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「コンビニ人間」

一冊の本が人生を変えることがある「コンビニ人間」

小説と思いながらもこんな生活ができるのかと思った。

とても不思議な世界の話と思いながら
これは今の時代ならあり得ることかもと思うようになった。

著者はこの本で芥川賞を取った時、コンビニで店員をしていたようだ。
だからこそ、コンビニの様子が手に取るように見えてきたのだろう。

それでも、ここまでコンビニの世界が描かれるとコンビニ人間はあり得るなと。

働く中での人間関係
どこの世界も同じなのだろう。

コンビニは商品がいろいろあるが、
あるのは商品だけではなく、いろいろな人間もそこにはいる。

何が普通で、何が普通でないのか。

不思議な感覚が残った一冊だった。

***

話は変わるが、昔は「よろず屋」というお店があった。
なんでも売っているお店だ。
それがコンビニに変わった気がする。

昔、御用聞きといって、家庭にひょこっと顔を出すお店の方がいた。
今は「何か必要なものはありますか」のような御用聞きが存在もせず、家庭もまわらない。
今はスマホでコンビニに注文すると家庭に配達してくれると聞いた。
時代の流れだろうか。

そういえば、昔はみんな買い物かごを持って八百屋さんや魚屋さんに買い物に行った。
お店の人が「これ持っていきな」などと言って、買い物かごにお店のものをサービスで入れてくれた。そこには人と人のふれあいがあった。
知らぬ間にレジ袋になり、そのレジ袋を廃止しようと有料化になった。
しかも、レジは自らバーコードで精算する時代に

屋台でラーメンを売るチャルメラの音を聞かなくなった。
リヤカーで豆腐を売りに来なくなった。あのラッパの音が懐かしい。
金魚売り、風鈴売り、みんな街を歩いていた。

よろず屋がいろいろなものを売っていながら、専門商品は街中を回って売っていた時代だった。


今はスマホ画面で物が買える時代となった。
人の顔を見ずに物が買える時代に。

「あの人から買いたい」という、人から物を買う時代はなくなってほしくない。
「安いから買う」という、お金のみで物を買うという時代になってしまったのだろうか。
目に見える部分ばかりが目立ち始めている気がする。

縦軸で見る時代の流れで「普通」というものが変わってきた。
横軸で見る今の時代は、人それぞれの「普通」の違いを感じる。


コンビニ人間を読みながら時代の流れも考えてしまった。

コンビニ人間1


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