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他人のアドバイス通りにはやらないけれど、ちゃんと耳を傾ける人。獺祭を世界に届けた桜井さん #ほぼ日の學校

「ほぼ日の學校」アドベントカレンダー最終日の授業紹介は、
旭酒造株式会社の会長、桜井博志さんの『山口発、世界へ。「獺祭」という日本文化』です。

授業紹介・視聴動機

山口発、世界へ。「獺祭」という日本文化
桜井博志 (旭酒造株式会社 会長)

いまや日本酒好きで知らない人はいない日本酒「獺祭(だっさい)」。山口の山奥の小さな酒蔵(旭酒造)で、データにもとづきながらも、社員が手間ひまをかけてつくった純米大吟醸酒です。倒産の危機に瀕していた旭酒造を、今や世界に知られる日本酒メーカーに育てた桜井会長は、何を考え、どこまで計算し、確信して獺祭を世に出したものだったのでしょうか?そして今、何を見据えているのでしょうか?日本酒、日本がちょっと好きになっちゃう授業です。
公開日:2022.11.18
桜井博志(さくらいひろし)
旭酒造株式会社 会長

旭酒造株式会社 代表取締役会長 1950年生まれ、山口県周東町(現岩国市)出身。1973年松山商科大学(現松山大学)を卒業後、西宮酒造(現日本盛)での修業を経て、1976年に旭酒造に入社。 酒造りの方向性や経営をめぐって先代である父と対立して退社。1979年に石材卸業の櫻井商事を設立し、年商2億円まで伸ばすも、1984年、父の急逝を受けて家業に戻る。 倒産寸前だった家業を、純米大吟醸「獺祭」を軸に、杜氏制の廃止、社員による四季醸造、海外への積極進出等、次々と業界の常識を破る改革で、経営の再建を図る。 2016年に社長(当主)を息子の桜井一宏に譲り、会長に就任。 2014年、日本イノベーター大賞・優秀賞受賞。2016年、経済界大賞・優秀経営者賞受賞。2021年、EY アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー日本代表選出。

私は、普段、マーケティングの仕事をしています。製品、サービスのブランディングについて考えることもあります。倒産の危機から、製品開発、市場を席捲するまでになった製品についての興味が尽きません。
そして、視聴してみて、製品開発から価格設定まで、すごくすごく参考になる話のオンパレードでした!

桜井博志さんの言葉

お客様の声を直に聞くことの重要性

お父さんと喧嘩して、実家の会社を飛び出した桜井さん

女房の親族が石材採掘業やってたので
石材の販売すればいいだろと
そっちの業界に一時身を置いて
桜井商事という会社つくって
いかにもええ加減な会社ですけど
石材の卸を始めたんですね

Q.その事業は
順調に進んだんですか?


それなりにうまく行ったんですね
その時 石材をやって面白かったのは
日本酒業界は縮んでいくマーケットだったので
結構つらいでしょ
石材はそれなりに伸びて行ったんですよ
まず一つは商売は流れに逆らって上がるより
流れとともに行く方が楽だなと
もう一つ その頃の酒蔵は
お客さんが見に来たり
酒屋さんが来ることはなかった
お客さんも来ない 酒蔵見ても
酒なんかどこも一緒よ
みたいな感じで
誰も本気で見てなかったし
品質が良いとか悪いとか
そういう感覚もなかったんですよ
ところが石材の方は
石材店や建築会社が原材料ですから見に来るわけですよ
ちょっと見せろと
おまえのところの資材置き場
見せてくれ 現物どんなんだと
採掘場まで一緒に連れてけとか
良ければ買ってやる みたいな感じで
品質が良ければ売れていくんだなと
日本酒は品質関係なしで
人間関係で売れとか
あれ?本当にあれが正しいのかと
商売だからお得意先を大事にして
人間関係を作ってと言ってるけど
あれが正しいのか?
こんなふうに
石材の時に思いましたね

