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アンダーライブで見た“乃木坂46のすべて”(乃木坂46・31stSGアンダーライブによせて)

最少人数でのアンダーライブ

 31stSGアンダーライブに3公演、現地参戦した(名古屋での2公演と、大阪での1公演目)。近年のアンダーライブは公演数が少ないことも多かったし、チケットがそんなに手に入ることも、仕事その他の調整がそんなにつけられることもレアだから、ほぼ重なる構成の公演をこんなに観られたのは初めてだった。千秋楽の横浜公演の配信とあわせて、4公演を見届けることができたことになる。

 31stアンダーメンバーは10人。名古屋・大阪の4公演は北川悠理がけがで休演となったため、9人での挙行となった。アンダーライブとしては歴代最少人数での開催(これまでの最少は「乃木坂46アンダーライブ 全国ツアー2017 ~関東シリーズ 東京公演~」「23rdシングル『Sing Out!』発売記念ライブ 〜アンダーライブ〜」「30thSGアンダーライブ」の12人)。4期生を中心に選抜メンバーへの抜擢が続く一方、アンダーメンバーへの移動は最小限におさえる、近年のグループ全体の傾向の極致ともいえる人数規模であった。

アンダーライブの“継承”と「アンダー」

 アンダーライブを“リーダー”として支えてきた和田まあやが前作で卒業し、3・4期生のみで行われる初めてのアンダーライブでもあった。「私たちしかいないから、守んなきゃいけないじゃん」。アンダーセンターを務めた中村麗乃は、公演に先立って配信された「31stSGアンダーライブ全国Zeppツアー開催記念特番」(2022年11月22日、乃木坂配信中)で涙ながらにそう語った。同配信内では、「僕だけの君〜Under Super Best〜」の特典映像であった「The Best Selection of Under Live」をメンバーが全編振り返っていたが、その映像内に出てくるメンバーが、そこにもう誰もいないということに、改めて新鮮な驚きがあった。

 通常のOVERTUREを用いず、セットリストの1曲目として披露されたのが「アンダー」であった。冒頭では中村麗乃がソロ歌唱。「アンダー 影の中/まだ咲いてない花がある/客席の/誰かが気づく」。かつてのアンダーメンバーに衝撃を与えた楽曲がここで歌唱されたことに、“継承”への思いを感じた。「開催記念特番」の際には、「The Best Selection of Under Live」最後の1曲としてフルサイズの「アンダー」が流れる間、メンバーが誰もひと言も発さなかったことが印象に残っていた。筆者はこの楽曲に執着がある。「北野日奈子卒業コンサート」以来に演じられて嬉しかったのが半分と、あの記憶も“継承”の対象となるのか、息をのむような思いが半分であった。

 しかし、あえて言えば、10人のメンバーは(もしくは“乃木坂46のアンダーメンバー”は)、「アンダー」に飲まれてしまうようなことはなかったように見えた。「アンダー」の歌詞をつぶさに読めば、現状の厳しさとともに未来への希望が歌われていることがわかる。シンプルなアコースティックアレンジの美麗なメロディに乗せて、振り付けがほぼ排された歌唱中心での披露。シリアスさと明るさが共存するような表情で演じたメンバーの歌声には、歌詞のメッセージがまっすぐに乗せられていたように聴こえた。

いくえにも折り重ねられた“らしさ”

 その「アンダー」に始まり、セットリストは歴代のアンダーライブのなかでも出色だったように思う。冒頭や終盤のブロックなど、アンダー楽曲をしっかりと軸に定めつつ、「三番目の風」「4番目の光」はアンダーライブの“新世代”を改めて印象づけたし、定番の“お歌のコーナー”(「路面電車の街」)を含むユニット曲のブロック、全員による歌唱で楽曲のメッセージを伝えたブロック(「明日がある理由」「いつかできるから今日できる」)、クリスマスの演出を加えたブロックと、次々と展開を繰り出していったという印象があった。

 会場はZeppで派手な舞台装置はないし、飛び道具のような演出やチャレンジをする場面もなかった。それだけに(あるいは、会場の規模もあいまって)、パフォーマンス力の高さをはっきり感じることができたし、実際にそれを目指した構成であったのではないかとも思う。アンダー曲やユニット曲の選曲やメンバーにも、それぞれの“らしさ”を感じたし、アンダー曲を軸としたセットリストやメンバー日替わりの「決意表明」のコーナーは、純度の高い“アンダーライブらしさ”であったといえるのではないだろうか(プレゼント抽選のコーナーの、客席との距離の近さもそれにあたるかもしれない)。

