見出し画像

好き、って瞬間のものでしかない。

感情って難しい。説明するのがとても難しい。
言葉を変え、たとえを用いてもなかなか伝わらない。わたしにある感情がその人にないとしたら、言葉で説明しても実体験と結びつかないから、理解するのは無理だと思うけれど、なんとなく伝わってほしいと思ってしまう。

「つらつらと思ったこと」のマガジンでも時々書いてた(以下、過去記事)

好きってなんだろう。わたしのなかで、その人に対して多少の好意があれば「好き」だし、そこに深い意味も何もない。だから「好き」と思ったら「好き」って言う。「好きだな」と思った瞬間があれば躊躇なく「好き」って伝えたい。言おうと思って構えていた言葉じゃなくて、その瞬間ふいに零れ落ちた、衝動的なもの。「あ、すきだ」みたいな感じ。

だから、ぽろっと無意識にいわれるような「好き」には嘘がなくて、わたしは一番好き。

感情とか心ってよくわかんないよね。毎秒変わる感情にわたしたちはむりやり言葉をあてはめてる。「好き」って思った3秒後に「嫌い」って思うことだってあるでしょ。でもその3秒前の好きに偽りはない。その瞬間の愛はたしかにその瞬間は存在してたの。

多少の好意があれば好き。
つまりその「多少」にはもちろん幅があるよ。わたしはたぶん感情の分類がほかの人よりも細かい。だから単純に説明できなかったりする。
わたしは、好きな人には好きっていうタイプ。
だけどそうするとよく勘違いされる。特に異性。
違うんだよ。単純に好きなんだよ。きみのその感性とか感覚とか、一部の考え方とか、趣味とか。
まるっと人として好きもあれば、全体的には好きじゃないけど、そういうものの見方をするところは好きだよとか。いろいろあるよね。
なんでもかんでも恋愛に結び付けられるのは本当にいらいらする。お前の世界はどんだけ狭いんだよ。

好きだから付き合うとかもよくわからない。恋愛もよくわからない。
正直いって「つきあう」って「合法的にいつでも理由なしにせっくすができる関係」っていうわたしの認識。

ぱっとみれば…?はたからみられても、「恋人」ってのは、文句の言われない綺麗な、当然の、名前のある関係性ってだけだよね。
セフレよりも響きのいい恋人。
もしそうならセフレのほうが明確ではっきりしてていい。正直だよ。
たぶん、わたしには誰かを好きになる感情がない。よく友人に言われてきた言葉だし、自分でもそうだと思う。
本当に好きな人と出会ってないんだとか言われるけど、失礼だな、本当に好きってなんだよ。わたしが愛してる人たちに対する感情は嘘じゃないよ。

束縛とか、独り占めしたいとはあまり思わないかもしれない。
というか、束縛も独り占めもわたし自身されたくない。
ていうか、みんながわたしのことが好きでいればいいし、わたしは受け取りたいときだけ受け取ればいいし、渡したいときだけ渡せばいいと思う。みんなにとってわたしが1番で、それに囲まれていれば満足、っていうクズ的思考はあります。

肝心なのは、人としてちゃんとみていて大切に思っているのかに尽きる。
利害の一致は大事だと思うし、名前のない関係だって悪いことじゃない。ただそこに相手を思う心があるのかは見極めなきゃいけないと思ってる。
明確な関係は、わたしには向いてない。会いたいときに会える距離感と関係性が一番いいかもしれない。だから、名前のない関係は別にいい。でも都合のいいだけの関係はいやで、誰でもいいじゃなくてきみだからっていう部分はある程度必要だと思う。

体の関係になるのは構わないけど、体だけの関係はいらない。

好きならさ、手をつなぎたくなったらつなげばいいし、
抱きしめたいと思ったら抱きしめればいいし、
抱きたいと思ったら抱けばいいよ。
そういうゆるっとした関係、だめじゃないよ。

なんにせよ「きみだから」があればなんでもいいよ。

会いたいときに会えたら最高で、さみしい時に会いたいと思うのは、自発的に求める行為には、きみだからっていうのが含まれるんだよ。

わたしの好きは曖昧だけど、偽りはないし、ずっと向けられなくてもいいから、その瞬間、わたしを求めるときはわたしだからが欲しいし、その瞬間はちゃんと見てほしいし。

結局説明できないよ。変化するものでわたしにもつかみ取れない不確かな、曖昧な、無責任なもの。
なにもまとまってなくて、まとまりのない文章になったし、書きながらまとまりもしなかったし、聞かれたことにこたえるのが精一杯かもしれない。

過去記事のほうがちゃんと書けてる。わかりやすく。

だめだ。やりなそうまた。

心の瞬間の共鳴にぼくは文字をそっと添える。無力な言葉に抗って、きみと、ぼくと、せかい。応援してくれる方、サポートしてくれたら嬉しいです……お願いします