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あにの 中学校の話

 弟とあには3つ違いなので、同じ中学に通ってはいるものの、一緒に通ったことはない。

 上の世代がまるで修羅の国のように思っているようだが、実際は80年代の生き残りみたいな不良の先輩が2人ばかりいた程度で、学校全体はごくごく普通の中学校であったのではなかろうか。

 しかし先生の恐ろしさはガチである。

 特に学年主任の社会科教師。

 体育教師でもないのにeverydayジャージ姿で、用があるときは職員室に会いに行くよりも学校周辺のマラソンコースで待ち伏せしたほうが早いという肉体派。5つの運動系部活動の顧問と副顧問を担当し、夏場はバドミントン部の指導でかいた汗を水泳部で流し、その後陸上部とともに走る。期末試験の後の腕相撲大会で勝利したら歴史の成績は5をつけると言ってはばからない(そして過去に勝った生徒はいない)という体力おばけである。

 問題が起これば多目的室に学年全員集合させて全力2時間コースのお説教。修学旅行で問題を起こしたグループ約100名は宴会場で全力お説教を食らったそうだ。合唱祭のリハーサルでやる気のない態度を見せたクラスがいた日には、全クラスの前でやっぱり全力お説教。思い出そうとすると怒った顔ばかりが浮かんでくるこの先生を弟は知らない。なぜならあにが中3の時に死んだからだ。

 そんな怒ってばかりの学年主任だが、本当に嫌っていた生徒は少なかったのかもしれない。「あいつ死ねばいーのに!」とか言ってたちょっとやんちゃな女子生徒が、お通夜のときにわんわん泣いていたのを見てそんなふうに思った。いつも怒っていたような気はするけども、正当だろうと不当だろうと暴力を振るうことはなく(そりゃあ忘れ物をしてげんこつの1つや2つ程度のものはあったが)お説教は感情的であっても決して理不尽ではなく、子供から大人になるグラデーションの時期である中学生達にとって、全力で相手をしてくれる初めての他人の大人がこの先生であった、なんて生徒もたくさんいたんじゃないだろうか。

 先日ふと思い立ってその先生のことを調べてみると、亡くなったのは今のあによりも5つも若い時だった。果たして今の自分は、当時の先生のように何かに全力で誰かと他人にぶつかっていくことなんてあるだろうか……

 とりあえず、過度な運動は体に悪いんだなぁと思い、今日もハイボールのグラスを傾けるあにであった。

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