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「学校非公認 R駅伝部」第3話

 とうとうその日が来た。
 仮入部から1カ月。1500mTTで5分30秒台を出す!
 この1ヵ月、やれるだけのことはやった。
 スタミナをつけるために毎日たくさん走った。何度もみんなのペースと同じ速さで練習を重ねて体に刷り込んだ。1500m全部をあのペースで走ることは今の段階では無理かもしれない。でも、俺の目標タイムは5分30秒台。みんなのペースより1分くらい遅くていいんだ。それならいける気がする。
 絶対大丈夫!
 直進は自分に言い聞かせた。 
「次の問題!葛西!答えてみろ!」
 突然の指名に直進は驚いて立ち上がった。
 そういえば社会の授業中だった!やばい!何も聞いていなかった!ここはそれっぽい答えで乗り切るしかない!
「え〜と…土偶?」
 クラスのみんなが大爆笑をした。
「葛西!今は数学の時間だぞ!」
 先生の怒りが空気を伝って飛んできた。直進の机の上には前の授業のまま、歴史の教科書が開いてあった。

 放課後。
 TTに向けて3年生2人は体をほぐしていた。
「あいつ、今日も朝練していたと思うか?」
 秀が直進から少し離れたところでアップジョグをしながら、隣を走る颯志に話しかけた。
「していた。河川敷を走っていた。」
 颯志の言葉に秀は吹き出してしまった。
「お前、様子を見に西積の方に行ったな?」
「ち…違う!今日は西積に行きたい気分だっただけだ!」
 ちょっと口ごもりながら颯志が反論した。それをニヤニヤしながら見ている秀に、颯志は続けた。
「あやつ、昨日の夜も自主練していたと思うか?」
「していたよ。サイクリングロードで。」
 秀の返答に今度は颯志が笑う番だった。
「おぬし!様子を見に行ったな?」
 秀も笑った。
「やっぱ気になるよ。今日の練習はあいつが主役だからな。」
「しかし…。」
  颯志はそれ以上何も言わなかった。
 秀と颯志は、離れたところでアップしている直進を心配そうに見つめた。

 2年生2人もそれぞれの準備運動をしていた。
「ねぇ、和賀っち。葛西、大丈夫だと思う?」
 2年生の稗貫一成(ひえぬきいっせい)もやはり直進に注目していた。
「ヒエも気になるんだね。」
 隣にいる2年生の和賀憂人(わがゆうと)は、股関節を回しながら返した。
「うん、何となくね」
 一成は気持ちを控えめに言った。本当はかなり気になっている。
「俺は自分のことをするだけ。どうせ手助けできないんだし。」
 憂人の態度は白けて見えた。生気を伴っていない目。なぜこんなに無機質な反応なのかを分かっている一成は、複雑な気持ちで憂人を見ていた。

 天翔は近くで準備運動をしている直進をチラチラ見ながらアップしていた。
「なぁ、葛西」
「ん?何?」
「お前いつも…」
 天翔の言葉はそこで止まった。
「いつも…なに?」
「いや、何でもない。」
 天翔は「いつも朝も夜も走っているのか?」と聞きたかった。しかし、今それを聞いてどうする?そう思い直して口をつぐんだ。
 その時、集合の号令がかかった。
「大崎、行くぞ。」
 口をつぐんだまま立ち尽くしていた天翔に直進は声をかけてスタート場所に向かった。天翔もそれに続いた。