お客様の声を直に聞くことの重要性を奥様の実家の稼業で知ることになります。いいものを作って、いいものを見せて、それで買っていただくという体験がここにあります。

実家を継いだ時の状況

お父様のご不幸のあと、後を継ぐことになります。

だから彼ら(従業員)に どうやったら売れる
どうやったら立て直せると聞くんだけど
答えなんて出てこないですよね
答えが出てくるなら彼らもうやってるもんね
最初は彼らの言う話を丸呑みしてやってみようと
思ってやるわけですね

例えば 値引きをしてみたり
お酒に皿やグラスが付いてるから
じゃあそれやろうとか
いろいろやってみるんだけど
売れるところがやれば
さらに売れるようになるんだけど
売れないところがやっても
何の価値もないんですね

結局 売上そのものは
数量だけで言うと横ばいになった
私がやるようになって横ばいか微増
たけど経費が膨大にかかるわけです
どんどんいろんなことやって
金突っ込んでいくわけだから
それまで縮みながら
内情は良かった旭酒造の経営は
さらに火の車になっていくわけです
うちは親族があまり
たくさんいない家系で 外野や
酒蔵を取り巻く問題が少なかった
僕がいろいろやって
失敗することに対して
足を引っ張る人間がいなかったんです
社員は社員で売上が
ものすごく落ちてきたわけですから
この酒蔵がこのまま行ったら
自分たちもどうなるかわかんないと
うすうす感じてる状況ですから
若い新任の社長がとんでもない
しょうもないことやって失敗しても
足を引っ張ろうとはしないわけですよ

とりあえずわからないから、言う通りにやってみるけれど、そこで成果がでないことがわかります。状況としては、手を打たないとつぶれる状況に追い込まれます。それをあとで振り返って、状況分析できるところがすごいところですね。

理想の酒の姿が見えてきた

安い酒をたくさん売ってじゃなくて
いい酒を作って
いくらでもお客さんに売れるような
幻の銘酒みたいな
そういう酒蔵になりたいという
ほのかな希望があるわけですよね

そんな中で 一方では
社員の言うとおり値引きやったり
いろいろやってるわけです
もう一方では
いい酒を作っていこうと思って
やっていくわけですね
見てたら 安い酒を売る方向と
いい酒をいろんな企画しながら
やっていく方向とを比べると
いい酒の方が数字は小さいけども
落ちないわけです
売れていくわけですよ
どうも将来はこっちのほうに
芽があるなということから
だんだん純米大吟醸に移っていく



それと同時に もう一つ
市場環境も大きかったんですよ
あの時に酒屋さんの世界で
大きな変動が起こったんです
ディスカウントストアが出たんです

それまでは酒屋さんというのは
角の田中酒店さんこっちの三浦屋さん
そういうちっちゃい酒屋さんだった

みんなで共存してたところに
ディスカウントストアが出てきて
例えば 一つの地方都市だったら
売上の3分の1ぐらいは
取って行っちゃうわけです
この中で酒屋さんも大変なことになるでしょ
酒屋さんも生き残らなきゃいけない
ディスカウントストアの方も
何らかの新しい商品を
持ち込んで行かなきゃいけない
特に酒屋さんが 純米大吟醸とか
旭酒造がいろいろ考えつくものを
ああ、面白いなと

Q.その時にいい酒を作れる根拠が
旭酒造にはあったんですか?

ありませんよね
技術的にもなければ
原材料にしてもないし
父が亡くなって2年間
ある杜氏さんに来てもらったけど
あまり出来が良くなかったんです
他の方々からも
なんとかしろよという話があって
県から紹介を受けて
但馬杜氏に来てもらった
けっこう優秀な杜氏だったんです
だけど普通の酒しか作ったことない
でもこの杜氏に純米大吟醸を作ってもらいたい
普通の酒は普通の酒で作ってもらって
純米大吟醸やろうよと言っても
どうしたらいいかわかりません
僕より何歳ぐらい上だったのかな
15ぐらい上か もっと上か
やっぱり保守的ですよね
彼に何かやってもらうためには
どこかからテキスト丸呑みして
持ってくるしかないなというので
当時 静岡県の工業技術センターに河村伝兵衛先生という
お酒の先生がいらっしゃって
一気に静岡の酒が良くなった時代なんですよ
これはやっぱり この先生の
テキストをそのまま丸呑みして
持ってくるのがいいなと思って
杜氏のとこをへ持って行って
この通りやろうぜと
それなりに優秀だったと思うんです
四の五の言わず 変なこと言わずに
それをやってくれたんですよ
第一歩それで踏み込めましたよね

