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弾薬の生える森-やんばるの米軍廃棄物と世界自然遺産(下)

自然遺産から危機遺産へ

 IUCNは7月26日に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(鹿児島、沖縄)の世界自然遺産への登録を正式に決定と発表した。この発表を受けて、「多くの人に注目され経済発展の兆しが見えた」あるいは「地元にたくさんの観光客が訪れる機会を得た」といった観点から、歓声をあげ喜ばれた方々にさらなる朗報です。令和2(2020)年の時点で、世界遺産は世界中に1121件と言われています。世界自然遺産はそのうちの213件ですが、あなたはそのうちの何件に興味を持ち、実際に行ってみたことがあるでしょうか?もしくはわざわざ行くほどまでの興味は抱けないという人もいるのではないでしょうか?そうした自然遺産213件のうちの1件として正式に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」で登録が果たされた影響はさることながら、世界中に213件の自然遺産よりも世界中に53件しか存在しない危機遺産に登録がなされれば、自然遺産登録を上回る注目を浴びることは間違えがない。しかも、沖縄島北部の現状だけを見ても、この危機遺産登録に移行する手続きは非常に容易い状況だと言える。

 現時点で日本国内には危機遺産は存在しない。世界自然遺産ではそのうち余暇が出来たら行ってみたいという人も、世界危機遺産の1つともなれば、早速行ってみたいという気持ちにさせるばかりか、「なぜ、危機遺産になってしまったのか」といった点での注目はもちろん、世界中の人々が研究や保全の対象としての関心も持つ場所となるであろう。
 ユネスコは危機遺産を世界中に通知し、危機遺産となった場所の保全に関する協力を世界中に呼びかける機関ともなっている。これはまたとない絶好のチャンスだ。呼び寄せることや多くの人に認知してもらうことが目的であれば、危機遺産を利用しない手はないだろう。
 地元に多くの利益と還元をもたらし、町おこしともなると言って献身的に世界自然遺産登録を推進した皆さんは、危機遺産にも積極的にならなければその姿勢に矛盾が生じる。危機遺産になれば、保全はいまより強く確固たるものになり、世界中からの支援の中でよりよい場所を提供・維持することがかなえられるだけではなく、環境の改善のために多くの人が危機遺産近隣に滞在することとなります。さあ、ぐずぐずせず早速やろう。地元のため・地域のため・ヤンバルクイナの為だと言い切ったみなさん、さあ始めよう。わたしも早速協力する。

世界遺産のリアルな疲弊

 わたしはいま長崎県の五島市内にいる。先日は上五島に滞在し、令和元(2018)年7月に世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の12箇所のうちの1箇所である「頭ヶ島の集落」に出向いた。地元の案内人に胸が張り裂けそうな話を聞き、汗を拭いながら必死にメモをとった。予習のほとんどが意味を持たないことは、これまでも嫌というほど痛感してきたが、ご本人や周囲の人の声を聞くと毎度そうした「痛感」は心地良い方向へ向かう。そして改めて、ご本人や周囲の人の声よりも真実なものはないと確信する。
 この日、ガイトさんにご紹介いただいた口数の少ないカトリック信徒の方は、迫害や差別を耐え、懸命に生きてきた頭ヶ島集落の隠れキリシタンの末裔だという。

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 頭ヶ島の集落

 頭ヶ島についての案内はこちらですが、詳細ではないので現地へ行かれることをおすすめします。(要予約)