 しかし、それだけにとどまらず、アンダーライブらしさを“乃木坂らしさ”にうまく昇華していた、という印象ももった。前述した「三番目の風」「4番目の光」は、アンダーライブがグループ全体のダイナミズムと一体であることも同時に感じさせたし、全体の選曲についても時期のバランスをとりつつ、どちらかというと近年寄りの印象もあり、(細かくは検証していないが)これも全体ライブと軌を一にする構成であるように感じる部分もある。肩ひじを張って何かにこだわるようなところはなくても、アンダーライブらしさ、乃木坂46らしさがそこにあった。

 あるいは「決意表明」のコーナーについて、あくまで筆者が立ち会った4名(佐藤楓、佐藤璃果、向井葉月、松尾美佑)に関していえば、選抜/アンダーの構造に明文で触れていなかったことが印象に残っている。選抜発表後に髪をばっさり切った佐藤璃果をはじめ、“選抜”へのこだわりを表出するメンバーは一時期よりもむしろ増えている印象すらあるし、佐藤楓に関しては選抜からアンダーへ移動した今作唯一のメンバーでもある。それでも今回のライブの場では、「アイドルである自分自身」に向き合いつつ、“アンダーメンバー”である前に“乃木坂46のメンバー”であることに思いを向け、アイドルとしてどうありたいかを「決意表明」に込めていた、と感じた。
(このなかで、向井は「自分はゆっくりだが目指す場所に近づいている」「シンデレラストーリーを見ていてほしい」のような言い方で、“選抜”への思いを示唆していたが、あくまで自分のあり方に関する「決意表明」であった点は共通していたように思う。)

 “選抜”や“ポジション”が強調されてグループ内外で競争があおられたり、具体的だが大して意味のない目標を与えられたり、とかくわかりやすさが求められる向きのあるアイドル、それも「アンダー」というわかりやすい構造のもとにおかれたメンバーたちが、そうした「決意表明」を行うという点にも、どことなく“乃木坂らしさ”を感じた(というと、“わかりやすい”表現に落とし込みすぎだろうか)。

アンコールで見せた新展開

 もうひとつ、筆者が印象に残っているのは、アンコールである。本編では表題曲の披露は歌唱中心の「いつかできるから今日できる」のみと抑制的であったが、アンコールでは各公演で表題曲が3曲披露されている。構成は3パターンあり、筆者は3公演連続で現地で立ち会ったことで、幸運にもすべてを目にすることができた。

 最後が「おいでシャンプー」である点は共通で、これはアンコールなど全体で楽しく盛り上がる場面では定番といった感じがあるが、その前の2曲が「君に叱られた」と「Route 246」、「ジコチューで行こう!」と「帰り道は遠回りしたくなる」、「好きというのはロックだぜ!」と「ごめんねFingers crossed」、という3パターンである。

 22ndシングルまで(2018年12月の武蔵野の森総合スポーツプラザまで)のアンダーライブでは、セットリスト上の重要な位置でそのシングルの表題曲が演じられるのが定番であったが、23rdシングルからはそうした傾向が一切なくなる。配信シングル扱いの「Route 246」は披露機会があったが、それ以外の23rdシングル以降の表題曲は「29thSGアンダーライブ」で「Sing Out!」がメドレー(全員センターの「思い出セレクション」企画、阪口珠美の選曲)に含まれたのみで、「夜明けまで強がらなくてもいい」からの表題曲7曲は、前回のアンダーライブまでで演じられたことはまったくなかった(はずである)。

 今回も「ここにはないもの」がセットリストに含まれたわけではないが、こうした傾向があったなかで、「好きというのはロックだぜ!」「ごめんねFingers crossed」「君に叱られた」が演じられたのは、ひとつエポックメーキングな出来事であったように思う。

 個人的には、当該シングルの表題曲を必ず演じる、という構成は、当時においては「アンダーメンバーも乃木坂46である」的なメッセージとして意味が大きかったのではないかと思うが、どこかシャドーキャビネット的でもあり、控えメンバーとして「いつでも行けます」と言っているような感じを受けることもあった。一方で、「アンダーライブ2019 at 幕張メッセ」や「アンダーライブ2020」で、アンダー楽曲にかなりこだわったセットリストが組まれていた時期は、「アンダーライブらしさ」的なものの再確認の過程であったのかもしれないが、それはそれでグループ全体の動きとの距離を感じてしまうような部分もあった。