理想の酒を求めて

技術的に方向が見え始めて
ところが米がないわけですよね
だって山口県なんて
まともな酒蔵がなかったわけです
こういうこと言うと怒られるけど
みんなそう思ってたわけですよ

農業関係者も山口県の県内の酒蔵に
いい米なんて出す気はないし
作る気もないわけですよ
それで自分のところで作ってみたり
じたばたやったんですが
一町歩ぐらい田んぼがあるので
社員と一緒に米作ろうと
山田錦を作ったんです
一町歩だと約60俵ぐらい穫れるわけです
下手に作ってもなにせ来てる社員も
みんな実家は百姓で米の作り方知ってるしね
その60俵でなんか
ものになるものないかなと思って

1980年代の終わりですから
「日本一」が流行った頃ですね
日本一の橋とか日本中であったでしょ
うちも日本一やってみたら
少し評判なって売れるんじゃないかと
日本一うまい酒を造りたいわけですが
これ難しいわけですよね

日本一の精米歩合
米をよく磨いた酒なら
物理的なものだからできるなと
ずーっと調べたら
当時 最初に僕が調べた時は
27%精米の酒が一番最高だった
27%精米が最高だから
じゃあ25%にすればいいなといって
搗精工場に持って行って
25%にセットしてねと頼んで
東京へ出張したら
おまえ24%精米の酒があるぞ
と言われて 23%にしたという
ただ単純なんですけども
おかげで 獺祭 磨き二割三分という
これが世に出たわけです
精米歩合も日本一だけど
酒として日本一の酒造りたいな
という方向に変わって行ったんです

10年後ぐらいにあの時の酒がある
という酒屋さんが出てきてね
それ飲ませてもらったんです
10年越しだから
ちょっとスタイル変わってるけど
元の酒はなんとなく分かりますよね
飲んだらね
大したことないんですよこれが

あの時いろんな業界の関係者から
話題作りのために変な酒造ってと随分言われたのは
今なってみたら
良かったなぁと思いますよね

ちゃんとこの時の「変な酒造」という評価を、受け止めたんですね。

続・理想の酒を求めて

じゃあ次に何が問題になるか
これは酒を造る人間の問題
杜氏が高齢化してる
蔵人も高齢化してる
蔵人というのは
杜氏さんと一緒に酒を造る人

冬場の農家の米も作れない
何もできない暇な時期に
杜氏に出るわけですから
日本の当時の農業社会も今も
地方の農業見たらわかるように
どんどん高齢化していくわけです
みんなこの後どうなるんだろうと
杜氏がこの後いなくなるじゃないかと
これはみんな共通の理解だったけど
誰もそれに対する有効な手は
打てないし打たなかった

で、夏にビールを作って、ビールレストランをやって、年間の日本酒の売上を飛ばすほどの赤字を出してしまいます。そして、杜氏が蔵人連れて、よその蔵に出て行ってしまいます。


その時に いろんな酒造りの技術情報を僕が入れて
杜氏にやってもらう形になってたので
ある程度 技術的な蓄積が僕の中にもあったんですね
じゃあもうこれでやろうと

その時に会社にいたのは瓶詰めの人間と配達の人間
でも全員若かったんですよ
みんな20代ぐらい
40代が1人いたのかな
20代の社員に
みんなで酒を造ろうと言ったら
「はい」みたいな
じゃあそれでやろうと
その年から始めて今に至るわけです

まずやっぱり教科書通りに造った
ということ これはすごく大きくて
やっぱり杜氏さんは
経験があるがゆえに ある程度
自己流のところがあるんです
やっぱり人間ですから


