見出し画像

誘われてバンジージャンプすることになった

友人Sからバンジージャンプに行こうと誘われている。

当初、3月を予定していたが、3月からの繁忙がわかり6月に変更してもらった。しかし、直近、いろいろ出費がかさむので、泊まりで行くなら、6月の賞与が出た後、7月にしてくれ、と再延期を申し出た。コロナ騒ぎで、7月も怪しいところだが、とにかく、バンジージャンプに行くことになっている。

怖い。
リアルに想像しようとするとありえないくらい怖い。
皮膚がめくれそうなくらい、全身に怖気がする。


しかし、Sが誘ってきたから、しょうがない。


彼との出会いは高校の時。
同じサッカー部だった。
1993年、高校三年の時、Sとのことで覚えていることがある。
「受験まで、漫画を読むことをやめよう。」
Sがそんなことを言い出した。

一学期のことだっただろうか。
「あぁ、よかよ(いいよ)。」
受験に集中するには、それくらいしたほうがいいだろう、と軽い気持ちで了承した。しかし、漫画を読みたい欲求を消すことができずに、すぐヘラヘラと部活の帰りにジャンプを立ち読みする生活に戻った。もちろん、約束を破っていいとは思っていない。ちゃんとSが帰るのを見届けてから、書店に立ち寄った。

ある日、書店で立ち読みしているところに、後ろから声をかけられた。
「おい!」
Sともう一人の友人Eが後ろに立っていた。
彼らは何かをきっかけに私のことを怪しいと思って、跡をつけたのだ。
(人を信じられないなんて、ひどい奴だ!)

二人は、その後も約束を守り続け、大学に合格し、私は、その後も漫画を読み続け、浪人することが決定した。


そういえば、今では普通に友人と呼んでいるが、
周りの人間を「友だち」だとか「友人」だとか呼ぶようになったのは、
大学生の時、Sの発言がきっかけだった。

彼は九州の大学にいて、私は東京の大学にいた。
だから、彼が東京に遊びに来ていた時の記憶だろうか?
高校の時こそ、人並みに周りと仲良くしていたけれど、中学の時に周りとうまくやれなかったことをずっとひきづっていた。

周りの人に対して、仲がよくても「友だち」とは呼ばず、人に紹介するときは「知り合い」と呼んでいた。私なんかの友だちで相手が嬉しいわけがない、私に本当の友達なんかいない、そして、友だちと思っていた人が、友だちじゃないとわかったとき、自分が傷つくのが怖かった。

だから、私の周りは「知り合い」ばかりだった。

Sは言った。
「知り合いとか冷たか(冷たい)こと言うなよ。」
あぁ、「友だち」と呼ばないことが相手を傷つけることもあるのね。
そこからは、客観的に友だちと見えるようなら、誰でも「友だち」と呼ぶようになった。


大学の時、他にも、こんなことがあった。

今は吸わないが、当時、私はタバコを吸っていた。
彼とおしゃべりの途中、私は吸っていたタバコを彼の目の前でポイっと捨てた。
彼は語気を強め、本気で怒った。
「そがんことすんな(そんなことするな)!」
今より、タバコに関するマナーはうるさくなかった。
まだポイ捨て禁止条例もなかった。マナーとしてよくないことはわかっていても、悪いことをした気もしなかったし、そのとき何かをした、という意識すらなかったと思う。きっと私のポイ捨てが嫌な人は他にもいただろう。けど誰からもそんな注意は受けたことがなかった。いや、注意されたけど、そう受け止めていなかっただけかもしれない。だから、単純に彼の怒りに驚いた。その時、初めてタバコのポイ捨てに本気で怒る人がいることを知った。

私は、その後、ポケット灰皿を持ち歩くようになった。
「マナーがいいね!」
と言われることがよくあった。褒められると嬉しくなり増長してしまう私だったが、なぜだろう、慢心するようなことはなく、ポイ捨てすることはなくなった。


彼の就職が決まった後の夏休み。
私は浪人して彼の一学年下だったから、大学3年の夏休みのことだろうか。

私は、滋賀の彦根にいる友人Yのところに逗留していた。
パチプロみたいな生活をしていた。パチンコ台の釘が読めるようになっていたので、釘が読めれば勝てる台、朝早く出勤する必要がない台に絞って打っていた。

昼頃、パチンコ屋に出勤し、夕方までに一人、2台か3台打ち止めした。
どちらか負けたとしても、一方の勝った金でカラオケ屋に行き、朝まで過ごす、そんな生活をしていた。

Sは、ちょうどその時期、就職先の企業に呼ばれて愛知にいた。大阪で合流することにし、18きっぷを使って一緒に九州まで帰ることにした。

ところが待ち合わせの当日、私は寝坊してしまった。
まぁ、寝坊したものは、しょうがない…… 彦根の友人Yとパチンコ屋に行って、一勝負した後、ゆるりと大阪に向かった。

まぁ電話すればいいや、そんな軽い気持ちだった。当時使っていたのは、IDO(日本移動通信)の携帯。のちにauとなり全国区となるが、当時、関西ではほとんどつながらなかった。

