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編み物ができる人への憧れ、編み物の持つ身体性 #ほぼ日の學校

「ほぼ日の學校」アドベントカレンダー13日目の授業紹介は、
三國万里子さんの『編みものは、毛糸で編む物語です。』です。

授業紹介・視聴動機

編みものは、毛糸で編む物語です。
三國万里子 (編みもの作家)

小説が文字で描く物語なら、編みものは毛糸で書く物語。
編みものが知りたくて、たくさんの洋書で學んだ時代からのストーリーを語ってもらいました。「作品が編み図という楽譜を通じて、他の人の物語の一部になっていく...」。
公開日:2021.06.28

三國万里子(みくにまりこ)
編みもの作家

1971年、新潟生まれ。3歳の時、祖母に教わったのが編みものとの出会い。早稲田大学第一文学部(仏文専修)に通う頃には洋書をひもとき、ニットに関する技術とデザインの研究を深め、創作に没頭。大学卒業後、古着屋で働き、ヴィンテージアイテムにも魅了される。いくつかの職業を経た後に、ニットデザイナーを本職とし、2009年『編みものこもの』(文化出版局)を出版。以降、書籍や雑誌等で作品発表を続ける。2012年より「気仙沼ニッティング」のデザイナーも務める。『編みものともだち』『アラン、ロンドン、フェアアイル 編みもの修学旅行』『うれしいセーター』『I PLAY KNIT』など著書多数。2020年冬には福岡の美術館「三菱地所アルティアム」大規模個展を開催。渋谷PARCOほぼ日曜日でも「編みもの けものみち 三國万里子展」を開催した。

ずっと編み物できる人に憧れています。最初は、映画『女王蜂』で金田一耕助扮する石坂浩二が、事件解決のヒントになる編み図をヒントに一人、編み物をする姿に。

その後、高村薫さんの『新リア王』だったか、ある青年が漁船の中で持て余す時間の慰みに編み物をしているシーンが印象的でした。黙々と編み物をする人に、自分の思考を重ねているような姿勢を感じていました。

編み物自体には、興味はありませんでしたが、いつかできるようになってみたいことの一つです。すごく昔、母にちょっとだけ教わりましたが、身につくまで、興味が続きませんでした。

でも、編み図を前に行ったり来たりする姿に憧れています。できるといいなと思いつつ、できないものの一つです。

三國万里子さんの言葉

三國さんの編み物の原風景

私が初めて編み物をしたのは
3歳ぐらいの時なんですけど
景色をよく憶えてるんですよ
家の居間が暗くて
何で暗いかって言うと
雪に降り込められてるからなんです
擦りガラスがあって
牛乳配達の後 おばあちゃんが
ご飯食べた後で編み物してるんです
私もそれやりたいわけです
「貸して」って言って
かぎ針を最初に教えてもらって
飽き足らなくなって
棒針を教えてもらって
それが「しあわせな孤独」というか
「しあわせなひとりぼっち」
そのシーンが私の編み物の始まりです

そうそう、孤独と向き合ってる感です。人ってそうそう孤独と向き合うことはできない。無理に思考に意識を向けるか、そこから逃げて騒がしさを求めるか。

思い出の一つ

図書館に通ったことがあったんです
画集が揃ってたので
最初のうちわかんないんですけど
何十巻と見てるうちに
本物ってどういうことかが
子供ながらにわかってくるわけですよ
「念ずれば通ずる」みたいに
見てるうちにわかるのよ
言葉に変えなくても

やっぱり、ここでも「本物」という単語が出てきますね。最近、ほぼ日の學校の授業を視聴していると、たびたび出てきます。

編み物の身体性

(アイルランドのアランセーター)
伝統柄と言った時に
みんなウェットな物語を求めすぎだな
と私は思うんです
きっと編み手の人たちは手で編んで
こう重ねた時にこの柄が出る
イェーイ!みたいな感じだったのに
後から商売の人たちが
ウェットな物語を要求しすぎて
(編み柄に)家紋の意味があるとか
溺れた時に
誰か分かるように編んだとか
ないことじゃないと思うんですよ
そういうこともあると思うんだけど
そういうことだけじゃなくて
楽しくて楽しくてという
そういうものだと思うんです

曲を弾いてもそうなんだけど
タッチじゃないですか 物って
手で作る物って
基本的に
だからちょっと
私が出てるなぁって思います
私の作った物って

編み物は短い時間じゃ済まないんです
けっこう大変なの
身体性とおっしゃったように
体を使って 例えば50時間
糸を使って一つの物語を
くぐり抜けないといけないわけです
私の物語を人がくぐり抜ける時に
何かがその人の中に残るんです
その人を少し変えるんですよ
セーター1枚ぶん

やっぱり、体を通して、作るものだから、集中して取り組む、向き合うというだけでなく、自分のゆるい部分も、カチッとした部分も出てしまうんでしょうね。いつかきっと、自分の体を通してできたセーターを見てみたいと思いました。

まとめ

編み物を知るための授業ではなかったけれど、三國万里子さんのことが少し理解できました。編み物ができる人に対する憧れはやっぱり憧れのままあります。母が生きているうちに、教わっておけばよかったな。母は、編み物を覚えた当時、田舎を離れて東京で暮らしていたころで、祖母に教わったわけではなく、デパートの売り場でいろいろ店員さんに聞いて覚えたそうです。今は動画もある時代なので、知らない人に聞く勇気を出さなくても、できるはずです。きっといつかやってみたいと思います。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。