無題

自分がまだ乃木坂46を知り始めた頃-------


なんとなく曲を聞いたり、色んな情報を知ろうとする中で、この乃木坂46に出会って初めて知ることが出来た感覚がある。


それは、「乃木坂46が好きと言ってる人でも、○○ちゃんは好きでも○○ちゃんは嫌いという人が一定数いて、平気でその嫌いをSNSに吐き出し、そんな人が一定数いるせいである程度馴染めちゃってる」という感覚だ。


元々好きなバンドなどのアーティストでは、まずありえない感覚だった。万が一そんな人がいたら、界隈から抹殺されるほど拒絶される。


その上でさらに厄介なのが○○期推しというものだった。何かを下げたら、「好きなもの」を語りやすい側面はあるが、「好きなもの」の『好きなもの』を平気で下げて語る人が結構いる事は、初めて知ってかなりの衝撃を受けた。


そのくらいの時期に、自分は7thバスラ期間の出来事を知った。未来から過去を遡った情報だけでも3期生の叩かれ方が異様だったのは何となく分かった。

今となれば、例えば2期生推しの人が3期生に何か言いたくなってしまうような気持ちは分からなくもない。しかしいわゆる『亡霊オタク』という存在がいて、その人達から、袋叩きにされている事実を知ってしまった時は、複雑すぎる感情を抱いた。


3期生は、自らその曲のそのポジションに入ったわけじゃない。ただでさえ乃木坂が好きで入ったメンバーが多く、何も無くても自分で自分を責めたくなる状況、「乃木坂を好きだ」と言っている一見味方の人から嫌悪感を突きつけられる。しかもその規模が日本の国民的アイドルグループという規模感で。


その当時、3期生が全員残っていると知り、この人達が引っ張る乃木坂46が見てみたい。そしてそれを応援してみたい。こんな気持ちが芽生えた。


7thバスラの期間からその年の全ツ神宮の3番目の風までの期間をきっかけに乃木坂をやめる選択を選ばなかった3期生12人のことを個人的には本当に尊敬している。だって自分だったら間違いなく耐えられない。誰か1人でもやめることを選んでいたら、おそらく今の3期生の1番の強みは生まれなかったし、正直乃木坂46の未来は大きく変わっていたんじゃないかなとも思う。 



こんな気持ちがずっとあった中で、覚醒した9thの3期ラから桃子さんの卒業までの期間を経て、去年完全に3期生が引っ張る乃木坂46を凄く高い次元で見ることが出来て、去年はずっと感無量な期間だった。
















そしてその集大成が、明日からの12thバスラだと思う。



偉大な歴史を積み上げてきた乃木坂46だからこそ バスラの価値は大きいものであり、その価値が大きい分、求められるライブのハードルも高い。

そのライブにメンバーがどう立ち向かっていくのかを追うのは、自分が乃木坂46を応援する大きなモチベーションの1つとなっている。








5年の時を経て、自らの意思で、誇り高く「乃木坂46です」と言えるようになるほど強くなった3期生が挑む今年のバスラ。この時を迎えられたことが本当に凄いし、見せてくれて本当にありがとうという気持ちでいっぱいです。








その歴史を誰よりも敬愛する人達が、その歴史をお祝いし、その歴史に挑む形となるバスラ。美しくも過酷なドキュメンタリーライブだと思います。








明日からは、メンバーが抱える乃木坂46への、バスラへの思いを、真っ向から受け止め、ただ見届けるだけです。














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