杜氏は冬場しか酒を造らない
そこで給料もらうわけだから
彼らもわかってて
なるべく短い期間内にたくさん酒を
造って 酒蔵の蔵元を納得させないと
翌年の自分の処遇に関わるでしょ
だから とにかくみっちり仕事して
造ろうとするわけです
見てると 彼らの仕事のやり方は
スケジュールが列車のダイヤ
みたいに精密なんですよ
そうすると どういうことが起こるか
世の中ってそんなに
100%思った通りにならないでしょ
何らかのことがあるでしょ
その年によって
いろんな問題が起こって
気がついた時は7割ぐらいそのまんま
行っちゃう まともに対処できたのは
最後の3割みたいな
そうすると杜氏はどうするかと言うと
蔵元のところ行って説得するわけです
今年はこうだった 気候がこうだった
これは仕方がない
自然のものだからこうなんですと
いやそうじゃなくて
酒造りって自然のものだから
いろんな問題起こるだろうと
だから起こった時に対処できるような
余裕がある酒造りと言うか
ある意味 すかすかの
スケジュールにしていかないと
みっちりやってたらもたないなと
すかすかの酒造りをやったわけです

これによってどういうことが
起こったかと言うと
まず社員にしてみたら
杜氏は土日休みなし
正月だけ実家に帰る
あとは仕事のしっぱなしだったのが
日曜日は一応休める酒造りに入っていけたし
一つ一つのロットを小さくしていったんです
それによって何が起こったかと言うと失敗し放題

少々失敗しても立て直しがきくし
あの間に膨大なトライ&エラーをやってるわけです
それによって技術的には
一気に確立していったんですね

ここがおそらく日本酒業界で
なかなか杜氏制度から社員が酒造る方向に行かないし
国税庁も杜氏の高齢化問題はわかってた 税務署からしたら
税金もらわないといけませんから
例えば新酒造システムみたいな
全国の国税庁の酒造技官を集めて
優秀な先生達にいろいろやって
テキストまで作って分厚いテキスト
誰もそれ使って成功した人間いない


うちはなぜできたかと言うと
そこだったんですねトライ&エラー
杜氏制度のスケジュール感のままで
酒造りのシステム持っていったから
なかなかできない 難しい

いろんなものが理想的に行かないと
うまく行かないシステムだったけど
うちのは結構いい加減なシステムで
出来が悪くても少々なんかあっても
なんとかなるシステムを作ったんです
これが大きかったよね
うちが社員とともに造って
生き残れてきた大きな理由ですよね

続々・理想の酒を求めて

Q.あれ? 機械化したから
獺祭は伸びたんじゃないんですか?

みんな言うでしょ


Q.どちらかと言うと
そういう本が多いですよ

でも反対ですよ
機械化してたらここまで伸びてないです
機械化したら おそらく機械の製造上限が決まってきて
それ以上伸びられないから
そこで機械入れ替えるかなんか
しなきゃいけないし

機械化して伸びるということは…
うちはこの状態で
あの時の杜氏がいなくなって
年商2億の酒蔵が140何億になったこの70倍の伸びって
機械化してたらとても伸びられない
遠心分離機は確かに入れました
でも機械化した覚えはない

例えば 米を運ばなきゃいけない時
人間が運んでも機械が運んでも
一緒ならフォークリフトも使ってるし
そういったところで自動化
瓶詰めなんて
とにかく人を減らそうと
もう一つ言うと 出荷のところ
女の人も入ってるので
なるべく楽になるように
人間の代わりに重たいものを…
例えば一升瓶1本3キロあるんです
毎日これ抱えるのは大変ですよ

機械が自動で箱入れてくれるとか
ここまで持ってきてくれるとか
ずいぶんやってますけど
酒造りに関しては機械化してないです
機械化しなかったから
ここまで来れたと思ってます

