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思い出の中に必ず存在する桜というもの

土日、千鳥ヶ淵と隅田川近辺に桜を見に行った。土曜は神保町に買い物のあと。日曜は、一日中、部屋のいたので、気分転換のお散歩がてら。

桜は日本人にとって、誰の記憶にもいる不思議な存在。名所以外にも、学校や川沿い、どこにも植えられていて、記憶の中に桜がゼロという日本人はいないだろう。いい思い出もあるし、泣きたくなる記憶もある。

やっぱり、咲いているのなら、今年も一度は見ておこうと思ってしまう。

先日、写真美術館に行った際に、人の表情のおもしろさに気づいてしまったので、桜を撮りつつ、人が写り込むようにiPhoneのシャッターを切っていた。さすがに知らない人の顔が写った画像は公開はできないけれど、手元におもしろい人の表情がいくつかある。

千鳥ヶ淵(土曜の昼)

あいにくの曇天。でも、そこまで寒くもなかった。本当は、緑道に生えている桜を夜に見るほうが好きだ。遠近両方に折り重なる桜がライトアップされていて、幻想的に映る。用があったのが昼なので、今年ほ昼に眺めることに。

ボートがごみごみしている様子が趣きをこわしていておもしろかった。ごみごみした感じがうまく撮れない。

隅田川の桜橋近く(日曜の晩)

すでに露店も店を閉めた時間、日曜の21時ごろ。

ゴミと桜。

とんかつ日高。

再び、ゴミと桜。
ゴミほ一箇所にまとめられていて、歩道はとてもきれい。

屋形船は、ほとんどいない。

言問橋(墨田区側)

桜を見て、写真が撮れて、今年は満足。

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