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妊娠出産の話 - 2015⑥ 鼻から乳乳

36週6日 で 1,941g

立派な早産低出生体重児である。坊ちゃんはたった1日を待てなかったことになる。

保育器に収容された坊ちゃんは、ずいぶんと時間をかけてどうにかこうにか母乳(搾乳)とミルクを口から飲んでいた。

が、3日目にして早々に規定量をクリアできなくなりギブアップ。

鼻にマーゲンチューブを挿入された。経管栄養の開始である。


私は挿管の瞬間を目撃していない。このころ、起き上がると激しい頭痛が起こるため、常時ベッドで横になっていた。

https://www.jsoap.com/general/c_section/q12

⑥の頭痛であった。しばらく安静にしていたが一向に快方へ向かわない。そこでブドウ糖を点滴されたらすっと引いた。すごいぞブドウ糖!

さて、起き上がれるようになったし、と坊ちゃんに会いに行ったら鼻に管が刺さっている。

こちらが実際の姿。

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「たらり〜鼻か(略

飲めないのでチューブ挿しました〜くらいの説明だったので、そう不思議に思わず、淡々とした気持ちでオムツ交換などのお世話をこの日から始めた。

ミルクは毎回口から飲ませてみて、飲めなかった分を新生児室の助産師か看護師がチューブから挿入する。

モクモクと口は動くが一向に減らない50ccたらずのミルクと、弱々しいわが子を前に、小さく産まれるって大変なんだなぁ、私が先に退院して、この子が退院できる大きさに育つまでここに通うことになるんだろうなぁ、どのくらいの間通うのだろう…保育園申し込んだけど、間に合うのかな…と暗い気持ちになる。

来週には家からここまで通うって本当かしら。病室から新生児室までたった十数メートル歩くのに数分かかってヒイフウ言ってる状態なのに。でもそこらへんで「帝王切開後で…」あるいは「術後で…」と行き倒れている人は見かけませんしね…

腹切った人も皆、退院してからはスタスタ歩いてるというのか?(伏線)


7日目の朝である。

小児科の医師がベッドにやってきて、こう告げた。

「①昨夜、呼吸困難となり、赤ちゃんのサチュレーションが急に下がりました。②うつ伏せにして酸素を投与しながら様子を見ると、呼吸状態が良くなりました。③ところが、この病院には24時間、赤ちゃんをこの状態で看護する設備がありません。④そこで、赤ちゃんは近隣のNICUのある病院へ転院させます。⑤搬送先で入院手続があるので、手続のできる大人1名、付き添いの方が必要です。どなたかいらっしゃいますか。」

今でも覚えている。説明のお手本のようだった。簡潔で明解。私のすべきことは夫コロ助氏に連絡して、転院の付き添いをお願いするだけであった。わかりました、と答えて質問した。

「転院はいつですか?」

「今から近い順に電話をかけていき、10分ほどで搬送先の病院が決まります。」

じゅっ…!!!??

コロ助氏はその日、仕事に出ていた。間に合うわけがない。じじばばには荷が重い。行って帰るだけなら私がいってやらぁということで

「あっ…えーとえーと、私が付き添います…」

ここまで約3秒。

「わかりました。では、準備をお願いいたします。」

私、この時点でパジャマである。助産師さんがやってきて、母子手帳を手渡された。

「乃木さんが付き添われるのですね。準備をして新生児室へきてください。お財布と、お持ちであれば印鑑を持って行ってください。」

印鑑はある。表面的には落ち着いていたと思う。理解の外にあることと直面して思考停止だったが、着替え始めたらノロノロと頭が回り始めるのを感じた。

赤ちゃんが転院。そもそも可能性はなきにしもあらずだったな…赤ちゃんが小さいとはずっと言われていたし。

ここでコロ助氏に電話して、さきほどの御説明を完コピで伝えた。コロ助氏もすぐに理解できたようで多くを質問してこなかった。先生、流石です。

その後に新生児室へ行くと、先ほどの小児科医が坊ちゃんの保育器の横で待っていた。

「①搬送先はドコドコ駅(2つとなりの駅)の△□大附属病院です。②今から救急隊員が来て、救急車で保育器ごと搬送します。③私が付き添います。」

またしても簡潔で明解であった。…うん?きゅうきゅうしゃ?

患者の転院は救急車で行われる。いつ子、坊ちゃんともに人生初の救急車である。

救急隊員2名が到着すると、新生児室の廊下の窓だと思っていたドアが開け放たれ、ガラガラと運ばれてきたストレッチャーに坊ちゃんごと保育器の上部だけが移乗される。

救急隊員の「出まーす!」の掛け声とともに、坊ちゃんin保育器onストレッチャー・隊員・小児科医・私のご一行は一般のエレベーターホールを使い、外来病棟を通って救急搬送の出入口へ向かう。搬送中の酸素は必要十分な量がボンベに詰められているが、限りがあるので速やかに移動。腹が痛い私は別の意味でも必死だった。

この時の視線とざわつきに感じたいたたまれなさはなんだか忘れがたい。

赤ちゃん 小さい 大変 あらあら なになに まあまあ

おっ、おさわがせしてすみませ………や、すみませんてなんだ?


救急車に乗り込むと、付き添い者は必要事項を書面に記入、隊員は搬送先を改めて確認する、搬送先病院のドクターと直接つながるまで電話をする、発車しても、電話がつながるまでサイレンは鳴らさない、サイレンを鳴らすまでは交通ルールに従って走行。そこには私の知らない搬送ルールがあって、なんだか他人事のように「へぇ〜」となってしまった。

電話がつながってサイレンを入れる瞬間、うるっと来た。

坊っちゃん初めてのお外がこんなことになってしまったのはなんでだろう。

私たち今、救急車に乗っている…

他の車が、歩行者が、道をあけてくれることをありがたく感じた。


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