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二度目の歌会:自分の歌に対する評と他人の歌を評することについて

歌会に行ってきました。
リアルの歌会の参加は、二か月前(↓)に続いて、二度目。今回は、運営含め、13名の参加で、3時間の歌会でした。

土日は、相変わらず息子の予定が優先なので、どうしても平日の歌会にしか顔を出せません。

今回は、5月に詠んだ歌からこちらを持って行きました。6月に短歌会に送る予定の10首には入らなそうな歌、候補から浮いたやつを持って行くことにしました。

あさましい、みじめぢゃないか、と思っても閉店間際に惣菜をとる

歌会に持っていく歌について

歌会に持っていくのは、どんな歌がいいんでしょう? 歌会では、事前に短歌を参加者から集めて、当日、名前を伏せて、それぞれの歌に二三人が評を述べ合う形で進みます。人の解釈、感想を聞いて、あぁ、なるほど、そういう読み方があるのかと感心することがあります。

では、解釈が複数あるほうがいいんでしょうか。いや、狙い行くと、わかりにくい歌になるかもしれません。状況や背景がイメージできない歌だと、「?」が浮かぶばかりになってしまいます。

じゃあ、状況の解釈は一つしかない歌がいいのでしょうか? 同じ状況でも、読み手がどう感じるかわからないので、それでもいいかもしれません。例えば、身近な人の死であっても、悲嘆に暮れる人もあれば、長く介護をしていてほっとする人もいるでしょう。

他にも、珍しい単語が混じっていると、ちょっと盛り上がりやすいですよね。でも、見聞きしたことがない単語があると、参加者がそれを調べることになります。歌会の場で急に評を求められると、調べる時間がないこともあります。そんな歌ばかりだと、参加者も疲れてしまうかもしれません。

結局、どんな歌でもいい。他人にどう思われるか確認したい歌を持って行けばいいんじゃないでしょうか。

私の歌に対する感想

今回、私が持っていった歌は、状況の解釈は、ほぼ間違えの無いものだろうと思います。スーパーで、閉店間際に割引のシールが貼られた惣菜を手に取る状況です。

あさましい、みじめぢゃないか、と思っても閉店間際に惣菜をとる

解釈は一通りですが、感じ方はそれぞれ違うでしょう。ただ、メールで運営に歌を送った後に、ネガティブな言葉が続くことが、ちょっと卑屈すぎないか? と感じました。実際に参加者の皆さまからは、卑屈さを感じる面もあるけれど、みんな一緒だよ、卑屈にならなくていいよ、応援してるよ、そっちのほうがエコだよね、というポジティブな受け取り方をしてくださいました。皆さん、物価高の中、普通の行動の一つのようでした。

直しとしては、「とる」がわかりにくいかも、「買う」のほうがわかりやすくない? という声もありましたし、逡巡の末、手に取る感じがあるので「とる」でいいという声もありました。

失敗したな、と思ったのは、仮名遣いが古い「ぢゃない」になっているのに、「思っても」という現代の仮名遣いと混在してしまっていることです。少し混乱をさせてしまったようでした。指摘にありましたが、古い仮名遣いで統一するなら「思ひても」になるかもしれないし、ちょっと暗い気持ちを定着させないようにするなら、「思ひつつ」でもよかったかもしれません。

あさましい、みじめぢゃないか、と思ひても閉店間際に惣菜をとる

あさましい、みじめぢゃないか、と思ひつつ閉店間際に惣菜をとる

でも、個人的には、ネットのスラングなどにも見るように、「じゃない」だとストレートに感じすぎるかもしれないので、ちょっとひっかかりがほしくて「ぢゃない」にしただけなので、違和感が強すぎなければ、元のままでもいいかな、という気持ちでいます。短歌会に送る場合は、統一しないと混乱させるようですが、これは、送るものではないので、そのまま置いておこうと思います。

他人の歌に評を述べること

他の人の歌の感想には、具体的なほうが伝わりやすいかも、これは説明しすぎかも、どういう人かわかるからあえて、性別や年齢を表さなくてもいいかも、といった指摘が飛び交います。名前を伏せているので、自分より、巧者の方の歌であっても、気になる点は、伝えることができます。でも、やっぱり、自分で短歌を作ることの苦労、それを人に見せる緊張感があるので、そこを大事にしつつ、いいところを一つは探して、そこをちゃんと伝えられるようになりたいと感じています。淀川長治スタンスですね。

言葉の選択、助詞の使い方、韻の踏み方、切り取り方、発見の驚き、何かおもしろいところを見つけて、それを伝えたいと思います。きっとその目線が自分の作歌にもいい効果を生むと信じて取り組みたいと思います。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。