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時間が解決、だなんて薄情な。

 「時間が解決してくれる」って言葉。ちょっと違うんだよなぁと、いつももやもやが心の中を埋めていた。

 「時間が解決してくれる」って言うのって慰める側の人間で、その優しさの一方的な感情に傷ついてしまうことがよくある。時間は何も解決しない。通り過ぎていく時間の中で自分がどう過ごすかでしかないはずだ。
 同じ部屋にひとりぼっちで誰とも関わらずに1年過ごしたって傷ついた心は回復しない。
 これから先の未来、新しく出会った人やそばにいてくれる人たちの温もり、よい思い出、それらが過去の傷の記憶を薄めてくれるのだと思う。過去は変えられないけれど、現在の幸福度で過去の幸福度は変わる。今幸せなら過去の嫌な思い出も「まぁあんなこともあったなー。今となっては良い経験かな」って言えるようになる、だけだ。
 それでもその傷は治らないし一生跡は残るし、些細なことで塞がったつもりの傷口は簡単に開く。
 優しさを受け止める余裕がないとき、常にそれを自覚していて、だから、余計に辛くなって、この人は優しさから言っているんだと言い聞かせるけど、なぜしんどいのにその優しさを素直に受け止める努力をしなきゃいけないのか。
 受け止められるようになったら受け入れればいいんです。受け入れられるときになってその人がいなかったならばそんな人のエゴの優しさなんて優しさじゃない。

 優しさを押し付けたらそれは優しさじゃないんだよ。優しさという時点でそれは同情以下でしかない。
 そこに罪はなくて、誰にも罪はなくて、ただ、しんどい人に寄り添えない優しさは凶器になるってこと。
 何年も前の傷跡がときどき痒くなる。うずく。うっすらと残る傷跡。消えない。痛くないのに消えない。時間は表面の日常を取り戻していくのかもしれない。それが大事なことなのかもしれない。

 誰かの心に寄り添うことって難してく大抵できなくて、でも愛してる人たちが落ちていたら自分なりに寄り添い続けたい。人は薄情だと思う。言葉を簡単に放って、無意識に無自覚に言葉を口にする。みんな都合が良くて、落ちたときには離れていく。そこに愛はない。いつだって哀しいときは孤独だ。それでもずっと待ってて離れずにいてくれた人がほんの一握りいる。たしかに、いる。それだけでいいのだ。その他大勢なんて興味ないし、愛す必要もない。

 愛してる人たちだけを愛していればいい。時間は大切で心も大切で、時間も心も愛のない人に使う必要なんかこれっぽっちもない。愛してる人たちだけに全力で向き合えばいい。
 傷ついた過去さえ丸ごと愛したい。その過去や傷を、「嫌な思い出」という思い出に丸めたい。嫌な思い出が思い出になったら勝ちだ。それだけでもう、プラス。無かったことにする必要なんかない。嫌なことや嫌な出会い含めて、今がある。今の私が、あなたが、形成されているのは過去に積み重ねた全てのもの。それ全部、必要なもの。

心の瞬間の共鳴にぼくは文字をそっと添える。無力な言葉に抗って、きみと、ぼくと、せかい。応援してくれる方、サポートしてくれたら嬉しいです……お願いします