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横尾忠則さんの絵を見に行った

行ってきました!

東京都現代美術館で、17日(日)まで開催されている
「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」に、
行ってまいりました。

先日、別の展覧会に行った際、同じ日にいろいろ予定を詰め込んで、ゆっくり見れなかった反省もあって、今日は5時間、会場にいてもいいくらいに後ろの予定は空けて行きました。

5時間は無理でしたが、2時間半は、会場に居て、展示を堪能しました。

すごいという噂は、SNSで見聞きしていたので、楽しみにしていましたが、私自身、特別、感性に優れているわけでもないので、私なんかでも、絵を見てすごいと感じることができるだろうか、という不安がありました。

そういう心配は、杞憂に終わりました。

入って早々に強いインパクト

一階の最初の部屋(『神話の森へ』)と、次のテーマの部屋(『多元宇宙論』)で、いきなり圧倒されました。

最初の部屋のテーマは『神話の森』。

画家宣言された1980年代ごろの作品が並んでいます。
わかりやすく絵から圧力を感じます。
すべての絵がそうだというわけではありませんが、どんなに絵に近づいて行っても、感じる圧力がありました。

大きな絵が多かったので、めちゃくちゃ絵に近づくと、何の絵かわからなくなりますが、それでも確かに何かが存在しているという、存在感を感じます。

色は存在している、うねりもある、それが生き物のように感じるというか…違うな、でも、存在の確かさ、みたいなものを感じる絵が多くありました。他の部屋の絵には、そこまで感じることがなかった存在の強さがこの部屋に充満していました。近づいてみたり、遠ざけてみたり、絵自体をそのまま鑑賞しました。

最初の部屋で、結構な時間、滞在した気がしますが、絵を楽しむことができるとわかったので、一安心しました。

次の部屋のテーマは、『多元宇宙論』。

この部屋は、入って早々に眩暈がしました。
過去の美術作品や映画などのイメージを切り貼りしたコラージュ作品が並びます。イメージ一つ一つに力がある上に、切り貼りされた情報が多く、絵のサイズも大きい。情報量が多いためか、本当に眩暈を覚えました。

藤子不二雄A先生が「魔太郎がくる!」で見せたようなイメージが入った
「鋪道をそれて、さあ出発だ!」と、
「集合と分散ーその力の働き」という二作品は、本当に眩暈がしました。

ずっと見ていられない絵って、絵として成功してるんですか?

何がすごいのか理解したいと思って何度も眺めましたが、理解もできず、眩暈も治まらないままでした。

売店に、ポストカードでもあれば買って帰ったのですが、両作品はポストカードにはなく、、、残念。

同じ一階の『越境するグラフィック』の部屋にあったポスターはいいです!どれもこれもかっこいい!

高倉健さんが刀を持った「切断された小指に捧げるバラード」もかっこいいし、
「都市とデザイン」の男もまっすぐとんがっててかっこいい!
「ペギー葉山リサイタル」の春日八郎の肩の形がいい!

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絵心も、デザインも疎い私は、かっこいいなー、という感情だけしか持ち合わせていませんでしたが、それでも飽きずに眺めてられる部屋でした。

絵の意味を考える

大学時代、美術史を科目を取って、まじめに課題図書を読み、レポートもしっかり書いたことがあるので、特定の時代の絵の見方は、少しだけわかります。

比率による分割、線、色、光、などで、登場人物の役割を推し量ったり、登場人物の構図や、身に付けているものが持つものから、意味を知ったり。
しかし、現代の絵画、横尾忠則さんの絵については、一切知識がありません。

とにかく疲れるまで、会場にいようと決めて、気になる絵を何度も眺め、意味を考えました。

『死者の書』の部屋では、死をテーマにした絵が並びます。
死者と思われる人には、(基本、)目が描かれていません。一人の女性が描かれたシリーズでは、トイレットペーパー、髑髏、蛙、猫、キャベツで目が隠されています。同じテーマの部屋の他の作品を見ると、耳、鼻は描かれています。

特に極端だったのは、「誰が故郷を思わざる」という作品。
小さい目が一つ描かれているだけで、耳、鼻、が大きく目立つ作品です。
隣の部屋から、この絵だけが浮かんで見えるほど、異様な作品でした。
『死者の書』部屋には、赤黒い絵が何点かありました。
最近、亡くなられた三浦健太郎さんの漫画「ベルセルク」で見たイメージに近いです。死は見ることができず、土の匂い、血の匂い、重苦しさだけを感じる世界なんでしょうか?
隣の部屋『地球の中心への旅』で、記憶、夢などをテーマに扱われた絵がありましたが、そうしたイメージが地続きな気もしました。


死後の世界について、横尾さんが語った記事(↓)


横尾忠則さんが、テーマとしてよく描かれるY字路(『Y字路にて』)も興味を惹きました。横尾さんが、子どもの頃の記憶にあるY字路、そこにノスタルジーだけでなく、普遍性を感じて、継続的に描かれているテーマです。

夜のY字路は、手前から見える2つの道、どちらの道も暗いこともあれば、ちょっと光源が見える(車のランプ、店から漏れるあかり)こともある。

夢のイメージなのか、片方の道がめっちゃ歪んでることもある。じゃあ、その歪んだ道を通れないと感じるかと言えば、そんな気もしない。

またY字路の絵には、空間が闇や何もない空で塗りつぶされた絵もあれば、凧揚げする人がいたり、SLが走っていたりする絵もあります。どんな意味があるんだろうなぁ、と考えつつ、部屋を行き来しました。
死をイメージする赤黒いY字路もありました。

まぁ、何度見ても、わからないものはわからないですね。

Y字路について横尾さんが語った記事(↓)

(02. こんなことを、いつのまに。)

(10. 反復すること。)

(12. 怖い鑑賞者。)




他にも、いろんなテーマの部屋の絵が楽しめました。
細い通路の部屋、飼われていた猫のタマを描いた絵が並ぶ『タマへのレクイエム』。

もう、動作がめっちゃ猫!
線が太かったり、ぼやけた絵であっても、ちゃんと仕草や表情が猫なんです! 意味を考えなくてもいい部屋です。
かわいい。すごくかわいいです。タマ。

最後の部屋

三階の最後の部屋『原郷の森』は、2020年、2021年の作品が大きな部屋に展示されていました。

コロナ禍にこれだけの数の作品を描いたのかー!
と、そのことにまずびっくりしました。

これまで、どれくらいの作品を描かれてきたのかわかりませんが、とにかくこの二年の作品の多さにびっくりしました。

全体的に、黄緑、黄色の絵が多かったですね。
掃除機、トイレットペーパー、首つり縄、といった同じアイテムが2020年、2021年の絵に登場しています。

どんな意味があるんでしょう。

やっぱり考えてもわからないことですが、いろいろ考えなくても、描かれているものだけを見て、堪能できる空間でした。

2時間半ほど見て回りましたが、経った時間以上に、ヘトヘトになりました。今週末の日曜で終了するので、もしまだ見に行っていない方がいれば、何とか時間を作って見に行ってください。

きっと、これだけ作品が集まることもないでしょうから。
見に行ってくださいね。


ところで、
2018年の「PLAY PINPON」のモデルの女性卓球選手のモデルは誰なんでしょうね。気になりました。


いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。