spring comes
父が、中学高校と18歳までの6年間住んでいたという家に行ってみたという。
人の手に渡りリノベーションされたものの佇まいはそのまま42年前と変わらぬ藻岩山の中腹にありました
行けて良かったなぁ。変わらずあったその家を見れて良かったなぁ。感慨深いだろうなぁ。といろいろなことを思う。
わたし自身、引越しが多く一番長く住んだ場所は一番長く離れている。
だからか、なんだか自分の子ども時代や昔の記憶はあったはずなのに、どこか夢の出来事だったよう。
本当にあるのかないのか。もちろんあったはずだし、地元から離れているいないに関わらず、本来みんな過去は記憶の中。同じだとも思う。
日頃から近くにあるかないかの違いなのか。
現実にあること、確かめたいな。わたしの住んでいた家。通っていた道。記憶の中の景色。本当にわたしがここにいたこと。変わっていてもいい。もう一回見に行くことには身に染みて感じるものがあると思う。
実は何年か前にひとりで少し訪れた。こんな感じだったっけ。あ、ここここ。そうそう、知ってる知ってる。
あっちもこっちも行きたい。知ってるところ全部見に行きたい と歩く足があちこちに止まらなかった。時間切れになるまで歩く。
その土地を離れて違う土地の刺激を受けて、ここの人とここの人でないの間のわたし。
周りを歩く人や今のこの街を感じて出てくる少しのさみしさのようなものと、自分の中と対峙して懐かしいとうれしいがいっぱいのようなあたたかさ。
まだいろんな土地に行くかもしれない。けど今まで住んだどの土地もとても思い出があって自分にとって大事な場所。ずっと。
おじいちゃんおばあちゃんになっても、何年経っても、いつかまた会いに行ってお世話になりましたと伝えたいな。出来れば近いうちに何度も足を運んで、また関わっていけたらいいな。
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