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頭ヶ島天主堂

 現在、集落では7世帯が暮らしている。内6世帯は隠れキリシタンの末裔でありカトリック信徒である。集落では過疎と高齢化が進み、集落のみならず教会や墓地の管理・維持も難しくなってきているとガイドは話す。墓地などのひらけている場所であれば、世界遺産を管理する行政機関やボランティア関係者で掃除などを行ないながら維持することは可能であるが、教会に関しては信徒がいなくなれば維持は出来ないという。そして、いま集落に残る信徒の年齢を考えると「まだまだ大丈夫」といった呑気なことを言える状況ではないという。
 そうした危惧されるべき状況は、世界文化遺産には関係がないとのこと。つまり、この一帯が歴史的な価値を持っていることが文化遺産として重要であるが、教会が維持されることや、守られることは文化遺産には全くなんらの関係もないということである。そのため、教会はいずれ無くなる。しかし、世界文化遺産ということには変わりがないそうである。
 朝のジェットフォイルで上五島へ渡り、午後のジェットフォイルで長崎市へ戻るといった本土資本のツアーや旅行客も多いことから、観光客のほとんどは上五島に滞在せず、つまり世界文化遺産となったことで地元には「景観の維持」を要求しながら、地元には利益が生まれないという構造になっている。その上、教会があろうがなかろうが知らんと決め込んでいる。過去の史実への評価(もちろん史実を残す価値は後世にとって意味のあることではあるが)だけで、あとはよろしくと地元を酷使し、疲弊に追い込んでいる状態である。ガイドしてくださった方は、もっと柔らかい言い方ではあったが、地元の方はいらない苦労を強いられていると感じた。後継者がいないということだけでも集落にとっては大変なことであるようだが、そこに全くの他人が文化遺産をめぐるにあたり、無償での協力を強いてくる。しかし、地元は潤わない。
 何とも無策で勝手な事業だったのではないかとすら思える。もっと文化庁からの提案や調査または登録にあたり計画されたツーリズムに欠点があったとすれば、今からでも見直しを図るなどの対策を講じる姿勢を見せても良いと思う。あまりにも無責任である。

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頭ヶ島キリシタン墓地

 先述したが、史実を後世に残すことは意味がある。しかしその場所に起きている問題への無関心という意識は、「沖縄島北部は素晴らしい森で生物多様性である。しかしその場所に起きている問題への関心はない」という意識と全く変わりがない。非常に科学的でそこに人間らしい感情はない。
 IUCNのいう「普遍的な価値」を維持するあるいは保全するということは、絶対的な地元住人のちからに頼らなければ成立しえないはずであるが、しかし地元住人の意志は実際のところIUCNが示す「普遍的な価値」には全く関係がないので、「うまくやってね」という他力本願である実態がこの文化遺産の現状である。信徒がいなくなって教会がなくなろうが、沖縄島北部で米軍がゴミを廃棄し、有害物質を垂れ流そうが、ユネスコは世界遺産登録がなされた物件をただただ「これを保全せよ」と言っているだけである。推薦書に書かれた「保全の強化・保全の計画」あるいは「ツーリズムの整備」などは、登録された後には約束された事項となるはずだが、実行されていないといえる。この状態は、世界遺産への登録にあたりIUCNの設けている基準が、単純なボーダーでしかなく、推薦書および推薦書に対するIUCNからの勧告に深い意味はないと言わざるを得ない。つまり、計画倒れになって苦しんでいるのは地元である。

ICOMOSから端島炭鉱への指摘

 平成27(2015)年、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。長崎県の端島炭鉱(通称軍艦島)もその1つに該当する。ICOMOS(国際記念物遺跡会議。ユネスコの世界文化遺産における諮問機関)は、登録当初より端島炭鉱の保全措置・状態に関する勧告を度々行っている。つい先日も「多様な証言」を取り込むべきだとの率直な指摘があった。そもそも文化遺産登録における条件は、「顕著な普遍的価値に貢献する構成要素及びそれ以外の史跡等の構成要素」として「フル・ヒストリー」(ICOMOSのいう多様な証言)を視野に入れた上で、文化遺産となった該当場所または史跡などが辿った変遷と発展の経緯について、詳しい説明を求めている。詳しい説明を指す具体的な内容としては、端島炭鉱へ連行され強制的な労働を強いられた犠牲者が存在したことを理解できるような措置・展示がなされていないというものである。

