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日出而作、日入而息、鑿レ井而飲、耕レ田而食、帝力于レ我何有哉

8月13日11時から14時の参加者と、夏野菜畑にて今回は収穫をして秋・冬に向けての土作りをしました。


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手前の野菜は学生が植えたかぼちゃ。その奥から土作りをしています。

腐葉土を混ぜました。次は牛糞を入れて混ぜます。作るお野菜に合わせて有機石灰も混ぜます。大変ですね。

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卵の殻。沢山の方に毎年協力いただいていますが、今回は学生にもお願いして持ち寄っていただきました。これをすり鉢やミルミキサーで粉末にすると有機石灰になります。有機石灰は土のpHを変え、カルシウムを必要とするお野菜を作る前に土に混ぜます。

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卵の殻をミキサーしたものです。少し拡大していますが、結構サラサラです。卵の殻を植木鉢の中に置いてある状態を見たことはありませんでしょうか?あれはきっと「土に良い」みたいな漠然とした思いからしていることなのだと思いますが、粉末にしないと効果はほとんどありません。気持ちの問題だということにしておきましょう。

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洗ってキンキンに冷やして休憩時に食べる。前回は、「味噌・マヨが欲しくなる~」というクレームがあったので、今回はご用意させていただきました。(笑)

ちなみにこちらの味噌ですが、沖縄県那覇市の「玉那覇味噌醤油」さんの王朝みそです。コクがあってまろやかなので、野菜スティックにはとても合います。


さて、タイトルに記載したのは中国古代の撃壌歌の一節。老人が歌ったとされている。

日出而作、日入而息、鑿レ井而飲、耕レ田而食、帝力于レ我何有哉
日が昇れば仕事をし、日が沈んだら休む。
井戸を掘っては水を飲み、畑を耕しては食事をする。
帝の力なぞどうして私に関わりがあろうか。

と、いうもの。

これは一見、帝に逆らっているようにもとれるが、しかし実際には「これが私の政治であり、この政治が国家や人々を豊かにしている(国家に貢献している)」という意味が含まれているようだ。

以前の記事 「君が代の安けかりせばかねてより身は花守となりけむものを」では、「まさに武士というものは百姓だったことを証明しています。」と述べましたが、この点には少しというかかなりの違和感をずっと抱いている。言葉で表現することが難しかったせいもありますが、その違和感をここで拭いたいと思う。現代から大東亜戦争以前への眼差しとしてはこの表現は間違っていないが、現在に「武士(道)は百姓である」とすることで「だから武士は百姓なのだ」には決してならない。また「武士(道)だから百姓をするのだ、米作りをするのだ」ということにも決してなりません。また、昨今の言葉の価値観や概念を持っても「武士(道)」が何を指すのかで解釈も千万であることから、非常に注意が必要な部分ではあるが、いわゆる幕末や明治期における「武士(道)」は、農道・農本主義者からすると「華やかな表街道」というイメージがあることが、農本主義者の松田喜一氏の言葉から汲み取れる。

農魂と士魂を履き違えた者が長い年月い続けたという事に続けて、以下のように述べている。

士魂は治国平天下の魂である。茎葉の如く上に昇り、他を指導し、支配する魂である。立身出世ができる人の有する魂である。都会に住む役人達は、大体士魂の人達である。これとは反対に、土から下の根の有する農魂は、終身斉家の魂である。下へ向かって土にもぐり込む魂である。士魂と違って、根であるから、全然艶消しである。一生世に現れぬ魂である。つまり一生立身も出世もできない者の魂である。(松田喜一著書 農魂と農法ー農魂の巻 日本農友会出版部)

ここでの士魂とは、支配者や政治家や役人だけではなく教育家や官公吏を指している。松田自身も教育家であり、農魂ある大変優れた人物だった。しかし、教育家を含めたあたりは一体どういう見解なのだろうかと思ったのだが、つまり教育家は教育家でも例えば「畑に触れてもいないのに、畑について学問だけで知った気になる教育家」などを士魂だと言ったように思う。少し僻みも含まれているように感じとれるが、時代が既に高場乱氏(人参畑塾/興志塾)や頭山満氏(玄洋社)などの生き方を経過したところにあるため、漢学を筆頭に学問の研鑽を極めた志士達を歴史に見てストイックだったのかも知れない。しかし、この思想は、先述した「撃壌歌の一節」に通じるところがあるように思う。(続)


花瑛農園の夏野菜も終盤。お買い求めもあと僅かです。


花瑛農園ではコロナによる困窮学生への学業・生活支援と農業体験を兼ねてアルバイトを引き続き募集しています。
※コロナ対策に原則として、マスク着用でご参加下さい。アルコール消毒液などは用意があります。


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