見出し画像

初めてエゴン・シーレに会ってきた

28歳で亡くなったという夭逝のエゴン・シーレ。
独特の画風の展覧会ポスターを何度も見て、行きたい展示でした。所用で有休を取った日の午前中、東京都美術館で開催中の「エゴン・シーレ展」に行ってきました。

展示を見に行くときはなるべく予習をしたい人ですが、今回はあまり予習はできず。『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦先生が、エゴン・シーレの影響を受けているという情報くらいで、朝、東京都美術館向かいました。

あとに用が控えていたので、見れるのは2時間くらい。今回は、エゴン・シーレの展示が50点あるという情報を聞いて、(120分だと1点あたり2-3分か、余裕ないなー)と思って寝たのに、ちょっとだけ寝坊してしまい、開館して15分後の9時45分に東京都美術館に到着。


展示の様子

展示エリアに入って、唖然としてしまいました。
エゴン・シーレ以外にも、師にあたるクリムトの展示、影響を及ぼしたであろう同時代の作家の展示、全部で200点近い展示でした(3フロア)。

うーん…

エゴン・シーレを中心に、気になる絵、好きになった絵の好きになったポイントを確認しながら、フロアを行き来しよう。とはいえ、コロナ禍の美術館とは違って、平日でもそこそこに人が多く、小走りで行き来するのは難しい感じでした(もともと走っちゃいけません)。

他の展示でもそうですが、あまり知らない作家の作品を見る時、展示方法として、同時代人、前時代、師の作品を取り上げてくれると非常にありがたいですね。見る軸ができます。そういう意味ではよかったと思います。それでもやっぱりエゴン・シーレの絵(特に人物画)に人が集まっていました。

荒木飛呂彦先生のキャラクターのポージング思い出すと、まぁ影響というか、まんまポーズを借用したものもありますね。なので、人物画中心の作家かと思いきや、展示には、風景も結構ありました。

風景画エリア(撮影OK・非営利目的の公開OK)

風景画エリアの一部は、今回、写真撮影OK、ブログ公開も可ということなったので、貼っておきます。

『吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)』(1912)「エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」 東京都美術館

風景といっても、この部屋は、街の様子がほとんどです。

『ドナウ河畔の街 シュタインⅡ』(1913)「エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」 東京都美術館
『モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)』(1914)「エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」 東京都美術館
『小さな街Ⅲ』(1913)「エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」 東京都美術館

「山や水、木や花の身体的な動きをとりわけ観察している
 すべてが人間の身体と同様の動き、
 植物の歓喜や苦悩に似たゆさぶりを想起させる」

フランツバウワーに宛てた手紙(1913)

これらの展示の少し前の部屋に『秋の森』(1907)『山腹の村』(1907)という少し前の時代の作品がありました。

壁には「色と形で遠景をあらわしたウィーン分離派の影響あり」というコメント。確かに後景が手前と同じ色の濃さでした。筆の向き、筆の太さで中景、遠景の違いを出していました。遠景にも不思議な存在感がある絵になっています。

その他、風景ではありませんが、植物を書いた『キンセンカ』(1909)も花の黄、オレンジの鮮やかさが際立って目立つ作品でした。

女性の絵

女性の絵、裸婦の絵が多かったです。すごくエロティック。なぜそう思うのか、理由を知りたくお尻や脚、股間をじっくり眺めていましたが、あれだけ見つめていたら、ちょっと異常だと思われたかもしれない。絵を鑑賞しているという感じとは違う卑猥さもありました。性的欲求さえも喚起するような。一部、露骨に描いたような絵もありますが、露骨に描けばエロティックになるわけでもなく。途中から、写実性が増したというコメントがあった通り、あとに女性もより肉感的になります。

『頭を下げてひざまずく女』(1915)『横たわる女』(1917)あたりは、わかりやすくエロティックですね。

「僕は、あらゆる肉体から
 発せられる光を描く。
 エロティックは芸術作品にも
 神聖さが宿っている。」

レオポルト・ツィハチェックに宛てた手紙(1911)

正直、神聖さは少なく、エロティック成分がほとんどだと感じる絵もありました。女性の後ろ姿を描いた『肩掛けを羽織る裸婦、後ろ姿』(1913)なんかもそうかもしれない。

ポップな感じの『黄色の女』(1914)、
幼さと躍動感を感じる『走る女』(1915)
もよかったです。

自画像

ポスターになっていた『ほおずきの実のある自画像』(1912)の展示のある部屋はよかった。私がイメージしていたエゴン・シーレの作品が並ぶ部屋です。この部屋は人気で、混雑していた印象です。特に『ほおずきの実のある自画像』は、あまり近くに寄れないほどに人が集まっていました。

腕の位置、体の向きはもちろん、おでこのシワとか、エゴン・シーレが、人物のどこをどう見てるのかわからない、不思議な印象を持つ絵が並びます。荒木飛呂彦先生の作品を見続けているので、キャラの造形も、ポーズも特徴的とは思わないような頭も心も躾けられています。『ジョジョの奇妙な冒険』を好きな人は好きな絵でしょう。

『自分を見つめる人Ⅱ(死と男)』(1911)は後ろにスタンドがいるし、
『裸体自画像』(1912)は、ズッキューーン! な感じだし。

腕をこう配置するとおもしろいかも、という感覚は素人にも理解できるかもしれませんが、実際の人物では無理な形なのだから、自分が絵を描くなら、そういう位置に腕を描いてみようと思うかどうか。いわゆるジョジョ立ちも、体に無理をさせてるわけですし。

ジョジョにそのまま出てきそうな
『自分を見つめる人Ⅱ(死と男)』(1911)、『裸体自画像』(1912)はもちろん、『叙情詩人』(1911)『闘士』(1913)もよかった。どれも目が離せない感じです。

母と子

やはり人物画に惹かれます。

『母と子』(1912)の子の見開いた目!
背景と服の同化は『叙情詩人』なんかでも見られたものでしょうか?
1907年頃に描いた風景で身につけた方法でしょうか。

『母と二人の子どもⅡ』(1915)
『啓示』(1911)
もいいです。

その他

立ち上げに携わったウィーン分離派。その分離派展のポスターがいい! かっこいい。エゴン・シーレが描いた以外の作家もいいです。ポストカードを買って帰りたくなるものが多かったです。

オスター・ココシュカの絵も好きになりました。

全体の感想

2時間弱、駆け足でまわりました(実際に走ってはいません)。

展示内容の感想ではなく、もう少しゆっくり見たかったというのが正直な第一の感想です。せっかく同時代、彼が見たであろう少し前の時代、師であるクリムトの絵も展示してあったので、いいなと思った点を言語化するきっかけをくれるだけの展示内容だったと思います。言語化する時間を館内で持てなかったのが残念でした。でも、エゴン・シーレの絵で、好きな絵がピックアップできたのはよかった。特に、ほとんど知らなかった風景の絵について知ることもできました。風景は、同時代の他の作家の絵もよかったですね。4月9日(日)までと会期終了まで時間がありませんが、行ける人は現地で見てください。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。