 だからどうすればいいという話でもないのだが、そうした経緯をふまえて、筆者はセットリストのなかでの表題曲の位置づけについて注視してきた。28thSG〜30thSGのアンダーライブでは、“新曲”を追加しないまま、表題曲とのバランスの良い距離感を保っていた印象を受けたが、ここにきてその“新曲”が追加されたということになる。

 そのなかにあって、「ごめんねFingers crossed」(および「Route 246」)の中村麗乃、「君に叱られた」の松尾美佑、「好きというのはロックだぜ!」の佐藤楓というセンターメンバー選びは、(この3人は「悪い成分」のフロントであるという点ももちろんあるが)個々のパーソナリティに沿ったものであったように思う。佐藤楓の少しあっけらかんとした明るさも、中村麗乃の曲に入り込んだシリアスな表情も、松尾美佑の自然で楽しそうな笑顔でのパフォーマンスも、今回のステージで特に印象的だった部分だ。

そこにあったのは、”乃木坂46のすべて”

 9年目になるアンダーライブの歴史。新興のコンテンツとして注目を集めながら成長していった時期のことはいくぶん遠い記憶となり、それはグループ全体の歴史とほぼ一体となっていると称してよいと思う。しかし、グループ全体のライブの歩み以上に、そこに「(選抜と対置される)アンダー」というストーリーが常時存在し続けたことは、ある意味でその歴史のなかに「変わらない何か」をもたらしてきたのではないか、と思う。

 一方で、今回3・4期生のみの編成で公演が行われたことは、ある意味でグループ全体の動きに先を行くような変化でもあった。齋藤飛鳥が卒業すれば、残る1・2期生は秋元真夏と鈴木絢音のみ。オリジナルメンバーを失ったテセウスの船を、どのように舵取りしていくのか。そのときグループはどう見えるのか。何か失うものは、もしくは何か得られるものはあるのか。今回のアンダーライブは、ある意味で先発隊のようなものとして、それを見いだそうとする過程の端緒ともなったのかもしれない。

 そのなかで、今回のライブを見届けながら感じたのは、いまのアンダーライブにある「自由さ」であった。もちろんアンダーライブにも一定の型はあるが、どんな曲でもセットリストに入れてしまえるし、そしてメンバーにはそれを高いレベルで見せられるパフォーマンス力がある。言ってしまえばいろんな楽曲についてオリジナルメンバーが少ないので、逆にメンバーの好みや個性を際立たせることができるような部分もあるだろうか。
 加えて、今回は「思い出のある楽曲を演じる」「過去の名曲に再度スポットライトを」みたいなコーナーの形もとられなかったので、単純に何が繰り出されるのか、ワクワクしながら立ち会うことができていたような、そんな感覚がある。

 「アンダーライブには“乃木坂46のすべて”がある」。あくまで感覚的な表現だが、筆者にとって初演だった名古屋公演1日目のあと、Zepp Nagoyaから名駅方面に歩いているときに、ふとそう思った。
 「“すべて”とは何か?」「○○や××は無いはずだけど、じゃあそれは“乃木坂46”ではないのか?」と、論理的に詰められると困ってしまうのだけど、そういうことではないので許してほしい。

 変わり続けていくグループの形。グループとしては「11th YEAR BIRTHDAY LIVE」が控えるが、“全曲披露”の時代も懐かしさの向こうに過ぎ去りつつあり、かえりみられにくい楽曲や演出も増えていくのかもしれない。
 でも、そのときどきのライブに、“乃木坂46のすべて”があればいい。全体ライブにも期別ライブにも、そして次回以降のアンダーライブにも、“乃木坂46のすべて”が表現されてほしい。

 リピート配信まですべてが終わった「31stSGアンダーライブ」の記憶を反芻しつつ、1枚も当たらなかった横浜アリーナのチケットのことを思いながら、そんなことを考えていた。


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 長いうえにまとまりのない文章になりましたが、普段はもっと長いブログを書いております。
 長いブログを書きすぎて自分のなかでハードルが上がってしまったため、もうちょっと思った通りのことを自由に書ければいいな、と思ってnoteを始めました。これからもハマって続けていくかもしれないし、これを最後に忘れてしまうかもしれません。

 ここまで読んでくださった方がいたら、ありがとうございました。

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