジェンダーギャップ、ヴィーガニズムについて調べていました、がひさびさにエッセイを書いてみようと思います。気候変動やジェンダーの平等、ヴィーガニズムについてではありませんよ。愛についてです(笑)

近頃はワクチン接種のタイミングでウイルスの変種が出てきたこともあり、ワクチン打っても新型には効かないかもしれなくてこのままイタチごっこが下手したら何十年も続くのではないかと最近(細菌)は思ってきました。
自分は今年は長年経営していたお店を辞めて1年くらいかけて世界一周旅行でもしてこようと思っていたタイミングだったのでコロナ禍が終息するまではウーバーイーツの配達しながらいろいろとプランを考え直そうと「まあ一年くらいじっくり考えごとするのも良いかな」くらいに考えてましたがどうやら見通しが甘かったようです。10年配達するのは流石に嫌ですので(しかしウーバーイーツもある程度まじめにやっていると現代社会についての気づきもいろいろありますね。ヤフオクやメルカリによって所有するという概念が変化したように感じるのですが、ウーバーイーツによって失業や仕事、お金という概念が自分の中でも変化しているように感じます。自分は10代の頃からアートがずっと好きだったのですが、自分がそこに期待していたことは自分の考えたことなかった方向から物事をみる視点にきづかせてくれたり、価値観を変化させてくれることだったりしたので、そういったことは今はテクノロジーやベンチャー企業のやってることの方が担ってきている気がして興味が薄れてきています。もし興味がある人いるようなら今度そのことについても書いてみたいと思います。)自分の今後の人生をさらに見直さなければと思うのですが、まだ何も思いつかないので、そのことについてはまだ書けません。

さてコロナについてですが「見えない敵と戦う!」「コロナに打ち勝つ」的な物言いをたくさん見聞きするのですが何か僕の中には違和感があります。そもそもウィルス自体は悪や敵ではないと思うので戦ったり、勝ったり負けたりというようなことではないような気がするのです。放射能も同じだと思うのですが敵意みたいなものは人間以外は持っていないと思うので敵でも悪ではないとないと思うのです。(目に見えないものを可視化するというようなことはまさにアーティストやデザイナーの本分だと思うのでいまこそすごいものが出てくる期待をしています!)

最近、”SBNR”という言葉を知ったのですがこれは”Spiritual But Not Religious”の略で無宗教型スピリチュアル層のことらしいです。なんのこっちゃと思う人もいると思いますので説明しますと(僕の解釈なので間違えてたらすいませんが)特定の神は信じていないけど見えない大きな存在や力や意思のようなものは信じるということだと思います。ある調査によるとアメリカの18歳以下の83%がSBNR層というデータがあるそうです。
僕自身は無宗教(多くの日本人のように宗教に興味がないのでなくて無宗教を選んでいるという意味です)なので神社にいっても絶対賽銭もいれないしお願いやお祈りすることもしないしクリスマスなどの宗教的な行事も興味がないのですが(若気のいたりでジャマイカでバッドトリップして死にかけた時はまだ生かして欲しいと神に祈ってしまいました。そののちにインドで腸チフスを患い2ヶ月ほど隔離入院したときは毎日40度を超える高熱が続き、苦し過ぎて早く殺して欲しいと願いました。身勝手なものです。)大きな存在や運命的なものや宿命を感じたりするようなことがあったりします。
神(みたいなもの)はいるかもしれないけど全知全能でもないし、人間の善悪とはまるで違う考え方をすると思うし、そもそも僕に興味がない、というのが僕の宗教観なので僕自身もSBNRなのかもしれません。
なのでコロナに関しては議論も活発に行われていると思うのですが行き過ぎた消費社会やグローバリズムに対して一度立ち止まりいろいろな物事を考え直す良い機会だと思うようにしていますし、それが今のタイミングで猛威を振るうことには神なのか自然なのか何なのか何でもないのか分かりませんが宿命のような感じがします。どこにもいけず気軽には人にも会えず今後の自分のことの不安になったり寂しく感じる日もたくさんありますが、今後世界がどのように変わっていくのか(変わらないのか!?)を考え想像することは案外楽しく出来るだけ前向きに捉えるようにしています。自分も39年生きてきたので価値観やセンスも古くなってきている部分もあると思うので一度OSを再インストールして書き換えるチャンスだと思うようにしています。


