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初めてリアルの歌会に参加して、すでに次回の参加を楽しみにしています

2019年1月に短歌をはじめました。

続ける理由が欲しくって、同年の6月ごろに短歌結社に所属しました。たぶん入会した翌7月からほぼ毎月、短歌結社に10首の投稿を続けています。自分で詠んで勝手に送るだけでは、自分の短歌がどう読まれているかわかりません。歌会に参加してみたいという思いは、短歌をはじめて一年くらい経ったときには、すでにあったと思います。しかし、2020年の2月ごろからコロナ禍に入り、リアルに顔を合わせる歌会の開催がなくなりました。

歌会への想いと当日参加するまでの気持ち

コロナ禍に入ってしばらくして、メール歌会、zoom歌会というものが開催されるようになり、そこには参加できました。

ただ2020年に離婚をして、土日は、別居する息子との時間を優先するようになったので、歌会の開催が多い土日に自分のプライベートの予定を優先することがなくなりました。リアルタイムに顔を合わせるzoom歌会も土日開催が多く、2回参加したっきり。以降は参加できなくなってしまいました。2022年には、少しずつリアルな歌会というものが再開されるようになりましたが、相変わらず、土日開催の歌会が多く、参加できずにいました。子どもが大きくなって、うちに遊びに来なくなるまで、あと数年は歌会の参加は無理かなーと思っていましたが、参加したいという気持ちは膨らむばかり。平日に歌会があることは知っていましたが、普段は仕事がある身、なかなか参加できずにいました。

今回、所用で有休を取らないといけなくなった時に、平日歌会の予定を確認すると、何とか参加できそうな感じ。初めて歌会に参加しようと思って3年ちょっと経って、ようやくリアルの歌会に参加できることになりました。

zoom歌会に参加したことがあるので、何となくやることは知っています。事前に自分が詠んだ短歌を運営に送って、参加者から集めた短歌を名前を伏せて、評を述べ合います。

以前、zoom歌会に参加した時は、オンラインで直接顔を見ないことで、ぶしつけなことが言いやすかったのか、仲間内の気安さなのか、結構、厳しめの意見が飛び交っていたように感じました。

もし、あの時に感じた厳しさより、リアルな歌会のほうが厳しい意見が飛び交っていたら… そう思うと、前日の晩は緊張のため、気分が悪くなる始末。事前に集められた短歌は、開催日の前に参加者に共有されるかと待ってましたが、連絡はなく。当日に、初見の短歌の評を考えるなんてできるかな、大丈夫かな、という不安を抱えながら、とにかく、用を済ませて、歌会の会場に向かいました。

(画像は、会場に向かう途中で食べた、めかぶそば(冷)です)

当日の歌会の様子

今回の参加は、前に座る司会と、必ず評を述べてくれる経験の多い方を入れて、10名ちょっと。コロナ禍以前は、20名近く集まっていたそうです。

集めた短歌(詠草)を読み上げるのは司会の方。参加者が詠んだ短歌一首に対して、席の順に2名ずつ、評を伝えます。その他、意見がある方は挙手をして意見を述べることは自由で、挙手が少ない場合は、司会から参加者に意見を求めらることもありました。「久しぶりなので、順番にしましょう」という提案でしたが、ランダムに評を伝えることもあるようです。

評で伝えることは、
・意味の解釈(場面、関係、気持ち など)
・よかった点(単語の選び方、語順、助詞の使い方、言葉 など)
・まずかった点(文法的な指摘、意味の解釈に合わせた適した言葉の選択ができているか、…)
などです。

全部を伝える必要もなくて、意味がわからないという正直な感想もありです。意味がわからないと言われてしまうと、適切に伝えられてないという厳しい批難のようにも聞こえますし、まずかった点が、ストレートな文法的な指摘や、日本語としての指摘だと、失点を責められた感じも受けるような気もします。ただ、以前より、少しだけ短歌のことがわかるようになって、もっともだと感じる意見がほとんどでした。

正解はこっちだ、という指摘ではなく、こういう場面だったとしたら、こういう言葉の選択もありかも。こういう意味のことを言ってるなら、この言葉も理解できるし、おもしろい、という意見が多くて、適当にdisってる意見とは違って、おもしろく感じました。

短歌は、三十一音という限られた文字の中での表現なので、どうしても、全部を説明しきれません。状況、登場人物の設定、人物間の関係性に、一つ一つ想像が入ります。相手を「君」と言えば、昔から恋愛関係を想像するかもしれませんが、二人の人物が登場する時、それが親子なのか、友だちなのか、ご近所さんなのか、わからない。状況から、読み取っていくしかありません。

読む側の想像力が豊かであれば、より歌を楽しめることがわかりました。想像力だけじゃなく、選んだ言葉の選択から、こういう状況じゃない? という解釈があると、おぉ、なるほど! とうなずく場面も結構ありました。

もちろん、あまりに説明が足りてないと、何のことかもわからない残念な感じになりますが、この短歌の中のやりとりが、もしも親子なら、とてもおもしろい歌に感じられるとか、この人が亡くなった相手だと、この気持ちも理解できる、といった想像ができると、より楽しめます。

参加者の短歌の評がすべて終わった時点で、最後に、詠み手が明かされます。

この歌の場面はどういうこと?
この人との関係は?
お母さんはご存命なの?
という詠み手への質問と、詠み手による種明かしもあって、二度おいしい感じです。

皆さん、いい大人の方ですけど、想像外の素敵な関係を聞いて、「キャー」という声が挙がるなど、解釈は、実際を超える場面もあって、2時間半ちょっとの時間を楽しみました。

また必ず参加します

初めて参加したとが運営にも伝わっていて、歌会の最初に、初めて参加したことを参加者に伝えていただいていたので、よりやさしいコミュニケーションをしていただいたと感じます。

自分の短歌の欠点、おもしろく感じていただいた点をダイレクトに聞けたことが一番よかったですね。同じような失敗をする機会が今後減ると思うので、より適切な言葉選びや語順を考えることができそうです。

私の場合、普通の文章(散文)で状況を書いて、それを三十一音の定型に修正することが多いので、どうしても、伝えたい状況や意味が変な感じで落ちてしまうことがあります。定型におさめるために、語順を変更することもありますが、そのせいで意味が変わってしまうことがあることに、注意したいと思いました。

また所用とかぶせて、有休取って、平日参加します。きっと参加を増やせば、もっと短歌がうまくなりそうな気がします。未来の自分、もっと近く、例えば、来年の自分の成長を楽しみにできるって、いいですね。次回が楽しみです。

運営の皆さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。
引き続き、よろしくお願いいたします。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。