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母の変化、再発。

短大卒業後、私は帰郷せず、その地で就職した。

就職氷河期の底みたいな時で、就職は難しかったけれど、学生の時からアルバイトをしていたところに就職することになったので、それほど大変ではなかった。

しかし、短大卒業後辺りから、母の調子は、さらに大きく崩れていく。

母も40代後半になってきて、更年期などで心身に影響が出てきていたようだった。(これは母本人や叔母たちからもそう聞いていた)

そして、幻聴や妄想、躁鬱のような症状が前よりもさらに、長期間で出てきだした。

結局は、年齢的なことが一番の理由だとは思うが(歳をとると、このような病気は悪化していきやすいと、母の主治医から聞いたことがある)、
そのきっかけになったのではないかと思うことがいくつかあった。

ちょうどその頃、東京で、かなり大きな事件があった。 

その事件は、母とは全く関わりのない事件だったけれど、時期的に重なるのと、かなりショッキングな事件だったので、心に何かショックを受けたのかもしれないと思った。    

今までも、知り合いのお葬式とか、悲しい出来事をきっかけに症状が出ることが多かったので、もしかして引き金になっていたかもしれないと感じている。(実際に、その事件のことを織り交ぜたような幻聴や妄想を言っていたように思う)

それから、実を言うと、私の短大進学前に、祖母が交通事故で急に亡くなっている。
このことが母にどれだけ影響していたかわからないけれど(嫁姑などの問題は特になく、仲良くもないが悪くもなく普通だった)女手が減って、家族の世話などの皺寄せがきて、ずっと負担だったのかもしれないと思ったり。

そして、もう一つ、私が短大を卒業して、地元に戻らなかったことも大きかったのかもしれない。

しかし、こちらで就職を決めた時、特に反対はされなかったと思う。

帰ってこいと、はっきり言われたこともなかった。

正直なところ、母がどう思っていたかはわからない。

しかし、幻聴などの症状が出たり、
気が弱ってくると、帰省した時などに、
「もう向こうに戻るな!」と言われたりもしたので、やはり帰ってきてほしかったのかとは思う。

一般的に、娘に、どんなに遠くに住んでもいいよと言える母親の方が少ないだろう。


しかし、自分の居場所のようなものがたくさんある街から、私はどうしても帰ることはできなかった。

そんな中、母の病気は、この辺りから徐々に、さらに悪化していった。






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