もう一つ言うと
ここで世の中の流れが
大きく変わってたんですよ
デジタル機器の値段が
圧倒的に安くなったでしょ
これによっていろんなものの細部が
すごく見えるようになったわけです
あまり高級な話じゃなくて
デジタルの温度計10〜20万円が
3000円になったという話ですけど
それを徹底的に使っていったんです
そうすると
0.1℃まではっきりわかる
0.1%の水分まではっきり
わかるわけでしょ
これは大きかったですね
0.1℃ 0.1%まで
わかるようになったこの精度を
教科書通りに合わせてやっていくなら
やっぱり人間の方が上手だし
人間だと0.1℃ 0.1%まで
追求できるんですね

ほとんどの日本の企業は
それを目指さずに
省力化と大規模化を目指してた
そうじゃなくって うちは
0.1℃までわかるようになったから
0.1℃まで追求して酒造れと言った

細かくケア、それをデジタル化でやる。ここの話は、製造やシステム開発にもつながる話ですね。

Q.もともとアバウトな赤い温度計で
これぐらいかな?ってやってたのが
0.1℃までわかるようになった

そういうことです
デジタル社会が発展したからだ
と言ったら ある偉い先生が
デジタル化の発展って
どういうことですかと
すっごい機械がうちにあると思われて
「温度計が3000円になって」
と言ったら
「あー そうか・・・」と(笑)

損得でビジネスを考えない

短期的な損得だったら絶対うまくいかない
ここまで来れなかったと思いますね
第一 純米大吟醸だけなんてね
市場もないのにね バカじゃない
ねぇ もっと…
県の技術センターみたいな
地元の製造業の指導されるところで
言われたことありますよ
いま若い人たちにアンケート取ると
甘い酒とか ちょっと酸がある酒とか
色がついた酒をいいと言ってるぞと

この前の山口大学の学生に聞いた
アンケートはこうだ
おまえなんだ
純米大吟醸? 何考えてるんだ
と言われてましたよ

今でも衝撃的に覚えてますけど
ワインの酵母で日本酒できるんですね
ワイン酵母で酒を造ると
なんとなくワインみたいな
感じのする日本酒になる
ワイン酵母で純米大吟醸造ったんです
山田錦を使って
そんなもん造る人間いませんよね
ところが出来たら
けっこう美味かったんですよ
あら いいなぁと思って
技術関係の先生方も
よくワイン酵母でここまでやったな
おまえのとこ上手やな酒造り
みたいに言われて鼻高々ですよね



発表会をやったんです
広島の小さい音楽ホール
ゲバントホールというところがあって
そこで発表会やって

200人ぐらい来てもらったのかな
そこに来てた年上の女性の方が一言
あなたこのワイン酵母で造った酒
美味しいって言ってるけど…

2000円で売ってたんです
4合瓶の大きさで美味しいと言ってるけど
2000円のワインと比べて
美味しいの?
そうやって言われてみたら
あっと思ったんですよ

その時に答えられない自分がいるわけでしょ
意地が悪いおばさんで腹も立ちましたけどね
だけど本当に言われた通りで
その経験が元になってね
いろんな企画だけで勝負したり
マーケティングだけで売っていくとか
そういう酒には手を出さなくなっていったんですよ

この一般消費者の声もちゃんと聞く。説明ができることであれば、きっと伝え方を変えたんでしょう。でも、そうじゃない、説明できないことに気づいた。そこで、やめる決断をするわけですね。

Q.逆にいいものだけ造ればいいという形でもないですよね

それ違いますね
いいものだけ作ればいいってもんじゃない
但しもう一つあって
長い目で見てると お客さんは
いいものを作ると理解してくれる
ところが残念なことに
プロは理解しない
プロはそこに儲けが介在してるから
プロの人が言ういい酒は
自分たちに都合のいいお酒
だったりすることが多いでしょ
ここ間違えちゃいけないと思うんです
普通のお客さんって分かると思う


