「なんのはなしです歌」の効用

(全部で2,100字くらいです)

#なんのはなしですか は、noteでコニシ木の子さんという方が提唱しているハッシュタグです。

 コニシ木の子さんは、この「なんのはなしですか」という言葉について、上の記事の中で次のように言っておられます。

人の日常や日々思うこと、創作も含め、普段言えない、書けない悩み、そしてどのジャンルの作品にでも使え、喜怒哀楽を表現出来て、どこまで本当か嘘かもハッキリしなくてもいい「魔法の言葉」

 わけがわからない話も、「なんのはなしですか」のひとことでnoteに着地できるのです。

 そしてまた、noteの外でも「なんのはなしですか」はとても役に立ちます。ひらがなで「なんのはなしですか」と呟くことで、ある種の可笑しみが生じ、わけのわからないものごとに直面した時の衝撃が緩和されるのです。もっと早くこのワードを知っていればよかったです。

 最近「なんのはなしですか」を歌にした作品が登場しました。

 サビの部分では「なんのはなしですか」と延々と繰り返されます。
 文字で書かれていれば読むのは一瞬ですが、音楽で表現されているとそれなりの時間を要します。私はここに「なんのはなしですか」が歌になった意義を感じることがあります。
 例えば、理不尽な扱いを受けた時、この歌を脳内に再生することで冷静さを取り戻せます。アンガーマネージメントの方法として「6秒ルール」が有名ですが、6秒数えたくらいでは怒りが収まらないこともあります。そんな時にこのフレーズを頭の中で歌うのです。

なんのはなし
なんのはなし
なんの〜はなしで〜す〜か〜♪

すると程よく脱力してカスハラ的に怒ったりしなくて済みます。

 逆に、他人から何かを追及されたとき、とぼけるのにも使えます。なんのはなしですかと声に出して歌い、相手を煙に巻くのです。先日私は、ダイエットを宣言したにもかかわらず柿の種をバリバリ食べているところを夫に見つかってしまいました。「お菓子はやめるのではなかったか」と問う夫になんのはなしですかと歌って、どうにかその場を切り抜けました。
 ただし、用途は笑って済ませられることに限られるでしょう。例えば浮気の現場に踏み込まれた時にこれをしたらかえって事態はこじれそうです。

 「なんのはなしですか」を知っていたらもう少し救われたかもしれない、と思うのは身内の介護にかかわった時です。
 アルツハイマー型認知症の義母をお世話していた日々は「なんのはなしですか」の連続でした。

義母「わたし、1週間くらい何も食べていないの」
私(お昼ごはん食べたばっかりですよ)

義母 「さっき◯◯さんと△△さんが来てお茶飲んでったの」
私(2人とも10年以上前にあの世に行ってますよ)

義母「もう帰ります」
私(ここ自宅ですよ)

義母 「あなた誰?」
私(……)

 認知症の人に対して、本人の言うことが事実と異なっていても否定してはいけないのだそうです。
 実際、その都度出現する本人の世界観に沿うと、わりとすんなりと意思疎通ができ扱いが楽でした。
 しかし、義母がその時どのような世界にいるのか推しはかるのは大変です。なんのはなしですかと、会話の中から瞬時に手がかりを探らなくてはなりません。

 本人の記憶力や見当識が衰えるにつれ、困った行動も増えていきました。結局家族だけでは手に負えなくなり、介護のプロに任せることになりました。
 地域包括支援センターの職員さんからは「こんな状態になるまで家族だけで面倒を見ていたのか」と驚かれました。認知機能が低下しても、本人はヘルパーさんや老人ホームの世話にはなりたくないと強い意志を持ち続けており、それを家族も尊重しすぎたのでした。
 結局だますような形で介護施設に連れて行きました。行った先で自分が置かれた状況を理解できず、義母はきっと「なんのはなしですか」と思ったに違いありません。こころが痛みました。義母はその施設で肺炎になりそのままこの世を去りました。

 周囲にとっては困った言動も、認知機能の衰えから生じるもの。
 直前の記憶がないために、自分がなぜここにいて、今まで何をしていたのかわからない。義母にとってもまた「なんのはなしですか」の連続だったはずです。例えば「徘徊」も当人なりに問題を解決しようとする行動なのでしょう。
 でも家族にはそのことがよくわかっておらず、ひたすら認知症に振り回される毎日でした。
 そんな時「なんのはなしです歌」のひとつも口ずさめば、少しは気が楽になれたかもしれません。

 「なんのはなしです歌」はいっけんふざけた歌のようで(←ほめてます)、暮らしの中のさまざまな局面で心を救ってくれる曲だと私は思っています。

 「なんのはなしですか」は“ひとりごと”の性格が強いのですが、ポジティブなコミュニケーションの言葉としても使っていきたいです(これはコニシ木の子さんが想定する使い方とは方向が違うかもしれません)。
 自分の理解を超えたものに出会ったとき、それを理解しようとするならば、詳しい人に教えてもらう他はありません。「なんのはなしですか」と問うことなしに自らの成長はありえない。そんなことも思いました。

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