4.締約国が、以下のことを検討するよう勧告する。

a)端島炭鉱の詳細な保全措置に係る計画を優先的に策定すること。
b)推薦資産(の全体)及び構成資産に関する優先順位を付した保全措置の計画及び実施計画を策定すること。
c)資産に対して危機をもたらす可能性の高い潜在的な負の影響を軽減するため、各構成資産における受け入れ可能な来訪者数を定めること。
d)推薦資産(の全体)及びその構成資産の管理保全のための新たな協力体制に基づく枠組みの有効性について、年次ごとにモニタリングを行うこと。
e)管理保全計画の実施状況及び地区別保全協議会での協議事項・決議事項の実施状況について、1 年ごとのモニタリングを行うこと。
f)各構成資産の日々の管理に責任を持つあらゆるスタッフ及び関係者が、能力を培い推薦資産の日常の保全、管理、理解増進について一貫したアプローチを講じられるよう、人材育成計画を策定し、実施すること。
g)推薦資産のプレゼンテーションのためのインタープリテーション(展示)戦略を策定し、各構成資産がいかに顕著な普遍的価値に貢献し、産業化の1または 2 以上の段階を反映しているかを特に強調すること。また、各サイトの歴史全体についても理解できるインタープリテーション(展示)戦略とすること。
h)集成館及び三重津海軍所跡における道路建設計画、三池港における新たな係留施設に関するあらゆる開発計画及び来訪者施設の増設・新設に関する提案について、『世界遺産条約履行のための作業指針』第 172 項に従って、審議のため世界遺産委員会に提出すること。

第39 回世界遺産委員会決議(39COM 8B.14)〈仮訳〉4頁)より転載

 こうしたICOMOSからの勧告を受けて、日本政府は提出期日を守り、内容に特別複雑な具体性は見受けられないものの一応回答を提出している。例えば、インタープリテーションの実施状況の報告においては、そのほとんどのタイムスケールを「継続中」と表記している。また、該当文化遺産の案内として産業遺産情報センターを令和元(2018)年設立したが、端島炭鉱がある長崎の紹介エリアについては「令和5年度以降」を設置予定時期と記載している。

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インタープリテーション戦略の実施状況についての報告-日本国 内閣官房 12頁)より転載

 この措置に対する回答は今年12月とされているが、ICOMOSの指摘通り、史実は推薦書ならびに措置の要求に対する回答書に正確に記載すべきである。

自然を蔑ろにする科学者たち

 文化遺産と自然遺産の違いは明確である。先述したが、文化遺産は「顕著な普遍的価値に貢献する構成要素及びそれ以外の史跡等の構成要素」が重要であり、構成に至る要素に重点を置いている。一方、自然遺産は「普遍的価値」にしか重点を置いていない。価値のプロパティとその保全としてのバッファゾーンは同じように位置づけられているが、捉え方と価値の対象は全く異なる。しかし、自然遺産の「自然」も、文化同様に人間の営みが加わって形成された物件がほとんどであり、人間の影響を受けていない自然というのはもはや存在しないであろう。つまり、自然との共生の中から、あるいは化学兵器を用いた戦争を経験してきた中で、全く人間の影響を受けずに汚染されていない純粋な自然というものは存在しないのである。更に、文化の衰退は歴史と共に起こりうる現象(頭ヶ島集落の教会存続への憂慮しかり)だとしても、自然こそ衰退をさせてはいけない。近年、マイクロプラスチックが多くの魚の体内から発見され話題になっていることを考えても理解できるように、自然を荒らせば我々の体内も荒らされて生命の存続を阻むのである。いくらガンの治療や延命治療が科学的に進歩しても、全く別の角度から予期せぬパンデミックが起こり人々を混乱に貶めている。人間の存続だけを基軸とする科学には、寿命の左右は行えても、寿命が長くなることが人の幸せと直結することかどうかの判断までは出来ないのである。つまり、濃密で充実している日々を尊重することは科学には出来ないのである。それが出来るのは、宗教もしくは思想でしかない。