もし今の状況が何年何十年もあまり改善されずこのような特異な状況と今後長い間付き合っていかなければいけないとしたらコミュニケーションそのものを今だけのことではなく考えなくてはいけないなと思います。Zoom飲みや会議みたいなものもあるのは知っているのですが今のところ自分は使ったことがありません。顔が見えなかったり画面越しだと空気や間みたいなのが分からなくて、いまだに電話も苦手で出来るだけ顔を合わせて会って話したいと思って生きてきたのでそういったことも、もしかしたらこれから自分を作り替えて取り入れていかなきゃとも思います。podcastである人が「Zoomで人と話してると退席するといきなりブツっといなくなり黒い画面に自分の顔が写ってすごく寂しくなる」と言っていてなるほどなと思いました。ゆっくりとフェイドアウトする機能などあれば良いのかもしれませんね。
僕は今香川県に住んでいるのでコロナの感染者もそこまで都会に比べて多くはなく大都市に住んでいる人とは状況や心理状態も違うとは思いますが(先日東京の友人と少し話したら少し買い物に行くだけで罪悪感があったり、人に責められている気がしてかなりしんどいと言っていました)僕はなぜそもそもコロナに感染したくないのかということをよく考えます。苦しから?死にたくないから?迷惑をかけたくないから?
死なないということを第一目的に生きている人は基本的にいないと思います(死なないために不老長寿の方法を探すことに心血を注いでいる人は別にして)。
そんな努力をしても誰もがいつか死んでしまいます。
僕は動物が好きですし調べて畜産が地球環境にめちゃくちゃ良くないということも知り最近は動物性の食品を極力絶っているのですが、暗い気分の時に考えると自分が死ぬことが最も環境や動物に良いということを考えてしまうのですが、そもそも地球に迷惑をかけないためだけに生きているわけではないと思うので極力減らすということで今はお茶を濁しています。
実際にやってみると9割くらいカットするのはそこまで難しくないのですがゼロにしようと思うと出汁や調味料にも動物性の食品入っていいるし、ちょっとパンやお菓子を食べるにも卵やバターがそこかしこに入っていますし、たまには止むをえず外食するにも動物性の食品がゼロの飲食店が田舎にはほぼありません。ここからゼロにするには9割カットする以上の信念や努力が必要なので、今の自分にはそこまでは難しいので気軽にヴィーガン食材がスーパーで手に入りどこの飲食店でもヴィーガン料理が食べられるような社会意識の変革があった時にゼロにしようと今は考えています。

エイズが世界的に広まった1981年は0才だったので当時どういう状況だったのかは分からないのですが「愛」みたいなことをみんな考えたのではないでしょうか?
「愛のないセックス」によって感染する病気が蔓延するパリを舞台にしたレオス・カラックス監督の映画「汚れた血」なんてのも1986年に公開されました。(傑作です!!)
もし大切な人から感染してしまったら最終的には自分で納得できるのではないかと想像するのです。(一晩だけの行き連れの相手や風俗店などで、もし感染してしまったら後悔が消えないのではないでしょうか?)
なのでコロナにもし感染してしまったなら(自分が移す側だった場合のことはまだ考えれてないのですが)誰から感染したかということが最終的に大切になってくるような気がします。
感染したくないということだけを考えて誰にも会わないという生き方は長い時間は難しいのではないでしょうか?
もし仮に自分が親しい友達や恋人や家族と会ったことによって感染してしまっても最終的には自分の行動に納得ができるような気がします。でも行きたくもない職場やつまらない付き合いの飲み会やあまり仲良くもない人から感染してしまった時はどうでしょうか?(今までは仲の良い人とばかり会っていると価値観が固定化してしまう気がして時々は苦手な人や場にも行くようにしていたのですが)

90年代に活躍したガーネット・シルクというレゲエシンガーの「Love is the answer」という曲があってド直球すぎるタイトルですが、その通りだとも思うこともあるので折につけこの曲のことをかれこれ20年近く考えているのですが(英語分からないので歌詞はあまり分からないし調べたこともありません。データ的なことはすぐにスマートホンなどで調べるのですが、そうじゃないことは調べるよりタイトルや僕でも聞き取れる断片から想像するのが好きなのです。他にはディオンヌ・ワーウィックの「A house is not a home」とかも何だろうとずっと考えてしまいます)人生の様々なことがらに対して愛が答えなのじゃないかと思うことがあるのですが「愛」がそもそも抽象的で何かわからないし、分からないながらもどうやって発露すれば良いのかもいまいち分かりませんが答えだけが分かっているけどそこへと至る道が分からないというのが面白いというか考えがいもありますし努力しがいがあります。


誰と会って誰とは会わないのか、誰とは直接会って誰とはオンラインで話せば十分なのか?(仕事だけの関係の人とは可能なら極力テレワークで済ませたい)ということをきちんと考えるのが今なのかなと思ってます。
今このような時期に様々なこと(愛とかね笑)を深く考えたりどうやって過ごすかによって今後の強さや人間性の深みみたいなものをこの先手に入れることが出来るかもしれないのではないかと、日々のしんどさを乗り越えるようにしています。

※タイトルはガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」から頂戴したのですが、まだ読んだことないので近々読んでみたいと思います。

コロナと店閉めるタイミングも被ってあまり人とも会うことも少なくなり部屋で自分がずっと好きで聞いてた電子音響のアンビエント聴く時間増えるかと思ってたのですが、なんか今のピンとこなくて昨年の春からはJAZZをずっと聴いていました。すごくパーソナルな時代の空気なので電子音の持つパーソナルさがぴったりハマり過ぎて逆に聴けなくなってしまいました。だからか落ち着いた感じのJAZZを部屋で聴いていたのですが、飽きてきたこともあり最近は落ち着いた感じの内省的なヒップホップがしっくりきて良く聴いています。当時大ヒットしてそこら中でかかっていたのでわざわざ紹介する必要もないとも思うのですがカニエ・ウエストの「Hertless」あたりの雰囲気の曲が今の自分にしっくりきます。


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