だから いいものという話の奥にある
自分たちに都合のいいものを作るから
結局ダメなんじゃないかな

製品価値と価格について

Q.もう一個
獺祭はブランドづくりに
金をかけすぎていて日本酒の値段を吊り上げてる
けしからん酒であると
そういう書き込みがありました


商品は実はどこまで行っても
売れるようにしようとすれば
お客さんから見た時
「あ、これ安いな」と思わせる
もんじゃないとダメね これは絶対


でもやっぱり
割安でないと絶対ダメですよ
これは僕はよく言ってて
例えば いろんな県の名産が
あるじゃないですか
みんな平気で高い値段つけてますよね
あれは売れないよね

割安に感じないと売れないという考え方は、すごく大事なんですね。理由があれば、高く売れそうと考えがちなので、ここは桜井さんの言葉の中でも、頭にねじ込んでおきたいところですね。

但し最近一つうちが
これはその批判を受けてもいいから
高い方向に移りつつあるんですよ

これはまず一つコロナの中ではっきりしてきたのは
高額商品のマーケットは崩れてない
うちでもはっきり見えてるんですけど
商品価格がどんどん
上がっていくんですよね

それが一つと
それからもう一つ
テスラのイーロン・マスクが10年ぐらい前に
話してる話なんですけど
俺たちは今1台2000万円の
あの当時ガルウィングですよね
テスラが作った電気自動車
誰もそんな電気自動車が
普及するとは思ってなかった

その時に 俺たちはこれを今作ってる
何年か先には800万円ぐらいの4ドアのセダンを作ると
最後に300万円クラスの大衆車を作るんだと
10年ぐらい先には作るんだとこれが今のテスラ3
残念ながら
今500万円ぐらいみたいですけど

でも それ聞いた時
「そうだ」と思ったんですよね
僕たちは日本的な感覚だと
何か新しいマーケットに挑戦するとか
新しいものを作って行こうとする時に
必ず安いものから作らないと
ボリュームが取れないからと
言うじゃないですか
そういうのをやろうとするでしょ

だけどたくさん売らなきゃいけないし
売らなきゃ開発費も出ないし次が繋がらないんですね
テスラのやり方みたいに 最初
技術面や量産体制が整ってない時は超高級車を作る
それから下げて行く
これならやれるわけですよ

どういう順番で開発するか、事業を継続することが優先で考える。いろんなところから学んで、それをビジネスに活かしてる桜井さん。勉強になりまくりな1時間半の授業でした!

まとめ

「もう一つ言うと~」と話し始める時がおもしろいですね、桜井さん。
検討した、やってみた、そして、次がある。一つ一つの積み上げがあるので、一つ話すとその時のことを思い出すのでしょう。

決して他人に言われたアドバイス通りにはやらないけど、人に言われたことはよく覚えていて、じゃあ実際どうする? という疑問から次のきっかけになっているものおもしろく感じた点でした。

経営者もなってみないとわからないところがある仕事だそうですが、一つ一つの思考、試行、ふりかえりが桜井さんのこれまでの成功につながっていることがわかるインタビューでした。

アドベントカレンダーのまとめ

初日は、どの授業を視聴しようかな… というnoteでしたが、以降、毎日、授業を聞いて感想を書きました。仕事も、仕事以外にに頼まれたこともあって、12月は大変でしたけど、何とか走り切ることができました。とりあえず、あとは、大泉洋さんの授業だけ見て、しばらく「ほぼ日の學校」も冬休みに入ろうと思います。ありがとうございました。いい授業、素晴らしい人が多かった。そしてまとめて視聴したことで、何か、心に留まるのは、情報ではなく、人なんだ、ということを感じました。ありがとうございました。

努力だと思わなくていいような好きなことを見つけなさい。
大泉洋 (俳優、タレント、演劇ユニット「TEAM NACS」メンバー)
大泉洋さんは、娘さんにそう言ったのだそうです。じぶんが努力をした覚えがないから?自称「グチが多くてネガティブな人間」だというのに、八面六臂の大活躍をされている大泉さん。2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源頼朝役を見事に演じ切りました。すっかり大河にハマった糸井重里との初対面のやりとり。どういうおもしろさになるのか想像もつかなかったけれど、これは想像を超えてきました!
公開日:2022.11.29

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