連絡がつかない中、梅田でSは私を5時間待ち続けていた。
当時、彼は胃の潰瘍を患っており、私が到着した時、彼はうずくまっていた。私を下から睨みつけた。あの目を忘れることができない。

その後、大阪から神戸の中華街でフカヒレ饅を食べ、姫路に向かった。
当時は、改修中で、姫路城の姿は見れなかったのは残念だった。

Sがこんなことを言い出した。
「山陰とか一生行かんっちゃなか(行かないんじゃない)?」
姫路から北上することにした。

九州に育ち、縁もゆかりもなければ、確かに行くことはなさそうに思えた。
十年後、妻の親戚がいるということで頻繁に鳥取に行くことになるが、当時は知る由もない。

二人で北上した。鳥取まで行き、砂丘を見た。
その日は、温泉あるとこに泊まろうと、ざっくりした観光案内地図を見た。電車で西進しつつ、温泉マークが記載してある駅近くに降りたつもりだったが、いくら歩いてもそんなものはどこにもない。二人で延々と歩き、山中に迷い込んだ。

暗がりの中、山道で軽トラックに乗ったおじさんが我々を拾ってくれ、学生が使う山中の研修施設のような場所に泊まれることになった。朝起きたら、たぬきに化かされてんじゃないかと思いつつ、布団に入った。

その後も島根の宍道湖の横の公園で野宿したり、津山という街では、夜、妖気すら漂う不思議な雰囲気の公園で寝たりした。SLに乗り黒煙を浴びたりもしたし、九州にたどり着くまでにまだまだ語ることは多い。

が、切りがないのでやめておこう。


お互い社会人になった後も、Sの思いつき企画は続いた。

二人で富士山に登ったことがある。

「高さで日本ば制せんといかんやろ(高さで日本を制しないとダメだろ)!」
「御来光は見らんばいかん(御来光は見ないといけない)!!」

麓で集合し、バスで五合目まで行き、夕方、五合目から登りだした。
登りだして早々に後悔した。そうだ、こいつは、高校の時、無限の体力を持つエースキラーだった。私とは体力が全然違う。。

ちょいちょい「休ませてくれ」と言い、一人タバコ休憩を取った。山頂で気分を出そうと思って持って来ていたスキットル(あの飯盒のような形をした入れ物)2つにウイスキーを詰めていた。タバコ休憩の途中、水分でも取るようにチビチビやった。途中から頭が痛くなったが、高山病なのか、酒の酔いなのか区別ができなくなっていた。
(危険なんで、やっちゃダメだ)

頂上に着くころにはウイスキーは無くなっていた。

夜中の1時か2時頃に頂上についた。寒さをこらえ日が登るのを待った。
頂上の郵便局から、高校時代の友人E(立ち読みを見つけた彼)の職場宛に、でっかい木の切り株の形をしたハガキも送りつけたり、本当の富士山のてっぺんである剣ヶ峰(3,776 m)にも登った。

そんなことをして二人で楽しんでいたはずが、なぜだか頂上で大喧嘩になり、別々に山を降りた。降りてバスに乗ると、なんとSもすでにバスに乗っていて、結局、二人で、麓の街の風呂で、汗を流して別れた。


熊本に、日本一の石段と3,333段の石段がある。
「日本一てばい(日本一だって)。」
Sは、日本一というラベルに弱い。九州に帰った際、石段だけを目当てに熊本に行った。


二人で、伊勢神宮に行ったこともある。
「一度、お伊勢さんには参っとかんぎいかんやろ(参っておかないといけないだろう)?」
伊勢神宮に行くことになった。
ただし彼の住む愛知から、和歌山を経由した。和歌山の山中を抜け、半島を下から周るコースだ。

なぜまっすぐ行かなかったのだろうか?

山道を10時間以上、いや、もっとだろうか、車を走らせたように思う。
夜中の山中は、暗い。運転手はS。運転していると眠くなるだろうと思い、横でひたすらにしゃべり続けた。
「うるさい!」
そこからの山中、暗闇の中、エンジン音だけが響いた。


富山の黒部ダムには、友人E(立ち読みを見つけた彼)と三人で行った。


四国にも行った。
高知、愛媛で、ふらっと入った居酒屋がすごくよかった。


Sのおかげで、美味しい、おもしろい旅をさせてもらっている。
東北、北海道を除くエリアを制しているように思う。ただし、ときどき、くだらな過ぎたり、過酷だったりするのは勘弁して欲しい。


Sが結婚してから、しばらくして、私も結婚した。
もう十数年、二人で旅行をしていない。旅をする機会はもう無さそうに思えた。


私は、2019年の末に別居し、年が明けて離婚した。
離婚して、子どもと一緒に生活ができずさみしいと、最近連絡を取り出したLINEに愚痴を書いたら、

「元気出すために、バンジー行くか!」

と返ってきた。

因果関係はよくわからなかったが、彼が言うからには、行かねばなるまい。

年内には、橋の上から飛ぶことになるだろうと思う。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。