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思考から陰謀論を追い出す

ある事件や出来事について、事実や一般に認められている説とは別に、策謀や謀略によるものであると解釈する考え方。強大な権力を持つ人物あるいは組織が、一般市民に知られないように不正な行為や操作を行っている、といった推論・主張が多い。

陰謀論 | コトバンク(デジタル大辞泉「陰謀論」の解説)

陰謀論が苦手だ。自分としては、遠ざけたい。

世の中の仕組みを理解することには興味がある。
しかし、陰謀論と呼ばれるものの中には、世の中の仕組みの中に、正しいかどうか確認できないことを推論に使っているように見える。

推論すること自体がダメということではない。

① 関係のある他の事柄にまで議論を及ぼすこと。論及すること。〔孔子家語‐致思〕
② 一つの判断から推して他の判断を導くこと。既知の事柄を基準として未知の事柄を論じること。推理。

推論 | コトバンク(精選版 日本国語大辞典「推論」の解説)

世の中の仕組みを理解する、世界で起きていることを知ろうとすると、推論が必要だ。しかし、推論はできるだけ、固い事実をもとに進めたい。

Zという事実に至る経路として、

A→C→D→K→Z
という可能性もあれば、

B→C→K→L→M→N→O→P→X→Y→Z
という可能性だってある。

陰謀論では、この途中に、存在が不確かな組織、権力者の思考・信仰、といった実際に見えない情報を事実として、これを推論途中の仮定に使ってしまう。もちろん、本当にそういう組織が介在している可能性だってあるだろう。しかし、仮にそうした組織がいなくても、同じ結論になる可能性だってある。

ある組織と同じ考え方、同じだけの情報を持つ個人や組織もあるだろうし、同じ利益を享受できる人たちは他にもいるはずで、結果として、誰かが同じ判断をしたり、同じ手段を講じる可能性だってある。世の中で起きていることを知るために、必ずしも、不確かな組織を持ち出す必要はない。

さらに、問題なのは、そうした不確かな組織、権力者の思考・信仰を前提にして、ある正しい事象にたどりついたとする。今度は、仮定に使った、不確かな情報を正しい情報として、他の推論で使ってしまう。その仮定をもとに、正しい事象にたどりついたために、正しい仮定だったと考えてしまうことで。

確かに推論は楽になるだろう。

A → X(某組織の方針) → Z
と一足飛びに、推論が可能になるかもしれない。しかし、これは思考の過程にブラックボックスを作ることになるし、正しく仮定に使うためには、不確かな組織について、もっと知る必要が出てくる。情報を探すなら、不確かな組織の情報より、一般的に正しいとされる情報のほうがたどりつきやすい。仮に、推論の過程が複雑になっても、私は、あやふやな情報を頼りにするより、面倒でも、一般的な事実の収集とそれを使った推論を選択したい。

そうすれば、不確かな組織を信じない人にも推論を説明しやすい。
一足飛びに推論した内容を説明しようとすると、まず不確かな組織の説明から始めないといけなくなるからだ。不確かな組織が存在しないとは言わないし、権力者の思考は、陰謀論に登場する通りかもしれない。しかし、確認しようがないなら、それを推論に使うことはしたくない。

実際にこんな人や組織もあるだろう。

もっとエンターテインメントに寄せた話をすれば、明治の頃、北海道には国をひっくり返すだけの金塊だってあっただろう。

実際に、事実だとわかってから、推論に組み入れても遅くないはずだ。
それが事実と分かった時、遠回しの思考が一気に明らかになったほうが事実を知った喜びも大きいだろう。

でも、現実に横たわる世界の横に、そうした組織があると物語はおもしろくなるんだよなー。最近、陰謀論めいた話をたくさん見て辟易としたので、陰謀論を遠ざけたい理由を考えてみた。世の中の仕組みを考える時には排除したいけれど、想像は楽しい。楽しい想像だけに留めておきたい。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。