 自然こそ、土壌こそ、死守してでも子々孫々へ残さなければならない生命維持の源泉である。人間によって瞬く間に汚されてしまう自然こそ、人間の知恵と努力で保全に必要であることを全力ですべきなのである。そうしたことを元来人間は、幸福の最たる1つの条件として捉え、研究対象としてきたことを忘れてはならない。科学が何よりも評価される時代はもう終わりである。実験室で実験は出来ても、土壌や美しい水源が守れないことあるいは守ろうとしている人間の営みが汲まれなければ、正しい結果は出ない。そういえる証拠と根拠は、すでにいま散見されはじめている。人間の営みがそう単純なことではないことは生きとし生けるものすべてが知り得た事実であろう。

世界危機遺産に推薦する

 わたしは今回の五島列島での祈りの旅で、もっと別の世界遺産を知れるであろうと考えていた。しかし、それは全くの逆効果で、わたしの中の世界遺産の価値を更に下げるものとなった。
 わたしの亡き祖母の指輪の価値は、指輪そのものの価値として換算され、わたしの思い出やこの指輪がわたしに渡るまでの経緯など全く関係なく金額が提示される。資本主義社会の中で生きていれば、そんなことは百も承知している。しかし、ではわたしはこの祖母の指輪の価値がわからない人に、この指輪が換算出来るはずがないと決めつけ、金額を提示してきたものをわたしは笑い飛ばすだろう。もちろん譲りもしない。この世界遺産とは、わたしの祖母のプライスレスな指輪に、いくらかの換算価値の部分、つまり普遍的価値の部分だけ勝手に換算し、価格を決め、その価値をありがたがり、この価値にあやかった形式で友人や知人が儲かる仕組みを作り啓蒙し、ダイヤが輝いていればそれを根こそぎアピール材料に使うが、傷や汚れなどがあればそれを必死に隠す詐欺のようなことを公然とやってのけてでも、搾取材料としてことごとく使うのである。とてもこの指輪の大切さなど、理解しようともしていないし、しない。重複するが、資本主義社会の中で生きていれば、そんなことは百も二百も承知している。しかし、わたしは資本主義に再三の警告を促してきた。そして、いま資本主義が奪ってきた人の幸と不幸を真剣に考える時に来ていると強く訴えた上で、あなたがいま大切にしているものが資本主義によって安易に奪われてほしくないと祈る。ここ上五島に来てそうしたことを再確認した。

 この状況に救いがあるとすれば、冒頭にも述べた世界危機遺産への登録である。沖縄島北部にある米軍北部訓練場跡地の大量の危険な廃棄物や有害物質の状況を明らかにし、正しく明記した上での世界の認知は、今後を生きる人間生活を世界中の人々が共に見直すきっかけとなるだろう。さらに沖縄島北部の人々のこれまでの気苦労や歯がゆさをほんの少しではあるが、拭い労ることが出来るのではないだろうか。また、世界自然遺産になるだけでは、地元の負担が大きくなるだけだという状況も緩和されると予想される。それでこそ、人間と自然との共生であり、保全意識の極みである。
人間と自然は切っても切れないものであり、どちらも農学にのける農の一部である。農の営みが正常であり、農こそが大切にされるからこその中央である。そうした事を根本においた議論の発展と研究を切願する。

参考文献

ユネスコ世界遺産センターへの保全状況報告書の提出について(内閣官房 ※端島炭鉱)
修復・公開活用計画の標準構成 (内閣官房 付属資料a)-1 ※端島炭鉱)
保全状況報告書-明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(日本)
インタープリテーション戦略の実施状況についての報告(明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(Japan) )
産業遺産情報センター
世界文化遺産-長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産-頭ヶ島の集落

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