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5月3日「能を知る会鎌倉公演」善界

祖父 中森晶三、父 中森貫太と継いだ、観世流の若手能楽師 中森健之介です。鎌倉を拠点に活動しております。これからもますます精進してまいる所存でございます。何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、来月、5月3日に鎌倉能舞台でシテを舞います「善界」について書いていきたいと思います。

鎌倉では上演したことのない「善界【ぜがい】」を私、中森健之介が勤めさせていただきます。

室町時代の医師・竹田法印定盛作とされる、中国からやってきた大天狗・善界坊が、比叡山は飯室の僧正にやられて逃げ帰るという、ざっくり言ってしまうとあんまりにもな話です。

筋としましては
中国中の修験者・仏教に携わる者をことごとく天狗道(魔道・魔縁・外道)に落とした天狗の頭領・善界坊が、未だ隆盛を誇る日本の仏教にまで手を伸ばそうと遥々海を渡ってやって来る。

足がかりのない善界坊は、まず京都は愛宕山に住む大天狗・太郎坊を訪れ、どうやって日本を「魔道の巷【まどうのちまた】」にするか相談する。
善界坊の企みを聞いた太郎坊は賛同し、太郎坊の庵室から見える比叡山こそが、伝教大師以来の日本仏教の根本道場だと教え、この霊鷲山を落とせばいいと勧める。

しかし善界坊は、顕教・密教を兼学する比叡山の仏法の充実ぶりにためらう様子を見せ、特に不動明王に大いなる恐れを表すも、太郎坊が益々後押しし、さらには自分も協力すると誓う。
すると善界坊は心を決め、太郎坊とともに雲に乗って比叡山へと飛び立つ。
比叡山では飯室の僧正が、天狗由来の変事の解決のために祈祷を行うよう帝から勅命を受ける。

その先駆けとして、能力【のうりき】が巻数【かんじゅ】を携えて都へ進んでいると、突風が吹き荒れたため、天狗の仕業と恐れをなして逃げ戻る。
その後、僧正が車に乗って都へ向かっている途中、大荒れの天気となると、善界坊が現れ行く手を阻む。

雲中より邪法の呪いの声が聞こえ、魔道に誘引しようとするも、僧正は冷静に不動明王に祈念する。
すると、不動明王が仏法を守護する眷属を引き連れて現れ、悪魔降伏の力を発揮する。
さらには山王権現や八幡大菩薩といった他の日本の神々も顕現し、善界坊を責め立てる。

やがて、翼も折れて力も尽き果てた善界坊は、もう懲り懲りだ、二度と日本には来ないと誓い、虚空へと逃げ去るのであった。
という物語となっております。

見どころですが、前場はいきなりシテが出てきて「次第【しだい】」を謡うところから始まるのがかなり珍しい構成となっております。

基本的に能は、ワキやツレから始まることが多いのですが本曲はシテからはじまり、ツレを呼び出すという演出です。

地謡もしっかとしたクリ・サシ・クセがあり、魔道や仏教、天狗とはどのような「哀れな生き物」なのかをとくとくと述べる文章となっております。

間狂言は、この度は万作の会様にお願いしていますので、和泉流となっております。
内容としましては、「太郎坊の密告があり、善界坊が暴れているというのが比叡山にすでにバレている。」という内容です。
よくよく聞き耳を立てていると、あんなに賛同して、誓って協力すると言っていたのに太郎坊はなんてひどいやつなんだ、というシュールなことになっています。

後場は、天狗物によく見られます、能の中では一番どっしりとした出囃子「大癋【おおべし】」から始まり、僧正を誘引しているさまを表す「立廻【たちまわり】」、僧正との戦いを示す「舞働【まいばたらき】」と、囃子事の多い曲となっております。
僧正の乗る車に近づききれずに離れる様や、羽団扇を持って暴れまわる動きが見どころとなっております。

大きな流れとしましては、魔界の実力者である天狗も仏法の持つ力には対抗できない、仏法とは有り難いものなんだ、という内容です。

余談ですが、「天狗」とは中国では「天狗【てんこう】=天の狗【いぬ】」と呼ばれ、凶兆を示す「流星」のことを指し、空中で爆ぜて大音響を発したことから「犬の姿」とされていました。日本書紀でも流星・隕石のことを指していましたが、中国の天狗観は根付かずいつしか記述はなくなったそうです。

しかし、平安末期に突如として「飛行する半鳥半人」の姿として頻出するようになります。善界坊のもととなった逸話も、「今昔物語集」巻二十第二話に収録されております。天狗が鳥のイメージとなったのは、山伏の超人的な能力と、魔界を駆ける天狗のイメージが重なったからとか、山伏修行の妨げの一つが羽音や鳥の声だとかいろいろな説があるそうです。また、山伏の果ては鳶だという説や、高慢な山伏が天狗となるという説などが合わさった結果なのではと思います。

中世日本は、大魔縁と言われた崇徳上皇(復曲・松山天狗)や、天照大御神と第六天魔王の偽りの約定など、「魔界」が畏怖されていた時代だったのかもしれません。また、名家出身の僧が大寺院のトップに選ばれるなど既存宗派の俗化の激化や、新仏教の乱立による宗派間の対立などがあり、仏教界全体が堕落・混迷していた時代だと見られ、それら全般を天狗の所業とみなしていた節があります。

そういった中世日本を暗躍していた「天狗」「魔道」を、謡曲「善界」は暗澹たる社会不安としては描かず、高僧にこっぴどく懲らしめられる天狗として描かれております。社会不安を引き起こすとされていた天狗たちが、間抜けで滑稽な失敗をするというどこか狂言めいている、能ではあまり類を見ない面白い話だと思っていただければと思います。

まだまだチケットはたくさんございます。感染症予防対策にも気をつけてお客さまをお迎えしておりますので、どうぞ鎌倉まで足をお運び頂けましたら光栄に存じます。よろしくお願いいたします。

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