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ママー!という自分の声で目が覚めた。泣いていた。

海辺で、大好きな母と砂遊びをしていたら、突然母がいなくなった。
泣きながら、母を探して海辺を這いずり回った。母と遊んでいた時は走れたのに、母を探すときには、なぜか這うことしか出来なかった。

這いずり回るうちに、若い女の人たちの笑い声が聞こえてきた。
荒い海の波の上に、数人の女性がフワッと浮かんでいて、こちらを向いて微笑んでいる。
ママー!ともう一度叫んだ。
目を凝らし、母を探した。

どの女性も、母にとても似ている笑顔なのに、その中に母はいなかった。


母は忙しい人だった。思い切り甘えたくても、仕事でほとんど家にいない人だった。妹が生まれてからは、なおさら母を独り占めする時間も権利もなかった。

家には、忙しい母に代わり、家事や私たちのことを見てくれる人がいて、その人のことは大好きだったけど、母より好きだったかといえば、そうではなく。

やっぱり母が1番好きだった。
いつもいつもくっついていたかった。
大好きな母から褒められたくて、ピアノも一生懸命頑張った。
たまに授業参観に来てくれる母は、綺麗で若くて、自慢の母だった。

大学進学のために、家を出た私はあれから数十年、ずっと母が大好きなまま大人になり、母は老人になった。
あの頃とひとつだけ違うことは、
母は忙しくなくなり、私は忙しくなったことだ。

今も母は、父と元気に暮らしている。
母を独り占めしていた妹も、家を出て幸せな家庭を築いている。

お互いが元気で笑顔で会えるうちに、今までのもどかしかった時間を少しでも取り戻したいのに…
都会から地方への帰省はまだまだハードルが高い。
自分がもしかしたら無症状の陽性者で、愛する年老いた両親を感染させてしまったらと考えるだけで、ゾッとする。

せめて頻繁にLINE電話で、顔を見ながら話したいけど、案外母はあっさりしていて、要件を楽しそうに話したら、すぐ切る。
だから私は少しでも母と長く話していられるように、お笑い芸人のように、毎回ネタを仕込んで、連絡する。

「誰かに頼らず、自分で自立して生きられる人になりなさい」

結婚して、子供ができたら大体の女性が仕事を辞めて家庭に入る選択肢が大半だった時代。
母が遅くまで残業したり出張に行く背中を見て育ち、私も当たり前のように同じ道を歩いてる。
ずっとずっと、わたしの憧れの存在でいてください。

ありがとう、ママ。



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