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「コロナ時代」とは何だろうか。

先の見えない日々が続いていて、まぁじゃあ1月・2月の頃は先が見えていたのかと言うと決してそんなこともないんだけれど、今度早川書房さんから「コロナ時代の僕ら」という本が出るということ、その即時性を話題にして、編集者の間でゲラを回し、先行してあとがきがnoteで出て、とかいろいろ「仕掛け」を感じなくもないけど、それはそれで当然やるべき、むしろその仕掛け方を教わりたいぐらいではあるのだけれど、それを抜きにしても早く中身は読みたいが、ひとまずそれはさておいて、「コロナ時代」という言葉について考えざるを得ない。
幸いにして、自分の身の回りにはいまだはっきりと陽性になった人もなく、避けろと言われた業種には該当せず、今すぐ給料が止まるような状態でもなく(この先は分からない、本屋がこれだけ閉まる、物流も不安がある、という状況になったときにどうなるのか……それはまた別の話だけど)、キツいはキツいのだけれど、まだ受け入れられる日常を過ごしていて、「オンライン飲み、わーい」とかやってたりする引きこもり生活X日目。

ふとしたときに、岸政彦さんが書いていたブログのことを思い出す。ほんの1か月ほど前。まだそこまでではなかった頃。もしかしたら大学生が卒業旅行でヨーロッパに行ったりしていた頃。話題はダイヤモンドプリンセスとトイレットペーパーやマスクの買い占めだった頃。

それぞれの個人の人生が一度きりしかない、という根源的な事実によって、私たちはデマに抗うことが難しくなっている。

マクロなレベルでは、新型ウィルスに罹患して死ぬひとの数は、ごくわずかかもしれない。だけど、じゃあ、それがお前だったらどうする?

社会全体のなかではわずかな確率でしかないものが、それに当たったときには、私たちは私たちの人生のすべてを差し出さなければならない。

そして同時に、東浩紀さんのこの一連のツイートのことを思う。
https://twitter.com/hazuma/status/1247093496076308480

コロナの死者はいま世界で7万人ですが、人類はこの何十倍もの規模の感染症を何度も乗り越えてきました。集団免疫の獲得には人口の6-7割の感染が必要だといいます。新型感染症の致死率がかりに1%だとしたら、日本では60万人が死ぬ計算です。現代人はとてもそんな数に耐えられません。

そして、2人が言っているのは、もし後世の歴史家たちが「コロナ時代」というものを定義しようとしたときに、これを受け入れざるを得なくなった時代だ、というものじゃないかな、と思う。
それは、一定の確率で、有名人かとか、信仰とか、その人が生きてきた人生とか、これからのこととか、そういうのに全く無関係に、無差別に、無意味に、ある日突然誰かの生活が変わってしまう、ということ。

東日本大震災でも「終わりなき日常」の終わり、なんてことが言われたし、実際に終わった人もたくさんいたし、つらい、耐え難いことがあった人もたくさんいた。シリア、レバノン、アフガン、リビア……世界中を見渡せばそんな中で生きていかなくてはならない地域はいくらでもあって、パリやロンドンでも突然の無差別テロがあって、そう感じるのは自分がまだどこかそれらが遠かっただけなのかもしれないけれど、まだそれらには地域だったり、何か理由があるじゃないかと思ったりする(もちろん巻き込まれた当人はそんなことは知ったこっちゃないわけだけれどもさ)。
でも「コロナ時代」はそうじゃない。そこがすっ飛ばされて、見えないウィルスが人と人の自然な距離感でも広がって、そうして世界中が、何の理由もなく、一気にそういう状況に、身もふたもない確率の世界に放り込まれたのかな、と。

確率がいかに低いか、ということを合理的に教えられても、私たちは、それが私たちのすべてを奪い去るものであるかぎり、それで納得はしないだろう。

私たちは、確率の数字では「癒されない」のだ。
http://sociologbook.net/?p=1769

現代人は耐えられない。そう思う。それで今までと同じように社会が回るんだろうか。そう思わない。もしかしたらかつて人類はそういう世界に生きてたのかもしれないけれど、少なくとも、そのリアリティが迫ってきたときにどう過ごせばいいのか、わりと耐え難い。し、いよいよもって自分も耐え難くなってきた気がする。

とはいえ、ルーレットにあたるまで、それでも日々寝て起きて、お腹がすいて、誰かと話がしたくなって、面白い本やマンガが読みたくなって、映画が見たくなって、音楽が聴きたくなって、美しい景色が見たくなって、おいしいものが食べたくなって、酒が飲みたくなって、そうしてなんとなく生きていけるんだろうと思う。そう信じているし、信じるしかないよなぁ、と。で、そういう風に生きていけたとしたら、そのことには何の意味もないんだけれど、その幸運に感謝しつつ、まっとうに、ちゃんと考えながら生きてければなぁと思うのです。

少し、酔ってて、たぶんその勢い。

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