 1ヵ月前と同じ。全員でスタートラインに立った。
「始めるぞ!」
 そう叫ぶと、伊坂はストップウォッチを振り上げた。
 直進は意気込んでいた。
 今日で決まる!5分30秒。1周1分50秒ペース。絶対達成するんだ!
「ヨーイ!スタート!」
 みんなダッシュのようなスピード。
 直進の姿もその中にあった。
 1ヵ月前はすでに置いて行かれたスタートダッシュだったが今日は違う。
 1ヵ月間サイクリングロードで体に覚え込ませたペースだ。すごく速い。でも1周くらいならついて行ける。あとは少しずつ離されたとしても、目標タイムは達成できる。
 これが直進のプランだった。
 1周目はプラン通り、何とかついて行けた。だが、腕がしびれてきた。息も苦しい。
 少しずつ集団が離れていく。
 その途端、直進は体に異変を感じた。
 足があがらない。
 体が重い。
 自分の体ではないみたいに自由がきかない。
 みるみるうちに広がる差。
 離されるのは分かっていた。
 でも自分がこんなに遅くなるとは思っていなかった。
 こんなはずじゃない!もっと速く走りたい!
 1ヵ月このために練習を重ねてきたんだ!
 俺はもっと速く走れる!
 直進はもがいた。
 しかし体は限界だった。
 1ヵ月間、学校の時以外はほとんど走っていたようなものだ。直進の体の疲労は極致に達していた。
 2周目の途中から、歩くよりも少し速いぐらいのペースで走るのが精いっぱいになってしまった。
 動かない体。前に出ない足。
 まともに前に進んでいないのが分かる。
 それなのに息が苦しい。
 いくら呼吸をしても追いつかない。
 目の前がぼやけてきた。
 でもやめるわけにはいかない。
 絶対走り切る。
 直進の走りを気力だけが支えていた。
 ゴールした瞬間、直進は倒れ込んだ。
 「葛西!大丈夫か?」
 天翔の声が聞こえた。
 起き上がりたくない。このまま目を開けたくない。
 極度の疲労と、現実から逃避したい感情が重なり、直進はその場から動かなかった。
 タイムは見る必要もなかった。
 誰が見ても1ヵ月前よりタイムが悪かったことは明らかだ。
 それは走っていた直進が一番感じていた。
 ダメだった…。
 途中から体を支えるのがやっとだった。
 目に熱いものがこみあげてくる。
 この1ヵ月必死に頑張った。いや、「黒い弾丸」の姿を見てから、声をかけてもらってから1年半、毎日自分なりに頑張ってきた。
 小学4年まで持久走大会ではいつも男子18人中17位。運動は苦手だった。
 でもあの走りを見て、あの言葉を聞いて、体に稲妻が走った。
 一緒に走りたい!本気でそう思った。
 1年間毎日走って、6年生の持久走大会で3位になった。
 もっと必死に頑張れば、絶対みんなに追いつける!そう思って頑張った。
 ……けど…。
「俺…この1ヵ月、楽しかったです。」
 直進は顔を下に向けたまま、起き上がって口を開いた。
 みんな直進を見ている。
「こんなに速い人たちと走れて。一緒に駅伝を走る夢を見れて。ホント楽しかったです。」
 顔は上げられなかった。上げれば涙があふれてきそうだったから。
「ありがとうございました。R駅伝部のことは誰にも言いません。だから…」
「かさいぃぃぃぃぃ!!」
 直進の言葉をかき消すように、秀が大声を出した。
「お前、朝も夜も走ってたよな?1ヵ月ずっとか?」
 直進は驚いて思わず顔を上げた。頬に透明なものが流れた。
「…え、なぜ知っているんですか?」
 秀はその問いかけに答えず質問を続けた。
「毎日か?」
「はい。」
「休んだ日は?」
「ないです。」
「お前、バカだな。」
 秀は驚いたような、呆れたような表情をした。
「休むのも練習のうち。適切な練習をして、適切に休息をとる。休んだことで筋繊維は回復して前より強くなる。そうですよね?伊坂さん?」
「お…おぉ、その通りだ。」
 突然の問いかけに伊坂は気おされながら答えた。
「まずお前には基礎の基礎から教えなきゃいけないようだな。」
 秀の言葉に直進は目を丸くした。
「教えるって…でも俺は…。」
 秀は直進に一枚の紙を渡した。
「…これ…。」
 その紙はスカウトされた人だけが持つ「R駅伝部」のチラシだった。
「葛西直進!俺たちと一緒に走らないか?」
「…え?」
「間違った練習方法だったかもしれない。でも、そんなメチャクチャな練習をずっと1人で続けられるくらい根性があるヤツなんて、そういるもんじゃない。お前は絶対速くなる!だから一緒に走ろう!なぁ、みんなもそう思うだろ?」
 振り返るとそこには同意を表すうなずきと歓迎の微笑みがあった。
「それにな、俺、そういうバカは嫌いじゃないよ。」
 秀が笑顔で付け加えた。
「ふははは!やはり俺の目に狂いはなかったな!」
 颯志が高らかに声をあげた。それを聞いた秀は、
「よく言うわ!お前『知らぬな』って言ってたじゃん!」
 颯志の声&顔真似をしながらのツッコミにみんな大爆笑!
「な?こういうバカが俺の親友だ。」
 秀は直進に笑いながら囁いた。
「バカとはなんだ!秀!撤回せよ!」
 地獄耳の颯志が真面目な顔で詰め寄る。
「聞こえたのか?褒めてるんだよ。」
「…何っ?褒めている…のか?」
 不思議な顔の颯志を横目に、秀は直進に向かって手を差し出した。
「葛西!これからよろしくな!」
 秀の手を握り、直進は立ち上がった。
 一緒に走れるんだ!
 直進の心に特別警報級の熱いものがこみ上げてきた。
「はい!よろしくお願いします!!」
 直進の目から大量の雫がこぼれ落ちた。
「でもさぁ…。」
 秀はわざとタメを作った。みんなの視線が秀に向く。
「颯志のこと『黒い弾丸』って言ってたんだって?お前、ネーミングセンスも鍛えないとな。」
 秀が直進を見てニヤリとした。
 走って、泣いて紅潮していた直進の顔がさらに真っ赤になった。
 なぜ田村先輩が知っているんだ?
 これを知っているのはアイツしかいない!!!
「おおさきぃぃぃぃ!!!!!」
「ヤベッ!」
 天翔は逃げた。
「お前!言いやがったなぁ!!」
と、追いかけるはずの直進は足がもつれて転がった。もう追いかける足も残っていない。
 その光景にみんな涙を流しながら大爆笑していた。颯志を除いて。
 『黒い弾丸』なんと良き名前だ!我が異名にふさわしい!
 颯志だけが心からそう思っていた。

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