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オーディションに殺されそうで落ちたら死にたい人へ

明日は某オーディション、ファイナリストの発表らしいとTwitterで流れてきた。去年の今頃は余裕なフリしてガチガチに緊張していたと思う。

ファイナリストになってみて賞をとったがオーディションが終わった途端自己発信に興味を無くししばらくなにも出来なかった。残った肩書きを使って自分は○○賞で〜と得意気に話せていたけど時間が経つにつれてそれ自体は何の意味も無いことに気づいた。

賞をもらえるとかそうじゃないかとかじゃなくてオーディションの過程で自分が何が得意なのかとかやりたいことを見つけられる方がよっぽど意味がある事だと思う。
自分みたいに賞を貰えても終わった途端に頑張れずインターネットを漂っている人もいるし、賞とかあっても無くても頑張り続けてやりたいことを叶えている人もいるからショックでもオーディションに殺されてほしくない。だれかがあなたに評価を下してそれで死ぬなんてそんなの悔しいし、全然ロマンチックじゃない。
頑張ってる貴方の最後に相応しくないと思いませんか。

たかが画面越し数分とインターネットが貴方じゃないから。佇まいから滲み出る雰囲気、姿勢、声の張り、自分だけの思想とか、優しい仕草とか、何年も一緒にいて気づく素敵な部分もきっと自分自身がわからないだけでたくさんある。
もし死ぬならこんなオーディションじゃなくてもっととっておきのシーンで死にたいとわたしなら思う。

賞とったから偉そうに言えるんでしょう。と思われるかもしれないけど
わたしはただ賞をとっただけで、それはあってなかったようなものだと気づきましたし、今現在みんなのエンタメになれているかというとそうじゃない。

むしろ、賞をとったくせに何もできないわたしは惨めだと思う。そうやって賞をとってそれに縛られてるのも惨めだ。

だから結局プロフィールから賞の名前を消した。その賞は自分の真の肩書きではないから。

もし賞をとれなくても、もし生き続ければ貴方は誰も知らない素敵な貴方のまんまで、違う肩書き、もしくは肩書きにさえ縛られない素敵な貴方になれる!
というと絶対なんてないから可能性があると言おうと思う。死んでも生きても素敵な貴方になれる可能性がある。
可能性って必ずしもプラスじゃないし暗箱だけど、貴方に似合う最期が来るかもしれないし、承認されなくても幸せになれるかもしれない。希望も絶望も秘めてるからこそ、死ぬのも自暴自棄になるのも今じゃないと思う。頑張れたことも無駄ではないしどこかで貴方の糧になっているのではと思います。ここまで読んで、全然わかってない。と、私に対してイラつく人もいると思う。悲しませたり、怒らせてしまったらごめんなさい。誰かを怒らせてでもこの文章で、死ぬことを止めたり落ち込んでる人が立ち直る可能性があるのではないか思うから書き切らせてほしい。このオーディションが絶対的だと言いきれるなら貴方は死ぬには若すぎる。この先もっと色々などん底や幸せになれる経験・体験が待ってると思う。

結構本気でオーディションに心も体も殺されてほしくない。認めてくれる人は審査員だけじゃない。賞をとった先の保証もしてくれない。例え貴方の憧れの人でも、貴方の全てをわかるわけではない。

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